「できたーっ!! できたできたできた!! っしゃあああ!」
 家のキッチンでガッツポーズを作ると、リビングから妹が慌ててやってきた。
「どしたのお姉ちゃん? 暑さでとうとう頭やられちゃった?」
「チーズケーキだよ! やっと完成した! ご協力ありがとうございましたっ!!」
「へえ、ちょっとちょうだいよ」
「ちょっとだよ?」
 ホールをふたつ作って、ひとつはたった今私も一切れ試食した、味見用。ひとつは明日椅子カフェ堂に持って行って、店長に確認してもらう分。
 妹は私から受け取ったチーズケーキを口に入れ、ゆっくりと味わった。
「すごいね〜、これ。美味しいけど……超太りそう」
「うるさい」
「何か特別なことしたの?」
「レシピの配分をいろいろ変えてみたの。……でも」
「でもなに?」
「何でもない」
 いつか話すと約束してくれた店長の言葉を思い出したら、モチベが今まで以上に上がっちゃって、納得いく味に辿り着けたんだよね。
「何にやにやしてんの? キモ」
 一切れぺろりと平らげた妹が、お皿をシンクに入れて私の顔を見た。
「人に貰っておいて、その態度は何よ。返しなさいよねー」
「もう食べちゃったしー」
「あんたたち夜遅くに騒がないの。くるみ、ちょっといらっしゃい」
 キッチンを覗きに来た不機嫌な母の声。そろそろだと思った。言いたいことは大体わかってる。
 彼女のあとについてリビングへ行き、ダイニングテーブルについた。私の前に座る母は麦茶を一口飲んでから、予想通りの言葉を吐いた。
「あなた、就活はどうしたの。いい加減真剣にやらないと、今の時代、中途なんてどこも雇ってくれないわよ。どうするの、そんなんで。結婚もできやしないでしょう」
「お母さんの時代と違って今は三十過ぎで結婚したって全然遅くないの。それに私、今働いてるところで頑張りたいの。しばらくは黙って見てて」
「働いてるところって、飲食店なんでしょ?」
 お母さんは指でテーブルをトントンと叩いた。いらいらしてる証拠だよ、これ。
「迷惑はかけないから、絶対に」
 私を睨んだ母が、大きな声を出した。
「お父さんからも言ってやってよ。一度言い出したら聞かないんだから、この子」
「んー?」
 ソファに座って夜のスポーツニュースを見ていた父が、私たちを振り返った。
「くるみがやりたいようにやればいいさ。お前はもう社会人経験者なんだから。自分のことは自分で考えたらいい」
「ありがと、お父さん。お母さんも、ごめんね?」
 お父さんがそう言うなら、と呟いて、母も渋々頷いてくれた。


 翌日の椅子カフェ堂閉店間際。最後のお客さんがレジで支払いをする。
「いつもありがとうございます。よろしかったらこれ、どうぞ」
 お釣りと一緒に手作りのチラシをお客さんに渡した。
「あれ、お盆休み明けにリニューアルするの?」
「そうなんです。ぜひいらしてください」
 この人は、椅子カフェ堂の数少ない常連のおじさん。お父さんと同じ歳くらいかな。
「四月にオープンして、もう? どうしたの一体全体」
「ええと……」
 そうだよね。普通は変だと思うよね。でも、そう思わせないようにしないと。
「少し雰囲気を変えるんです」
「何これ、エスプレッソ一杯無料なの?」
「はい。そのチラシをお持ちいただければ無料です」
「あそ。どうもねー」
「ありがとうございました〜」
 このチラシ、どこかで配った方がいいのかな。あとで店長に訊いてみよう。

 店を閉めたあとは、ホールで夕食を兼ての試食会。まずは店長から。
「はいはーい。新メニューだよー」
 いい匂いがするお皿を運んできた。隣に座る職人さんが目を輝かせる。見かけと違って食いしん坊なんだよね、この人。
「カレーだ」
 ココナッツカレーのような色。ルーはサラッとしていて、スープ状に近い。
「何のカレーですか?」
「トロピカルマンゴーカレーです」
 なんだか得意げな店長が可愛いかった。
「マンゴー? 甘いの?」
「おいしそう〜贅沢ですねえ」
「そんな高いマンゴーは使ってないよ。それに、ずっとはできないから夏限定な」
 いただきますをしてスプーンで掬い、良い香りを楽しんだあと口に入れた。舌の上がぱっと熱くなる。
「まろやかだけど、結構辛いんですね。夏らしくて美味しいです」
「汗が出るなー。これ美味いよ」
 小ぶりのお皿に入れられたそれを、あっという間にそれぞれ平らげてしまった。
 あとはサラダやスープ、パスタを二種類、少しずつの分量とはいえ、かなりお腹がいっぱいになった。
「デザートはこれで、お願いします」
 昨夜作ったチーズケーキを冷蔵庫から取り出して切り分けた。
 これが駄目だったら、もう無理かもしれない。これ以上の物を作れと言うのなら、どこかにパティシエ修行に行くしかない。それくらいに気合が入った作品。
 私の妹みたいに、二人はゆっくりとチーズケーキを味わった。
「……どうでしょうか?」
 黙って食べ続ける二人に恐る恐る訊いてみる。手が震えてる。緊張で声も震えてたかもしれない。
 顔を上げた店長が、私に向かってにやりと笑いかけた。初めて会った時みたいに。
「いいねぇ。合格」
「ほんとに!?」
「頑張ったね、完璧だよ。お見逸れしました」
 店長がテーブルに両手をつき、頭を下げた。あれ、変だよ。店長もチーズケーキも途端にぼやけて見える。
「う……」
 涙がぼろぼろ零れて、止まらなくなった。
「あーっ、ごめんくるみちゃん! 俺いじめすぎた?」
「ちがい、ます。嬉しいんです。……嬉しい」
 私のことを店長が心配そうに見ている。その顔を見て余計に泣けてしまった私は、肩を揺らして涙を流し続けた。
「ほらティッシュ。鼻水出てるぞ、鬱陶しい」
 職人さんが私に一枚差し出してくれる。
「出てないです。嘘言わないで下さい」
「なんで俺の時だけ冷静なんだよ」
 良かった。本当に本当に良かった。これでリニューアルに間に合わせることができる。嬉しい。



 お盆休み二日目。私は朝から椅子カフェ堂に向かっていた。昨日一日だけお休みをもらって、家でもう一度、デザートの練習をしていた。
 駅を出ると日差しが痛い。木陰を選び、日を避けながら石畳を歩いた。周りの飲食店もお盆休みに入っている。
 椅子カフェ堂のドアを開けて驚いた。
「あ……!」
 何も、ない。
 私が言ったことそのまんま、店長はホール内を全て片付けてくれていた。達磨も、カレンダーも、スカイツリーも、招き猫も、時計も、ビニールのテーブルクロスも。ホール全体がすっきりとして広く見える。
 窓際で脚立に乗っていた店長が私に気付いた。Tシャツにジーンズのラフな姿を見るのは初めて。
「おーう。お疲れさん。悪いね、休み中に」
「おはようございます。もしかして、ロールスクリーン付けるんですか?」
「そうそう。昨日良晴と一緒に買って来たんだぜー。まだ付けらんないんだけど」
 外されたカーテンレールのあとに設置しようとしている店長は、不慣れな手つきで作業していた。
「これがなかなか上手く行かなくてさ」
「手伝います」
「大丈夫だよ。良晴に手伝わせるから。あ、来た」
 お店の奥から職人さんが大きな段ボールを持って現れた。それをレジの後ろに置き、こちらにやってくる。
「おはようございます」
「はよ。そこどいて。邪魔」
「はーい」
 いったん店長の足元へ寄った職人さんは、くるりと振り向いて私の方へ戻って来た。何?
「何だよ良晴。俺、腕が限界なんだけどーおいー」
 口をへの字に結んで、職人さんが私を見下ろしている。またなんか、怒らせるようなことやっちゃった?
「店長が呼んでます、よ?」
「あれ使えば。あのガラクタ置くのに」
 職人さんが動かした視線の先を追う。その先にあったものを見つけて、思わず駆け寄った。
「ど、どうしたんですか? これ!」
 レジの後ろにある空間。職人さんが作った家具の中に、初めて見る奥行三十センチくらいの飾り棚があった。高さは私の身長をゆうに超えていて、仕切りが何段も出来ている。
「作った」
「作ったって……。いつの間に」
「いらなきゃ売るけど」
 すぐ後ろに来て不機嫌な声を出した職人さんを振り向く。見上げると、まだ眉をしかめていた。この人って、初めて会った時から愛想もないしぶっきらぼうだけど、本当は……
「いります! ありがとうございます、すごく素敵です。職人さんて、優しいんですね」
「うるせーな。お前の為じゃないって言ってんだろ」
「わかってます。店長の為ですよね」
「わかってんなら、よろしい」
 私のおでこに向かって来たデコピンを素早く回避すると、舌打ちされた。
「おーい、何やってんだよ早くー」
 店長の叫び声を聞いて、職人さんはそちらへ行ってしまった。

 足元に置かれた大きな段ボール。わざわざここに移動してくれたんだ。
 蓋を開けてヴィンテージの雑貨をひとつひとつ取り出した。職人さんが作った棚に並べてみる。居場所を見つけた雑貨たちが、誇らしげな表情をしているかのように見えた。
「すごくいいじゃん……!」
 ありがとう職人さん。ありがとう店長。
 二人の期待に応えられるよう、私、精一杯頑張ろう。