撮影から二週間経った日の朝。
梅雨入りをしたせいか、今日はどんよりとした曇り空が広がっている。
開店前、店長に呼ばれて職人さんと一緒に事務所へ集合した。机の前に座る店長が、パソコンをひらいて待っている。
「メールが届いてるんだ。田原さんから」
店長の右側に職人さん、私は左側に立ち、皆でパソコンを覗いた。
「来たか。見ようぜ」
「ああ」
頷いた店長がメールを開く。田原さんからのメッセージを読んでから、続いて添付ファイルを開いた。
「あ! すごい!」
思わず声を上げてしまった。だって本当にすごい!
椅子カフェ堂の前で笑う私たち三人、ドアに掛けたリースのアップ、窓から覗く雑貨が大きく掲載されている。続いて店長が作るお料理の数々。店内の様子。家具と雑貨。そして私が作ったスイーツは一ページ丸々使われていた。
「うん。うんうん、いいんじゃね? いいっていうか、完璧じゃんこれ!」
店長の向こう側から職人さんが私の背中をバンバン叩いた。今日は痛くても許します! こんなに大きく載せてもらって……感激で胸が一杯だよ。涙が出そう。
まだ笑顔にならない店長が、真剣な面持ちでもうひとつの添付ファイルを開くと、そこには「カフェどころ」という大きな文字が画像に載っている。
「表紙も来たな」
椅子カフェ堂の外観全体が、そこにあった。
なんて素敵なお店なんだろう。ここで働いていることが誇りに思えるくらいの立派な写真。
「よーし! やったな!! よしよしよし!!」
やっと笑った店長が両手を握りしめて何度も大きく頷いた。
「これで安泰ってわけか?」
「そうですよ。きっと大丈夫!」
言葉を交わす私と職人さんを振り向いた店長が、手を差し出した。
それぞれ、パーンと手を合わせて喜んだ。てのひらがじんじんする程痛いけど嬉しい!
やっとここまで来たんだ。あと少しで夢が現実になる。発売日は来月の七月十五日。
やれやれと呟いた職人さんが冷蔵庫の前に歩いて行った。同時にパソコンを閉じた店長が私を見上げ、小さな声で言った。
「くるみちゃん、今日の帰り……残ってもらっていい?」
真剣な眼差しから、彼の気持ちを受け取る。今夜、っていうことで、いいんだよね? 私、勘違いしてないよね?
「……はい」
返事をしたと同時に嬉しそうな笑顔になった彼が、職人さんを大声で呼んだ。
「良晴!!」
「な、何だよ、デカい声出して」
冷蔵庫の扉を開けて飲み物を探っていた職人さんが、びっくりしてこちらを振り向いた。
「明日、臨時休業な!」
「ああ、そうなん? 急だな。何で?」
「大事な用が出来た」
大事な用で臨時休業……。
それって私の為? ずっと一緒にいるから? 朝までってこと? なんて、いろいろ意味を想像してたら頭が沸騰しそうになってる。胸がきゅんきゅんしっぱなしだよ。これから仕事なのに、どうしよう。
「あとさ『カフェどころ』発売日の次の日、親父を椅子カフェ堂に呼ぶから。皆よろしく」
「え!」
私と職人さんで同時に声を上げた。あのおじさん……じゃなくてお父さんを!?
「俺たちの前で、雑誌を見てもらおう」
ランチの前から今日は随分と人が多くて、職人さんにホールを手伝ってもらっていた。
「混んでんな〜。何かあったっけ? 近くでイベントとか」
スイーツを用意するために厨房へ入った私に、店長にオーダーをしていた職人さんが言った。
「え、さあ」
「またぼーっとしてんなよ? お前、朝からずーっと浮かれてんじゃないの? ホールでミス連発してたろ」
「う、浮かれてなんていませんっ! ミスは……すみません」
店長の傍でそういうこと言わないでよ〜!
確かに事務所で永志さんに今夜のことを言われてから、それが頭にチラついて、そわそわしてるのは確かなんだけど。
「俺は少し浮かれてるけどな。家具をあんなにデカい記事にしてもらえるなんて、この先一生ないかもしれないし」
「あ、そういうことなら私だって浮かれてます。スイーツのページが大きくて驚きましたし。何より椅子カフェ堂がこれで救われると思ったら、感激しました」
職人さんが私をじっと見つめてる。な、何?
「そういうことって、何か別にあんの?」
「え! いえ、ありませんけど、はい。オーダーのプリン用意してきます」
鋭いなぁ。いつもは鈍そうなのに妙なところでカンが働くんだよね、職人さんって。焦ってしまう。
デザート用のプリンを冷やしたお皿に載せて、生クリームとミントの葉で飾った。今日は特に出来がいいみたい。ぷるぷるの揺れがいい感じ。
プリンのお皿をトレーに載せて運び、店長のいる厨房を通ると、職人さんがオーダー票を見ながらパスタを作る彼に声を掛けた。
「永志、これ違くね?」
「何がー?」
「かき揚げ丼の付け合せだよ。トマトスープじゃなくて味噌汁じゃねーの?」
調理台に用意されたものを指差した職人さんを見て、店長が慌てて動いた。
「あ! そうか、ごめん。今入れる」
「さっきも何か間違えてたじゃん。朝のメールで嬉しいのはわかるけど、しっかりしろよな。客が入ってるんだから」
「ああ、うん、はい。……ごめん」
赤くなった彼と視線が合った。お互いに苦笑いして顔を逸らす。
永志さん顔に出ないって聞いてたけど、結構出てるよね? この前、気持ちが通じ合った後にお互いミスをしまくった時といい、永志さんと私って意外とこういう所が似てるのかもしれない。
閉店後、ホールの片付けを終えると、着替えて帰り支度をした職人さんが事務所から出てきた。
「お疲れー。お前らはまだ?」
「お疲れさん。いや、くるみちゃんはちょっと話があるから残ってもらうんだ」
いよいよなのかな。両手をぎゅっと握りしめる。
「それ時間かかんの?」
背中に斜め掛けバッグを背負いながら、職人さんが私たちの方を見た。
「え、ああ。そうだな、結構」
しどろもどろ答える店長に、何だか私まで緊張してきた。
「永志が心配なら、俺がまたくるみのこと送ってやろうか? 待っててやるよ」
「いや! あの……俺が今日は送るから! 送るっていうか、俺が一緒だから平気」
「そう? じゃ俺先に帰るわ」
「ありがとな! お疲れ! また明日!」
永志さんそれ間違ってますから……。案の定、店長の挨拶にドアの前で振り向いた職人さんが眉をしかめた。
「……明日は臨時休業なんだろ? お前、朝自分で言ってたじゃん」
「あ、そうそう、休みだ休み。はは」
「疲れてんじゃねーの? 早く終わらせて休めよな。じゃーお疲れさん」
「おう」
「お疲れ様でした」
店長の慌て振りが私にまで伝わって、内心ヒヤヒヤしてしちゃったよ。職人さん、気を遣わせてごめんね。職人さんがお店を出た後、扉の鍵を閉めた店長が私の傍に来た。
「なんか焦っちゃったよ。カッコ悪いな、俺」
「カッコ悪いなんてことないです。でも、私も少しだけドキドキしちゃった」
顔を見合わせて小さく笑った。二人きりになると、何だかとても照れてしまう。
「くるみちゃん」
「……はい」
「後ろ向いてくれる?」
「後ろ、ですか?」
その言葉に従って彼に背中を向けると、後ろから両手でそっと抱き締められた。
「待たせてごめん。あ、待ってなかったか、別に」
彼の腕の中で首を横に振る。
「ううん。待ってました、ずっと」
私を抱き締める手に力がこもった。
「朝言ったように、親父に雑誌を見せて納得してもらう。そこで何言われようが、絶対にここを守るから」
彼の決意に涙が滲んだ。永志さん、あんなに努力してたんだもん。報われて本当に良かった。
「くるみちゃんのことも、大事にして守っていく」
私の頬に顔を寄せた彼の言葉が、胸の奥深くまで響いた。
「今夜はずっと俺の傍にいて欲しい。朝まで一緒に」
「はい……」
苦しいくらいに彼を思うこの気持ちを伝えたいけど、上手な言葉が見つからなくて、頷くことしか出来なかった。
腕の中に私を閉じ込めたまま、永志さんは私の体を自分の方へ向かせた。かがんで顔を近づけた彼が囁く。
「今夜だけじゃない。ずっと一緒にいてくれる?」
「いいんですか?」
「俺が聞いてるんだよ」
優しく微笑んだ彼に、私も背伸びをして、精一杯近付いた。
「私も一緒にいたいです。この先もずっと。ずっと」
「ありがとう、くるみちゃん。好きだ」
言い終わらない内に、彼は私に唇を重ねた。
いつもと違い、初めから激しく舌を押し入れられて、息が出来ない。顔の傾きを何度も変えながら、彼が私を強く求めてくる。髪に触れていた彼の手が頬に、肩に、腕に移動して、私の手を強く握った。手を握られて安心したのと同時に、体が幸せを感じて頭の芯をくらくらさせた。
重ねた唇の隙間からどうにか息を吸い込むと、その後は自然に声が漏れ出てしまう。唇を離しながら、もっと聞かせて、と囁いた彼が私の首に吸い付いた。
「永志さん、駄目……!」
もう立っていられないよ。彼の腕にしがみついて、膝が崩れ落ちそうになるのを何とか堪える。何度も首筋に押し付ける彼の唇に感じて体をよじらせた。そんなつもりはないのに、どうしても声が出てしまって、止められない。それに反応するかのように、彼の息も上がっていくのがわかる。
私の耳元で吐息混じりに彼が言った。
「上に連れていってもいい? もう我慢できない」
「……私も」
返事をした途端、抱き上げられた。
今日は荷物みたいにじゃなく、お姫様抱っこで。