木下さんと後で観覧車に乗る約束をしていたから、と田辺さんに言われ、はぐれた林達を探しにそっちへ行く。田辺さんが言った通り、林と木下さんは観覧車の傍にいた。
二人の姿を見るのが今はつらい。
田辺さんが木下さんの隣へ行き、何か話していた。暗くなった空に浮かび上がる観覧車をぼんやりと見上げる。
「わり、夕飯奢ってやれないや」
いつの間にか傍に来ていた林が、俺の肩を叩いた。
「え……」
振り向くと林は俺から離れ、彼女達の方へと歩いて行き声を掛ける。俺も林の後へ続いた。
「ね、観覧車乗ろうよ。林くん、一緒に乗ってくれる?」
田辺さんは、林の腕を掴んで言った。田辺さんの言葉に林は頷き、笑って俺を見た。
「最後くらいは違う組み合わせで。いいだろ?」
そう言って田辺さんと先にさっさと観覧車の乗り場へ行ってしまった。取り残された木下さんと俺で追いかけ、二人が乗った次のゴンドラへと乗り込んだ。
何を言えばいいんだか、わからない。
林、木下さんに告白したのか? さっき林が俺にかけた言葉をもう一度思い出す。もし上手くいっていたら、彼女と観覧車に乗っていた筈だ。今俺の目の前に彼女がいるってことは……。
少しずつ空へと近付いていく観覧車の中から下を見ると、乗り物や水族館の建物が光り輝いて見えた。
「綺麗」
彼女が先に声を出した。ドア側の窓ガラスに手と額を当て、一生懸命下を見てる。
「うん。綺麗だね」
「……ね」
「あんまりガラス押すと、開いて落ちるよ」
「え! 嘘!」
慌てて彼女は手を離して、座席の真ん中に座った。
「嘘に決まってんじゃん」
俺が笑うと、彼女が怒る。
「もう、ほんとかと思った」
「ごめん」
ちょうど正面に座ったから、視線が外せない。
「……前髪、変になってる」
「え、くっつけすぎたかな」
慌てて一生懸命直す彼女に言った。
「違う、こっち」
少し前かがみになり、手を伸ばして彼女の前髪に触れる。
「いいよ。直った」
「ありがと……」
急に彼女は座席の後ろに向き直り、俺に背を向けて座った。もうすぐ頂上なのにいつまでもこっちを向かない。何だ? 怒ったんだろうか。
「そっちの景色、綺麗?」
「……」
俺の言葉に彼女は何も言わずに頭を下げて頷く。
「どうしたの?」
「……なんでも、ないの」
「!」
彼女は、泣いていた。肩が小さく震えている。
「コンタクトがずれたの。だから、違うの」
「……」
もしも彼女が今の俺と同じ様に、林に告白されたことで行き場の無い思いを抱えてるとしたら。もしも、なんて俺の憶測に過ぎないのかもしれない。けど……。
コンタクトなんてしていないくせに、下手な嘘をつく彼女に胸の奥が痛んで、俺も涙が出そうになった。
なのに、ほんの少し先を進む観覧車の中にいる二人に見られるんじゃないかと思うと、抱き締めてやることもできない。
「こっち、向いて」
「大丈夫だから、ほんとに」
「いいから向いて。一瞬だから、こっち来て」
彼女をこちらに向かせ一緒に座席から降り、しゃがんで片膝を着き、もう一度彼女に手を伸ばす。
「これしか出来ないから、俺」
右手で彼女の髪を撫でて、左手で頬に落ちる暖かい涙を拭った。
「……うん」
彼女が小さく頷いた。本当に一瞬だ。すぐにお互い座席に戻って、彼女はまた俺に背を向ける。小さな背中の向こう側の空に星が見えた。
「庸子はね、三年になってからの友達なの」
ぽつぽつと彼女が話し始める。
「飯田さん、わかるよね? さやかも二年で庸子と同じクラスだったの」
「うん」
「だから、知らなかった。四月の体育祭の準備の頃は。後で知ったの。庸子が倉田くんのこと……」
「……」
「知らなかったの、何も」
彼女が飲み込んだ言葉の続きを、勝手に頭の中で再生する。田辺さんが俺を好きで、林が前から彼女を好きだったこと。お互いの友達が、お互いを好きだったということ。
彼女に何か言ってあげたいけれど、もう何も言えなかった。ただ、悲しそうな背中を見ているしか出来ない。
彼女を引き寄せて、好きだって言えばいい。たった一言だ。林の事も田辺さんのことも忘れて本当に好きなら、彼女を好きならそれでいいじゃないかって、もう一人の自分が頭の隅で言う。けど、そんな単純なことじゃないんだよ。彼女も、俺も。
「じゃあな。俺らこっちだから」
遊園地を出て電車に乗り、林と田辺さんは乗換駅で俺と木下さんに手を振った。すぐに背中を向けて、その表情は見えない。
木下さんと電車に乗り、久しぶりに一緒にドア際に立った。
「水族館綺麗だったね。乗り物もたくさん乗れたね」
彼女はさっきの事を振り払うかのように、顔を上げ明るい声で俺に言った。
「うん」
「ね、何が一番楽しかった?」
「……」
彼女の問いに一瞬沈黙し、顔を見つめた後、外へ目を向けてひとこと告げた。
「観覧車」
「……」
少しの間があり、彼女の小さな声が耳に届いた。
「……私も」
もし、もっと早く出逢っていたら。
俺が林よりも先に彼女に出逢って、彼女が田辺さんよりも先に俺に気付いていたら。
――もしも、なんてある筈がないのに。
外の暗闇の中に、また彼女の瞳を探し、口には出せない思いを視線の先にこめて……見つめ続けた。
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