泥濘 番外編 三島視点

言いなり(後編)




「……ありがとう」
 カップを受け取ると、名まえも忘れた誰だかの彼女とかいう女は、何も言わずに気安く隣へ座った。

「三島くんて、春田さんだっけ? 彼女なんでしょ?」
「そうだけど」
「どれくらい一緒にいるの?」
「忘れた」
 俺の答えに女が笑った。
「あたしと一緒! あたしも、もうそんなこと全然興味ないの」
「……へえ」
「本当は今日も、ここに彼氏と一緒に来るの面倒くさくて」
「そうなんだ」
「あたしの言う事全然わかってくれないクセに、すごくしつこいの」
「……」
「でもここに来て良かったかも。こうして三島くんに会えたし」
 女が肩に寄りかかってきた。きつい香水の匂いが鼻に纏わりつき、不快さに襲われ顔を背ける。
「ねえ三島くん。あたしね、」
 薄暗がりの中、小枝を踏む乾いた音と共に、心待ちにしていた姿がそこに現れた。
「三島、くん……?」
 目の前で茫然とこちらを見ている春田の両手は、強く握られている。
「……なんだよ」
「何してるの?」
「話してんだよ、見りゃわかるだろ。……何か用?」
「……何でも、ない」
 その涙声に一瞬で身体の奥が疼いた。足下から鳥肌が立ち、心臓が踊る。春田は俺に小さな背を向け、その場を後にした。

「追いかけないの?」
 隣に座る女の口調は楽しそうだった。
「三島くんてさ、春田さんに結構冷たくない?」
「そう?」
 久しぶりに胸の奥がざわつき、身体が渇きを覚え始めていた。
「冷たいよー。彼女って感じしないもん」
「じゃあ、どういうのが彼女って感じするの?」
 ――傷ついた春田の顔を、見たい。
「優しい言葉かけてあげたりとか? ていうか……今あたしの方が三島くんに優しくしてもらってる感じ」
「……」
「あれじゃちょっと、可哀想だよね」
 微塵もそんなことを思ってはいないだろう声色で、クスクスと笑った女がさらに体重をかけてきた。こういう自信有り気な女に近寄られるとうんざりする。学校での立石のことを思い出し鼻で笑うと、女は何を勘違いしたのか甘えた声で擦り寄ってきた。
「ねえ三島くん。この後、」
「俺、反対なんだよ」
「……反対?」
「そう。好きでも何でもないどうでもいい奴には、優しい言葉かけんの。今みたいに」
「!」
 肩から離れ、顔を上げた女の顔を上から眺める。特別何も感じない。
「好きでしょうがない奴には冷たくするんだ、俺」
「……」
「そういうの耐えられる奴って滅多にいないし」
「あ、あたしだって」
「……」
「三島くんだったら、平気」
「俺が春田以外ムリ」
 作り笑いをし、ベンチから立ち上がる。
「……だし、彼氏泣くんじゃないの? 自分の彼女がそんなこと言ってるなんて知ったら」
「そんなこと……」
「俺も、彼氏の悪口他の男に言って気を引こうっていう、最低な女は勘弁だからさ」
「!」
「ごちそうさま」
 ベンチの上にカップを置き、春田を追いかけた。

 視界の端に春田がコテージへ向かうのが見えた。走ってドアに手をかけ、中へ入ろうとした彼女を自分と一緒に押し込む。
「み……!」
 ドアを閉め、振り向いた春田の手首を掴み、誰もいない真っ暗な部屋を進んだ。
「三島くん、なんで鍵かけるの?」
「お前開いてるの嫌いじゃん」
 月明かりが薄っすらと入る、カーテンのかかった窓際へ引っ張っていき、半ば強引に床へと座らせる。目が慣れてくると、春田の顔がはっきりと浮かんだ。
「何泣いてんだよ」
 両膝を立てて座り自分を見つめる傷つき濡れた瞳に手を伸ばし、両手で頬を包み込むと、彼女は幼い子どもの様にイヤイヤと横に首を振った。
「だって、三島くん嘘ついた」
「嘘?」
「私、三島くんの言う事聞いたのに。ちっともかまってくれない」
「……」
 いじらしい声に囚われた自分の感情は翻弄され、吐き出された熱い息はそこから逃げ出せない。
 しんとしたリビングに、キッチンから冷蔵庫の低く唸るような音が響いた。

「……もっと泣けば」
「え?」
「もっと泣けって言ってんの」
「……ひどい」
 大きな涙が頬に零れ落ちた彼女は、俺を睨みつけながら声を震わせた。
「なんで、私にばっかりそんな風に言うの?」
「興奮するから」
 即答した俺の言葉に、驚いた春田の大きな黒目が怯えを滲ませた。
「最初っからそれが目的」
「……そんなの、変」
「そう。俺、頭が変なんだよ。前にも言わなかったっけ?」
「何を?」
「……気が変になるほど、好きだって」
 沈黙する彼女の髪に顔を埋め、その香りに恍惚としながら問いかけた。
「怖い?」
「怖くないよ。三島くんは」
「じゃあ、舐めて」
「え」
「指。いつもみたいに」
 閉じられた柔らかい唇へ、自分の人差し指を押し付けなぞる。いつもならそこで言われた通りにする筈の春田は、顔を背け抵抗した。
「や」
「口開けろよ」
「さっき……何話してたの? 仲良さそうだった」
 明らかに嫉妬している幼いその顔に、込み上げる嬉しさと混乱を隠しながら、さらに追い討ちをかけもっと見せろと要求する。
「抱き締めてキスして好きだって言った」
「!」
「……って言ったらもっと泣く?」
「ほんとに、したの?」
「するわけないだろ。いいからもっと泣けよ」

 期待したものでは無かった表情に舌打ちをし、イライラとしながら四つんばいになり、言う事を聞かない彼女の脚へ手を掛け無理やり開かせた。
 白い左脚の太腿の内側に顔を寄せ、柔らかい肌に歯を立てる。
「いたっ……!」
 驚いた春田が咄嗟に脚を閉じようとするのを、左手で押さえつけさらに開かせた。
「何でこんな短いの穿いてんだよ」
「ショーパンだめ? 靴下は長いよ」
「……だめ」
 歯を立てた場所を優しく舐め上げ、吸い付いた。その度に小さく震える春田の反応を愉しみながら、わざと音を立て聞かせる。
「……三島、くん」
 徐々に場所を移動していく俺の頭に手をあて、抵抗する彼女の力に、かえって気持ちが駆り立てられる。
「何、してるの?」
「吸ってんの」
「……蚊みたい」
「……」
 小さな声で言い返してくる春田を無言で床の上に押し倒し、覆い被さった。床に彼女の髪が散らばる。窓の外からは花火の音と、奴らのはしゃぎ遊ぶ声が響いてきた。

「お前、最近生意気だよな」
 手首を掴み真上から見下ろすと、彼女はふいと横を向いた。
「そんなことないよ」
「エアコンの温度上げろとか、プリンシェイク買ってこいとか」
「だって……言ってみたかったんだもん」
「なんで」
「いつも苛められてるから、お返ししたかったの」
「じゃあ、お返しのお返し」
「!」
 掴んでいる両手首を彼女の頭の上に上げさせ、床に押し付けながら顔を寄せる。息もさせないほど強く唇を重ねたせいか、水に溺れた様に春田は俺の下でもがいた。
「苦し……」
「蚊だから吸ってんだよ。腹減ったし」
「だからさっき、私のあげるって言ったのに」
「今食べてるからいらない」
「皆、もう花火終わったんじゃない?」
 掴んでいた手首を離し、必死で話を逸らそうとする彼女の顔を再びこちらへ向けさせる。
「……別に関係ない」
 柔らかなTシャツをまくり上げると、月明かりに青白い肌が浮かび上がった。

「ほんと、ダメだってば」
「……」
「三島くん……!」
「でかい声出すなよ」
 唇を左手で塞ぎ、露になっている肌を右手で優しく撫でていく。指先を伝う冷たい滑らかさと温かく湿った感触に溺れ、堪らず溜息を吐いた。何度も身を捩っていた春田は、いつの間にか大人しく俺に身を任せている。口から手を外し、さっきとは打って変わって低く優しい声で囁いた。彼女が、悦ぶように。
「どうして欲しいか、言ってみな?」
 虚ろな視線を合わせて来た春田は、突然俺の首に手を回し頬を摺り寄せ、しがみついてきた。
「私も、変だから」
「変?」
「意地悪されても……イヤじゃないの」
「……」
「変なの私。本当はもっとこうして、三島くんに確かめて欲しい」
 掠れた声で耳元をくすぐる甘い言葉が胸に刺さり、そこで我に返った。

「悪かったよ。……ごめん」
 床に手を着き、春田から身体を離し起き上がる。横たわる彼女の傍に座り、涙で濡れた頬を拭ってやった。
「……俺、こういうとこ苦手。知らない男に、お前がいろいろ声かけられてんのとか見るのも無理」
「え……」
 春田は裾のまくれたTシャツを直しながらゆっくりと起き上がり、乱れた髪のまま、片膝を抱え座る俺を見つめ、目を丸くした。
「もしかして、三島くん」
「……」
「二人の方が良かったの?」
 誰かが振り回しているのか、時折花火の光が不規則にカーテンへ映り、いくつもの筋になって互いの服の上を彷徨っている。
「ほんとに?」
「当たり前だろ。どうでもいい邪魔は入るし、なんもできねーし。全然楽しくない」
「私……三島くん、飯島くんと仲がいいから絶対行きたいんだと思ってたの」
 目を逸らすと、彼女は覗き込むように下から俺を見上げた。
「私が行きたいって言ったから?」
「……」
「三島くんて、本当に私のこと好きなんだね」
「……調子に乗ってんなよ」
「赤くなってる」
「なってねーよ! 暗いのに見えんのかよ」
「……見えるよ。わかる」
 伸びてきた白い手は、俺の髪に触れた。
「大丈夫だよ」
「なにが」
「ちゃんと好き、だから。三島くんのこと」
 優しく髪を撫でる手を取り、壊れないように今度はそっと握る。
「お前以外ムリだって言っておいたから」
「え?」
「さっきの女に」
 花火が足りないという声が外で飛び交っている。忘れられたのか、気を遣っているのか、飯島のお陰なのか、俺たち二人を探しに来る奴はいなかった。

 冷え込んだ空気の中、草を踏みしめコテージの裏へ回り二人で空を見上げる。手を繋ぎ、降るような星空を仰いでいると、相変わらず暢気な声で春田が俺に言った。
「今度は二人でどこか行こうね」
「……ああ」

 何も疑うことの無いその笑顔を、誰に見せることなく自由にできるのなら。鎖で繋がれたまま言いなりにされ、鈍い痛みを感じているのは彼女だけじゃない。

 足に絡みつく待ち伏せしていた棘のある蔦のように、罠にかかった途端離れる事なく戯れ、ただその身体も心も……求め続けていく。

















 最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。またいつか「泥濘」番外編を書けたらと思っております。
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 ナノハ

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