先生やって何がわるい!

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(2)正しい選択




 十一月の終わり。冷たい風が吹きぬけていく、大学構内の学食に通じるテラスを突っ切ろうとした時、後ろから大きな声で呼び止められた。何となく今は放っておいて欲しい、聴き慣れた声に仕方なく振り向く。

「裕介! ちょっと待ってよ」
「何だよ、こんなとこまで来て。昼約束してたっけ?」
「幼稚園に就職決まったって本当なの?」
 普段でも少し気の強そうな眉をさらにつり上げて、結衣ゆいは肩に掛けたバッグを強く握り締めて俺を睨んでいた。
「ほんとだよ」
「ねえ、嘘でしょ!? 幼稚園の先生になるの? 学校の先生じゃなくて?」
「悪いかよ」
「おかしいと思った。実習実習って、やけに多いと思ってたのよ……!」
 肩からバッグをぶらんと下ろして、彼女は大きなため息を吐いた。

 違う学部へ通う彼女は、こっちの事情をよく知らない。幼稚園、保育園、小学校、養護施設等に実習へ行き、俺は教師に必要な単位を取る為に、それはそれは凄まじい勉強量をこなしたのである。多忙極まりなかった俺に対して、他のコと遊んでるんじゃないかとか、もっとバイトを増やしていろんなとこ連れて行けだとか、そんなことしか主張しない彼女へ、ここ数ヶ月、いつの間にか自分のことを話す気にはならなくなっていた。

「彼女に何も言わないで勝手に決めるとか、変じゃない?」
「変ってなんだよ。皆いちいち相談して決めてんの?」
 俯いていた彼女は顔を上げて、きっと俺を睨み、静かな声で言った。
「あたし、小学生ならまだしも小さい子どもって嫌いなんだよね。うるさいし、わがままだし、泣き声とか耳について」
「……」
「悪いけど、ついてけない。幼稚園の先生なんて、生活していけないじゃない」
 結局は年収か。よく調べてんじゃんか。俺がいずれは園長になるって言ったら、急に手のひら返すんだろうけど。そう思った途端、この関係が一気に鬱陶しくなった。
「……それで?」
「あたし将来共稼ぎとか、ほんと無理だから」
「は? 頼んでねーし。勝手にしろよ」
「あっそう! 後悔したって知らないからね」
 結衣はバッグを一回大きく振って俺の腕に強く当て、そのままそこを立ち去った。小さくなる背中を確認してから大きく溜息を吐き、足下に落ちている虫食いだらけの枯れた葉を見つめる。

 子どもが嫌いだとか、仮にも教師になろうとしている人間の前で、わざわざそういうこと言うなよ。そう思うのは勝手だけどさ。いちいち口に出して主張すんな。そう言えば最近、あれが嫌い、これが苦手って、気に入らないことばっかり口にしてたっけ。だからなんだよ。俺は子どもが好きなんだよ。なんか文句あるか。
「……」
 結衣に押されて、何となく付き合い始めた自分も悪いんだけどさ。でも最初はあんなじゃなかった。構ってやれなかった俺もいけないのか。



 あれから三ヶ月が経つ。あの時もう既に結衣のことは冷めていたから、別れた事自体はどうってことなかったけど、最後に言われた言葉がまだ何となく引っかかっていた。
 後悔なんてするわけない。俺は正しい選択をしたんだ。親父の跡を継ぐ為に幼稚園へ就職したことも、結衣と別れたことも。

 毎朝七時二十分には家を出て、愛用の自転車に乗り、君島幼稚園へ向かう。実習生は掃除、草花への水遣り、動物へは餌やりと、朝から大変忙しいのだ。慣れる為に順番で園バスにも乗らなければならない。

 自分が幼稚園生だった時、親父が経営する君島幼稚園ではなく、他園に通ってそこを卒園した。元々実家と君島幼稚園とは距離があったことと、園長と元ベテラン担任の子どもが園児じゃ先生たちも扱いづらいだろうという配慮だと聞いた。そしてこれは俺の憶測だけど、俺をこの園長の息子だと知られないため、という理由も多少なりとはあったんじゃないかと思っている。
 だから今、この実習という名の研修が始まるまで、俺は君島幼稚園に一歩も入ったことがないし、ましてやどんな先生がいるのかすらも全く知らなかった。本当に全くの新人なんだ。

 一通り朝の準備も終わり職員室へ戻ると、間も無く朝礼が始まった。全員席から立ち上がり、園長を中心になんとなく輪になる。
 当番制の日直に当たった先生が司会を務め、朝の挨拶、今日の予定、学年主任、主任からの報告を終えると、園長が老眼用のメガネをかけて、手元の用紙を見ながら言った。
「それでは先日知らせてあった通り、四月からの各担任を発表します」
 皆の目の色が急に変わった。静まり返っている職員室中が、見えない緊張に包まれている。一緒になって全身を緊張させた。俺が三歳児担任だということは親父から昨日知らされけど、他の先生がどうなのかは一切知らないからな。俺は一体誰と組むんだろう。一年間一緒に過ごすわけだから、そこはかなり重要なポイントの筈だ。

「年少クラス。ひよこ1組、年少学年主任、梨子りこ先生」
「は、はい」
 呼ばれた先生が返事をしたと同時に、周りも一瞬だけざわついた。……何だ?
「ひよこ2組、裕介先生」
「えっ!」
 俺が返事をする前に、確かちょっと怖い、えーと美利香みりか先生だっけ? が反応した。何だよ、さっきから。
「あ、すみません」
「美利香先生、静かに。裕介先生、いいですか?」
「はいっ!」
 返事をすると親父が、もとい園長が頷いた。

「年中クラス。うさぎ1組、年中学年主任、一也かずや先生」
「はい」
「うさぎ2組、麻鈴まりん先生」
「はい……!」
 俺と同期の新人だ。年中に行ったのか、ってことは、佐々木が年長か?
「うさぎ3組、茂美しげみ先生」
「はい」

「年長クラス。年長学年主任、兼全学年主任、くま1組、美利香先生」
「はい」
 すげー。全学年主任って何だよ、おっかねえな。学年主任をまとめる役みたいのか?
「くま2組、孝俊たかとし先生」
「はい!」
 やっぱりか。同じ新人なのに、何であいつが年長なんだよ。仕方ないけど、でも何だか置いていかれたような気がする。佐々木は満足そうに遠くから俺の顔をチラリと見やがった。くっそおおお!
「くま3組、睦美むつみ先生」
「はい」
「まだ登園されていないが、ひよこ1組の補助は浅子あさこ先生、2組の補助は清香きよか先生。以上、何か質問は?」
 俺のクラスの補助は清香先生か。確かパートで、三十代の人だった気がする。まだ一人ひとりの顔と名前が一致しない。

「何か問題があればまた後で私の所へ来るように。今年は新人の先生が三人も入る。先輩はよく指導するように。新人はそれに従うように、それぞれしっかりやりなさい」
 皆一斉に園長へ返事をし、朝礼が終わった。俺の予想通り、男三人バラバラの学年になったってわけだ。そして名前を呼ばれなかった先生が、今年度で辞めることになる人たちだということがわかった。
 次々に荷物を持って職員室を後にする先生たちに続き、実習生の俺らも廊下へ出る。三月中旬の卒園式までの間、俺たちはローテーションで全てのクラスを回っていく。園の雰囲気に慣れることが重要な課題だ。既に俺たちは、それぞれ何クラスずつか実習に入っていた。

 今日俺が入るのは年長クラスだけど、先に一応挨拶しておくか。四月からお世話になる先生を小走りに追って、教室の前で声を掛けた。
「梨子先生」
「はい」
 振り向いた梨子先生の髪は、艶のある濃い目の茶で、顎より下の部分が内側に少しだけ巻かれていた。化粧もきちんとしていて、まあ可愛い方なんじゃないのって感じだ。ていうか胸がでかい、と思われる。思われる、ってのは今の季節柄厚着をしてるから、わかりづらいんだよな。多分薄着になれば、もっとこう、はっきりっつーか、ばっちりっつーか……。
 んなこたどーでもいいんだよ。最初が肝心だ。しっかり挨拶しておかないと。俺は頭を下げてお辞儀をした。
「あの、四月からよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 そう言えばこの人、今も年少クラスだったな。ということは、今担任してる子どもたちと一緒に年中へは上がれないのか。
「私、今一年目で今度やっと二年目だから、ちゃんと出来るか心配なんですけど……」
「はあ」
「とにかく一緒に頑張りましょう」
 日誌やノートを胸に抱えながら、片手をグーにして梨子先生が笑った。……大丈夫かよ。顔、引き攣ってないか?
「あ、はい。頑張ります」
 園にいる女性教諭は皆、短大卒か専学卒だと園長から聞いていた。男は全員大卒。四月から二年目ってことは、梨子先生は年下か。

 1コ下で四月から二年目になる先輩と、一年目の俺。他の学年に比べて担任の層が薄い気がするのは俺だけだろうか。 それとも三歳児クラスは俺たちみたいのだけで十分ってことか? 何となくなめられている気がするし、俺が何もできない奴のように思われる感じで嫌だ。

 心に少しの不安と不満を抱えながら、ふと気付けば入園式まで二ヶ月を切っていた。





登場人物表へ(クラス名、担任の名前等、表にしてあります)


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