先生やって何がわるい!

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(26)初めての運動会




 十月二週目の土曜日。空は雲一つない秋晴れ。気温はちょうどいい。運動会にこれ以上はないってくらい相応しい陽気だ。

 この辺りの幼稚園や保育園は、もともと土地の値段も高く園庭が狭い。ほとんどの園は近くの小学校で校庭を借りて運動会を行っていた。それに伴い、準備にも異常に時間がかかる。
 まずは朝6時半に園へ出勤し、荷物と共に小学校へ向かう。来賓と本部のテント、競技に使う跳び箱や運動マット、ゴールテープだのバトンだの細々したもの、全てを園バスや軽トラックへ積み込んで、到着した小学校の校庭へ凄まじい勢いで下す。息つく間もなく、重くてでかいテントを張り、校庭にラインを引き、荷物を各場所へ置く。本番前だってのに、既に体力の三分の一は使った気がするよ。本当、先生って元気じゃなきゃできないよな。
 役員や係りのお母さん、お父さんたちも到着した。園児席で待機して子どもたちをトイレに連れて行ってもらったり、水筒の管理や、入退場門への移動、かけっこでゴールの順位を見て並ばせたりと、先生の補助をしてもらうのに、なくてはならない存在だ。

 集合の時間が迫り、先生たちの周りに体操着姿の子どもが集まって来た。
「先生、おはようございます」
 振り向くと、お母さんの手に引かれた女の子が泣いている。
「おはようございます。あれ、まーちゃんどうしたの?」
「せっせんせっ……こっこっ……こっこ、こっこ」
 どうした。いきなりにわとりか? しゃがんで彼女の顔を見る。
「多分緊張してるんだと思います。小学校に来たのは初めてなので……」
 お母さんの後ろでお父さんも心配そうにまーちゃんを見ている。
「こっこっこわっいっ……こわっ、い」
 ああ、怖いのか。広いし、いつもと全然違うし、他の学年の親もいっぱいいるもんな。
「まーちゃん大丈夫だよ。裕介先生もいるし、お友達もみんないるよ。こわくないからね」
「ひっ、ひっく」
 一生懸命うなずきながら、涙をごしごしするまーちゃんの体育帽をなでた。
「まーちゃん。今日はさ、前にも言ったけど、いつもみたいに頑張ったら園長先生からすごくいいものもらえるんだ」
「……ほんと?」
「ほんとだよ。パパとママにも後で見せてあげようよ。ね?」
「うん……!」
 笑顔になったまーちゃんと手をつなぎ、お母さんとお父さんには観覧する場所へ戻ってもらった。
 年少って当たり前なんだけど、全部が俺と同じで初めてのことなんだもんな。そりゃ訳わかんないし緊張するよ。

 年長児代表の選手宣誓から始まり、準備体操をして競技が始まった。
 ひよこ組のかけっこは練習の成果もあって、まあまあ無事に終わった。途中で斜めに走ってく子とか、転んだあと泣きながら戻ってくる子とか(もちろん俺が駆け寄って一緒に走ったけど)、何だかんだあったけど、どれも大きい拍手と歓声をもらえて終始和やかに進んだ。ぶっちゃけ何やっても小さくて可愛いから許されるんだよな。ふざけないで一生懸命やってるし。
 年長年中の競技の合間に年少の簡単なダンスや親子競技をし、ひよこ組の出番はこれでひとまず終了。あとは午後に全体体操があるくらいだ。
 年少児の場合、負担をかけないようにとの配慮から、昼ごはん前に競技を終わらせるようにしている。昼からは観覧席から保護者と一緒に年中と年長の競技を楽しんでもらう。とりあえず肩の荷が下りたよ。
「……」
 いや、安心するのはまだ早い。午前中の最後を締めくくる、あの競技が残ってる。

 それは保護者と先生たちが混じった、大人のリレーだ。学年別になり順位を争う。各学年で男は先生を含めて五人ずつ。三学年共に一人ずつ男の先生がいるから、各学年でお父さんを四人選ぶ。あとは女の先生を含むお母さんたちが各学年で六人ずつだ。女の先生が一人足りないひよこ組は、お母さんから一人多めに出てもらうので一見不利にみえる。でも実はお母さんたちの年齢が低いので、逆に有利なんだと言うことは暗黙の了解だ。ここでわざわざ年齢のことを口に出してはいけない。ボコボコにされてしまう。

 校庭の真ん中へ、学年別に分かれて集合する。
 ひよこチームは俺と梨子先生、お父さん四人、お母さん七人のメンバーだ。みんなキビキビしていて体育会系な人が多い。俺は黄色いはちまきを頭に締め、アンカーの黄色いタスキを肩から斜めにかけた。
「裕介先生、絶対優勝しましょうね!」
「は、はいっ!」
 元ヤンっぽい雰囲気のお父さんに声をかけられた。うちの園じゃ珍しいんだけど、この人卒園生なんだよな、じーちゃんの代の。
「梨子先生も裕介先生も若いから絶対勝てるわよ! くま組とうさぎ組に勝ちましょ!」
「裕介先生アンカー頼みましたからね! 私たちも頑張るんで」
「はい!」
 お母さん、お父さんたちから次々声を掛けられた。
「頑張りましょう!!」
「おー!」
 梨子先生と俺で声を張り上げ、輪になり全員で右手を合わせた。おーし、やったる! いつもの屈伸にも気合が入るぜ。

 男はトラック一周、女は半周。男女の走る順番も、不利にならないように決まっていた。アンカーは男の先生だ。ピストルの音と共に、本部の前から一人目のお母さんたちが飛び出した。子どもたちは一斉に立ち上がって応援を始めた。二人目の走者、女の先生たちへバトンが渡される。
「梨子先生、頑張れ!!」
「梨子せんせーー!!」
 大きな声を張り上げて、黄色いバトンを受け取った彼女を応援する。ぼーっと見えて意外と速いじゃんか! まだこの時点では順位がついていない。接戦だ。
 トラックは園児用にラインが引いてある為、カーブがきつい。そのせいで後に続くお父さんたちが何人か勢い余って転んでしまった。その度に子どもたちと保護者から、わあっと大きな悲鳴にも似た歓声が起こる。おじいちゃん、おばあちゃんたちも大興奮だ。

 やべえ、あと少しで順番が回ってくる。落ち着け落ち着け、走るのは結構得意じゃないか。俺は手を組み指を鳴らして心を静めた。ちらりとひよこ組の子どもたちの方へ顔を向ける。保護者と一緒になって応援してる子どもたちが遠目に見えた。先生頑張るからな! 見ててくれよ!
 トラックへ佐々木と一也先生と俺が横並びになり、バトンを受け取るのを待つ。ひよこが一歩だけリードしている為、インコースへ立つのは俺だ。続いて年長のくま佐々木、年中のうさぎ一也先生とアウトコースへ並んでいく。よしよしいいぞ、このままいけば優勝だ、と思ったその時。
「あーっ!」
「きゃーっ!!」
 ……マジか。ひよこのお母さんが転んでしまった。すぐに立ち上がりバトンを拾い俺に向かって駆けてくる。一気に順番が変わり、佐々木がインコース、続いて一也先生、俺になった。
「ごめん裕介せんせっ!!」
 謝るお母さんに頷いて、バトンを受け取り駆け出した。大丈夫だ一周ある。まだ間に合うはずだ。差を縮めながらカーブに入ったところで、佐々木が目の前で転んだ。おっまえふざけんなよおお!! どけおらあああ!! 転がった佐々木を飛び越えてそのまま駆け抜けると、辺り一帯は興奮した叫び声に包まれた。前を走っている一也先生にはあと少しだ。でもなかなか攻めることができない。
 くそ! 抜けないか……? あとちょっとなのに!
「ゆーすけせんせー!!」
「裕介先生!! 頑張ってーーっ!!」
「いけえええ!」
 その時、突然俺の耳へ、ひよこ2組の子どもたちとお母さんやお父さんたちの言葉がはっきりと届いた。……ここで勝たなきゃ男じゃないだろおおお!! 裕介やったれ、やったれえええ!!
 地面を蹴る自分の足音と皆の声援、俺のすぐそばに迫った一也先生の背中。歯を食いしばって持てる限りの力を振り絞った。その瞬間ゴールのテープが切られた。

 勢いですぐには止まれない。10mほど進むと誰かが駆け寄ってきた。呼吸がキツイ。体がバラバラになりそうだ。耳の奥へ響くのは、自分の心臓の音だけだ。
「ねえ裕介先生! 勝った! 一番だよ!!」
「ほ……ほんと、に!?」
 思わず振り返ってその人と抱き合った。二人でそのままぴょんぴょんと跳ねる……って、え? 一瞬だけ冷静になって腕の中を見ると、それは梨子先生だった。
「あ、あの梨子せ……うわっ」
「裕介先生やったー! かっこいい超かっこいい!!」
「優勝ですよおおお!」
「チームワーク良かったですもんねええ!!」
「転んじゃってごめんねええ! ありがとうーーー!!」
 一斉にひよこ2組のリレーメンバーに飛びかかられ、もうもみくちゃだ。お母さんもお父さんも、俺と梨子先生に飛びついて皆で飛び跳ねた。
「裕介先生、やったね! 私、本当にすごく嬉しい」
「は……はい」
 まだ腕の中にいた梨子先生は涙ぐんで俺を見上げていた。梨子先生の保育に対するいろんな思いとか、やっと何となくお父さんとお母さんたちに受け入れてもらえたような俺の嬉しい気持ちとか、本当はいろいろあるはずなんだけど、今は梨子先生がただ、普通の可愛い女の子にしか見えなくて、突然苦しくなった。

 こうしてリレーは無事に終わり、その場でひよこ組代表として俺がリレー用の優勝旗を受け取り、メンバー全員で校庭を一周した。ひよこ組の前を通ると、こどもたちと保護者が皆で拍手をして声をかけてくれた。午後の競技は少なく、最後の年長児リレーも大盛り上がりであっという間に運動会は閉幕した。

 俺にとって初めてで、そして最高の運動会だった。子どもたちも練習の成果を発揮できたし、俺自身もたいした失敗はなく、リレーまで楽しめた。全員参加で怪我もなくスムーズにいった。園長から各担任へ渡された金メダルを、子どもたち全員の首にかけてあげると、とびきりの笑顔をもらった。

 本当に最高だったんだけどさ。何で今こんな時に……気付いちゃったんだ、俺。





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