創作家さんへ10のお題

ルート3のおしまい




 最近とってもとっても、とーっても、引っかかってることがある。

 それはお母さん限定。
 お父さんとか、学校の先生、もちろん友達にはそんなこと思わないし、何にも感じない。なのに、お母さんが言うひとことひとことが、いつも頭から急激に胸の辺りにまで来ては、私を不機嫌にさせる。

「ねーちゃん、ねーちゃん!」
 机に座って勉強をしていると、突然部屋のドアが乱暴に開いた。
「もう、ノックしてって言ってるでしょ!」
「うわ、こえー。ね、ね聞いてよ」
「なに」
「今さ、俺……ほらこれ。公園で見つけたんだけどー」
 弟が手にしていたのは、透明のプリンカップ。よく見ると、中には足がいっぱいついている虫が2匹も入っていて、蓋はラップと輪ゴムだけっていう頼りないものだった。一瞬で背中がぞーっとする。
「ちょ、ちょっとやだ、捨ててきてよ!」
「大丈夫だって。それでさ、これ見つけたときモッチーがさ、虫に向かって『静かにしろ。TB!』って言ってさあ!」
 プリンカップを落とさないように気をつけながら、弟は可笑しそうにお腹を抱えてゲラゲラ笑ってる。
「なにそれ」
「虫に向かって言ってんだぜ?」
「だから、TBってなによ」
「え、知らないのー? 中学生のくせに」
 まさひろは目を丸くして私の顔を見つめ、その後得意げに話し始めた。

「KYは空気よめないじゃん? TBはてめえぶっとばす!」
「……」
「てめえぶんなぐる! もオッケー。昨日俺とモッチーで考えたんだけど」
「じゃあ、あたしが知ってるわけないでしょ!」
「んだよ、最近すぐ怒るんだから」
「……」
「はんこうきー、はんこうきー、だいにじせいちょー、はっんこっおきいー!」
「もう、あっち行って!」
 お父さんとお母さんの会話を聞いたのか、変な替え歌を踊りながら歌う弟にクッションを投げつけると、ヒラリとかわしてそのまま部屋から出て行った。
「……なんなのよ、ほんとに」
 何であんなに馬鹿なんだろ。そう言えばクラスの男子も皆あんな感じ。それって……小学生から変わってないってことか。

 ため息をつきながら、机の上の参考書を見つめる。
 だいたい√3とかこんなの結婚するのに必要あるわけ? 龍馬が誰といつ仲良かったとか、本人にしてみたら絶対余計なお世話だって。それにこんなこと別に、全然知らなくても生きていけるはずだし。

 顔を上げると、机の棚に置いてあるテニス部の集合写真が目に入った。夏休み前に試合で負けちゃったから、三年は部活ももうすぐ終わり。そのこともずーっと心の中でもやもやしていた。

「ゆう、ゆうちゃーん!」
 お母さんの声が遠くから聞こえた。
「ゆう! 聞こえないのー?」
 椅子からゆっくり立ち上がって廊下へ出る。クーラーが届いていない場所は、むわっとして暑い。あーやだやだ。シャワー浴びたいな。一つにまとめてるけど、伸びた髪がうっとうしい。
「ゆう!」
「聞こえてるってば! しつこいなあ!」
 リビングの扉を開けながら、大きな声で言った。
「……だったら返事しなさい」
「なんか用?」
「洗濯物。畳んだから持っていって」
「……」
「返事!」
「……はあい!!」
 思いっきりいやな返事をした。少しだけすっきりしたけど、でもまだ胸の中が変な色。
 キッチンに入って冷えたジュースをコップに注ぐ。一気に飲んでリビングへ戻ると、お母さんが残りの洗濯物を畳みながら、私の顔も見ないで言った。

「勉強は? もう終わったの?」
「……」
「日本史、不安って言ってたじゃない? 覚えた?」
「……」
「ゆう、ちょっと」
「……うるさい」
 口をついて出てくる、自分でもびっくりした言葉。当然お母さんも驚いている。正座をしてお父さんのTシャツを手にしたまま、私の顔を見上げてる。
「は? あんた今なんて言った?」
「うるさいって言ってるの!」
「ちょっと、親に向かって」
「親だろうが何だろうが、うるさいものはうるさいの!」
「……」
「今だって勉強してたのに、自分で呼び出しておいて何よ。もう、やる気なくなった。全部お母さんのせいだからね!」
 きっと今の私、うんと憎たらしい顔してる。鏡なんて絶対見たくないくらいに。
「もう、勉強なんかしない! 高校落ちたらお母さんのせいだよ。毎日毎日、うるさく言って、なによ……み、みんなし、て」
 もうダメ、止まんない。
「部活だってもっとやりたいのに、もう三年は何にもできないし、もっと、プールだって、遊びにだって行きたいし、あ、あっちゃんと一緒に、原宿だって……いくって、いくって約束……」
 馬鹿みたい。涙がこんなに零れて、ばっかみたい。
 年表も、方程式も、漢字も、顧問の先生も、余裕で推薦もらえそうだって自慢してた友達も、みんなみんな大嫌い。
 なんでこんなことしなきゃならないの? こんなのほんとに必要あるの? 長い長いおしまいなんてどこにも無い√3みたいに、先が全然見えなくて、夏休み中ずっと心の中で思ってイライラしてたこと、全部お母さんにぶつけてしまった。

 どうしよう。
 自分で作ったいやな空気の中で、ただ立ちっぱなしでそこから動くことが出来ない。
 しばらくすると、様子を傍で見ていた弟の声が後ろから聞こえた。
「ねーちゃん、ホットケーキ作ってよ」
「……」
「俺、ホットケーキだけはお母さんのじゃなくて、ねーちゃんのがいい」
 鼻をすすって涙を拭いた後、やっと声が出せた。
「……時間、かかるよ」
「部屋で待ってるから、できたら呼んで」

 弟の足音を聞いた後、キッチンへ入り、粉と牛乳と卵を混ぜていると段々気持ちが落ち着いてきた。

 ダイニングテーブルで待っていたお母さんに、焼き上がったホットケーキの乗ったお皿を差し出す。
「……ごめん、なさい」
「ううん。お母さんも、ごめんなさい」
 恥ずかしくて俯いたまま言ったけど、ちゃんと伝わったみたい。お母さんが謝ってくれたのも嬉しかった。
「ゆうのホットケーキはおいしいね」
 お母さんがもぐもぐ口を動かしながら言った。
「ちっちゃい頃からやってたもん。当然」
 照れ隠しに、自分のホットケーキを口いっぱいに入れた。その時、バタンとリビングの扉が開いて、まさひろが飛び込んで来た。
「あー! 何だよ、呼んでって言ったのに!」
「お母さんが先なの」
「まさひろ、ごめんね? 先食べちゃった」
 舌をぺろりと出して笑ったお母さんの隣に、弟はどかっと座り、少し冷めたホットケーキにかぶりついた。

「ねーちゃん、シロップもっとちょうだい」
「はい、MA」
「ありがティーオー!」
 受け取りながらギャハハと一人で笑っていたまさひろは、一瞬ぽかんと口を開けた。ホットケーキのカケラがほっぺたにくっついている。
「……ん? MAってなにそれ」
「知らないのおー? 小三のくせに」
「え、新しいやつ? 教えて」
「だめ、一生教えない」
「何だよ、ケチ! はんこーき! ブス!」
「……ちょっと、ホットケーキ返しなさいよ」
「あ、うそうそごめんなさい、すみません、悪かったっす!」

 お皿を下げようとした私へ必死に謝る弟が可笑しくて、お母さんとやっと目を合わせて笑った。
 もうすぐ夏休みも終わり。ちゃんと勉強して、区切りがついたらあっちゃんを誘って出かけよう。お父さんにも許可とって。


 まさひろ、ありがとね。








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