創作家さんに10個のお題

きつね味




 目の前にある大きなフライパンの中に、ママがおたまですくって丸い形を作った。

 今日のおやつは、ホットケーキ。
「ママ、ゆうちゃんがひっくり返すよ」
「できるの?」
「できる。ぜったい平気!」
 何度も何度もママが作っているのをそばで見ていたからだいじょうぶ。前に一緒にやったことあるもん。
「でも、」
 その時、リビングから大きな泣き声が聞こえた。
「ほら、まーくん泣いてるよ」
「……じゃあ、変になったら教えてよ? それからここは絶対触っちゃダメ。やけどしちゃうからね?」
 ママがフライパンを持つ棒の、火に近い銀色のところを指差した。
「わかってるもん。ほら、まーくん!」
「はいはい。きつね色になったら、ひっくり返すのよ?」
「はーい」
「あしもと、気をつけてね」
 ママは、木の台に乗ってるゆうちゃんの足を見て言った。
 フライパンの中のホットケーキはまだドロドロ。でもそのうち、ここがぷつぷつもりあがってくるのを、ゆうちゃん知ってるもんね。

「……まーくん、どうしたの? うんちかな?」
 リビングからママの声が聞こえた。やさしいママの声。ゆうちゃんの大好きなママの声。でもママのやさしい声は、生まれてきた弟にみんな取られちゃったみたい。だって、ゆうちゃんの顔を見るとママいつもおこってばっかりなんだもん。
『まだって言ってるでしょ?』
『まーくん泣いてるからあとで』
『さっきも言ったでしょ』

 お姉ちゃんになったんだから、そんなのわかってる。
 まーくんは赤ちゃんで、小さくて一人じゃ何にもできないんだ。今は5月でゆうちゃんは年長さんになったんだし、当たり前だけどトイレだって行けるし、もうおもらしも、おねしょもしない。ご飯も一人で食べられるし、幼稚園じゃ年少さんのおせわだってしてる。

 でも、でも幼稚園でもお姉ちゃんで、おうちでもいつもお姉ちゃんでいるのは、ちょっとだけ疲れちゃうよ。
 だけど、ママには言えない。
 だってママも大変だもん。夜、ゆうちゃんが寝てる間も、まーくんにおっぱいあげてるみたいだし、パパとゆうちゃんのお弁当作って、幼稚園まで送ってくれて、お洗濯したり、お掃除して、まーくんのお世話もして……大変だもん。

 お風邪じゃないのに、のどが痛い。
 耳の下に下がってる、二つのみつあみを両手でさわった。いっぱいさわるから、あんまりだめよって言われるけど、こうしてると安心するの。つるつるしてて気持ちがいい。かみの毛の先っちょを見ると、ちょっと茶色くてつんつんしてる。きつねもこんな毛かな。

 ホットケーキがぷつぷつ言い出した。
「きつね色……」
 きつねの色ってなんだっけ? 幼稚園でお絵かきした時、クレヨンはおうど色を使ったと思う。お隣に座ったななちゃんと、きつねはこれだよねって言ってぬったんだ。ゆうちゃんの大好きな、あみ先生もじょうずだねってほめてくれた。

 フライ返しをホットケーキの下につっこんでみる。うらをちょっとだけのぞいたけど、まだきつねの色じゃない。前にホットケーキを作った時って、こんな色だったかな? もうちょっと待ってよう。
「ゆうちゃん、そろそろいいんじゃない?」
「まだぜんぜんだよー」

 ……おかしいな。もうぷつぷつがはじけて、穴だらけになっちゃって、なんだか、かたそう。でもフライ返しでうらをのぞいてみると、やっぱりきつねの色じゃない。
「ゆうちゃん、どお?」
 ママの声が廊下から聞こえた。オムツを取り替えて、まーくんのお着替えをせんたっきに入れに行く足音。
「ま、まだだよー!」
 だってまだきつねの色じゃないもん。……なんだか、きつねじゃなくて、くまみたいな色になってきた。この後、きつねの色に変わるのかな?

「ゆうちゃん! 大丈夫?!」
 リビングに戻ってきたママが大きい声を出した。ママはおおあわてで、ガスの火を止めた。フライパンからは、白い雲みたいのがいっぱい出てる。
「熱くなかった? ごめんね! ママが悪かったわ」
「……ママ、きつねの色にならないの」
 ママは雲が出てるホットケーキをくるんとうらがえした。
「あ、あらら……」
 ホットケーキは、まっくろなカラスみたいになってる。
「カラスだね」
 ママが笑った。
「ゆうちゃんも今おもったの!」
 すごいすごい。ママとおんなじことおもったんだよ。
「ゆうちゃん、ママと一緒にもう一回焼こう」
「まーくんは?」
「もう寝ちゃったから。ここからはゆうちゃんとママの秘密の時間ね」
「うん!」

 リビングで、ママと二人で焼いたホットケーキを一緒に食べた。
「ママ、これがきつねの色? クレヨンのきつねの色とちがうよ」
「そうだよねえ。ママもきつね色って本当はよくわからないなあ」
 ママと二人でふふふって笑った。
「今度一緒に調べてみようね。本とかDVD借りる?」
「きつねの?」
「そう。ママも見てみたいから。ゆうちゃんとママとパパとまーくんみんなで動物園に行ってもいいね」
「うん!」
 お口をもぐもぐさせて、ホットケーキを飲み込んだ。
「ね、ママ。これきつね色だから、きつね味かな」
「きつね味? ゆうちゃん、おもしろい」
 さっきまでまーくんの名前を聞くと、むねがどきんとして、のどが痛かったのに今はもうぜんぜん平気。
 だってママが笑ってる。やさしい声も聞けたもん。ホットケーキもおいしいし、さいこう! 同じそら組の、たけるがいつもやってる、手をグーにして親指立てて『さいこう!』って言うのをまねしてみた。

 リビングのお隣のたたみのお部屋に、まーくんがおふとんで寝ていた。ちょっとだけのぞくと、目をつぶって小さなお手々がおふとんから出てる。
 もう少し大きくなったら、ゆうちゃんが焼いたきつねのホットケーキ、まーくんにも食べさせてあげる。だからそれまで、ホットケーキの時間はママとゆうちゃんの二人でもいい?

「きつね色って、なにいろだー。きつねの味は、ホットケーキー」
 もう一回だけシロップをかけて、いまゆうちゃんが作ったうたをうたいながら、笑ってるママの隣できつね味ホットケーキをいっぱいいっぱい食べた。





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