先生やって何がわるい!

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(27)有り得ない恋心




「お疲れさん。だいぶお前も先生らしくなってきたじゃないか」
「……」
 親父が注いだビールを口にして黙り込む。
「暗いねえ、なんかあったの?」
「別に」
 土曜日が運動会だったこともあり、月曜は振替休日になった。昨夜、運動会後の打ち上げを先生たち皆と過ごした俺は、そのまま実家へ帰っていた。

「裕介。これ余ったら、明日全部持って帰りな」
「ありがと」
 テーブルの上には、ばーちゃんの手料理が所狭しと並んでいる。煮物を箸に刺して口へ放り込みながら、テレビのリモコンへ手を伸ばした。日曜の夜って何やってたっけ。
 台所に近いこの部屋は二間続きの和室で、ここは食事をする場所、隣は仏壇が置いてあり、親父の寝室にもなっていた。
「まあ梨子先生とも上手くやってるようだし、良かったじゃないの」
「はああああ!? な、何だよそれ。俺と梨子先生は別に」
 リモコンが手から離れ、テーブルの角へ当たり、畳の上へ転がった。大げさな音を立ててんじゃないっつーの、リモコンの分際でお前は!
「何焦ってるの? お前と梨子先生、何かあるのか?」
 テレビから目を離した親父とばーちゃんは、二人で俺をじっと見つめた。
「あ、あるわけないだろ。全っ然ありません!」
「ひよこ組が上手くいってるってことなんだけど」
「……ああ、そういうことね」
 平静を装い、一気にビールを飲み干した。親父の視線がまだ突き刺さっている。
「裕介、まさかお前、梨子先生に手出してるんじゃないだろうな!?」
「出してねーし! そういうの全くないです! そんな感情一ミリもないです!」
 拾ったリモコンでチャンネルを変える。つまらない。変える。興味なし。変える。別に動揺してるわけじゃないからな。
「……ほんとに?」
「当たり前だろ」
「好きになっちゃってない?」
「なってねーよ! しつけーな!」
「だって、リレーのあと抱っこしてたじゃない」
 ……やっぱり見られてたか。一瞬だと思ってたのに。
「あ、あんなのノリだろ!? 皆やってんじゃねーか。親たちだって俺に抱きついてきたじゃん」
「……ふーん」
「親父の時代とは違うんだよ」
「そういうもん? 抱っこなんかするの? 今時の子は」
「抱っこってなんだよ。ハグとか言えよ」
「ハグくらい俺も知ってるぞ。何でもかんでもおっさん扱いして、いやだねえ、そのドヤ顔」
 ぶつぶつ言ってビールを注いでいる親父を無視して、ばーちゃんに向き直る。
「ばーちゃん、メシちょうだい。ビールはもうおしまい」
 はいよ、と言ってばーちゃんは立ち上がった後、俺を振り返った。相変わらず変な花柄のエプロンを付けているばーちゃんは、前より小さくなった気がする。年取ったよな。
「裕介」
「なに?」
「好きになったら、ちゃんと相手の女の子に言わなきゃ駄目だよ」
「……何の話?」
「言わなきゃ後悔するんだから」
 うふふと笑いながら、ばーちゃんは台所へご飯と漬物を取りに行ってしまった。


 休み明けの園へ、いつも通り朝の準備の為に先輩たちよりも早めに登園する。新人三人で庭の掃除と水やり、遊具の準備を終え、下駄箱で上履きに履き替えた。まだ時間がある。階段を上り、一人自分の教室へ向かいながら、運動会のリレーでテープを切った後のことを思い出していた。俺の腕の中で笑った梨子先生に感じたあの時の気持ち。
「……」
 いやいやいや、ほらあれだ。吊り橋じゃね? 吊り橋効果ってやつ。俺あの時、走った直後だったじゃん? だからドキドキしてて、それを好きだっていうのと勘違いしちゃってさ……。
「裕介先生!」
「!!」
 今吊り橋渡ってねえええ! 後ろから届いた梨子先生の声を聞いた途端、心臓が口から飛び出しそうになった。静まれ静まれ、静まりたまええええ! 荒ぶるな俺ーー!! ……いいか裕介、落ち着いてゆっくり振り向くんだ。冷静にな。
 俺は汗を掻いた両手をそっと握りしめて、静かに息を吸い込んだ。
「おはようございます。運動会お疲れ様でした」
 そうだ、菩薩の笑みだ。何も考えるな。今ならまだ間に合う。傷は浅いはずだ。梨子先生には彼氏がいる。そこんとこ、しっかり胸に叩き込んでだな。
「うん、お疲れ様でした。楽しかったね」
 相変わらず何なんですか、その可愛らしい微笑みは。運動会終わって少し髪切ったな? 揺れる栗色が、つやっつやじゃないの。
「はい。楽しかったです」
「裕介先生、すごくかっこよかったよ」
「え……」
 梨子先生の言葉と笑顔に、心臓がきゅーっとしてしまった。高校生か俺は! 
「あの、梨子先生も意外と走るの速いんですね」
「そうかな。運動は割と好きなんだ。部活もずっとやってたし」
「何部だったんですか?」
「中学はバトミントンで、高校はハンドボール。裕介先生は何かやってたの?」
「俺は中学の時陸上で、高校はサッカー部でした」
「あ、だからあんなに足早いんだ!」
 やべえ、楽しい。この何でもない会話が、さっきからキラッキラしてるよ……キラッキラ。朝の廊下と梨子先生が眩しいなー、つって、駄目だ駄目だ駄目だ! 俺、何考えてんだ。職場恋愛なんかあり得ないってあれほど自分で言ってたじゃないか。
「裕介先生。今週の金曜日になったの? 美利香先生に聞いたんだけど」
 急に声を落とした梨子先生が背伸びをして俺に囁いた。ていうか近い近い近い! ……いい匂いだな。
「は、はい?」
「前に言ってた合コン」
「え、あ、ああ、そうです」
 作者もとっくに忘れてたんじゃね、っていうあれのことね。運動会前に連絡があって、なぜか俺をずっとせっついていた、美利香先生にだけ伝えておいたんだった。
「裕介先生も行くんでしょ?」
「……はい」
 正直行きたくない。でも俺が抜けるわけには行かないし、かと言って梨子先生が誰かに声掛けられるのを見るのもいやだ。ていうかさ、何で彼氏がいるってのに、楽しみにしてんだよ。
 上手くいってないんだろうか。それとも……。考えても仕方がない。はっきり言って、梨子先生からしてみれば俺には全く関係のないことなんだ。

 梨子先生から目を逸らし、外に視線を向ける。子どもたちのいない眼下に広がる園庭は、がらんとしていて寂しげに見えた。





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