「これもいらない、これもー……いらない! あとはシュレッダー!!」
 彼との思い出を、燃えるゴミとプラスチックゴミと紙ゴミに分けていく。クッションの横にあるスマホをチラリと見て、それに向かって宣言した。
「データもあとで全部消す!!」
 画像も動画もいらない。SNSは……既に彼からブロックされている身なのでどうでもいいけど、もうスマホごと捨ててしまいたいくらいだった。機種変更しようか。
 歯を食いしばりながら、袋の中へ思い出という名のゴミくずをぼんぼん突っ込んでいく。調子が乗ってきたところで、ふと小さな箱が目についた。
「これは」
 婚約指輪の入ったそれを手に取り、じっと見つめる。

 カフェで彼に水をぶちまけた一週間後、私たちは示談で婚約破棄を成立させた。どうせダメならズルズルと引きずるよりはいいのだろうけれど、それにしても彼の行動は素早かった。
 このあと、彼から個人的に連絡があったのは私宛てに郵送された手紙のみだ。
 結婚式の招待状を送った人たちへ詫び状を出しておいたこと、式に関する諸々のキャンセル料を支払ったこと、慰謝料を私の口座に振り込んだこと、という事務的なものだった。
 詫び状だけでは申し訳ないからと、私の両親が親戚に連絡をし、お詫びの品も送った。私も電話口で謝罪をした。こちらは何も悪くないのに何で謝らなければいけないんだろうと、ぼんやり考えながら。
 そうして「やっぱりやり直そう」と彼が言ってくれることを期待し、待っていた私はバカだ。本当に本当ーーにバカだったと思う。
 指輪を取っておいたからといって、この先どうだっていうの。

「だからこれも……いらんっ!!」
 小箱を頭上に振り上げ、袋にぶちこもうとして……やめた。
「あ、分別しないと」
 箱を開けると、あんなにきらびやかに見えた指輪が、今はとても哀れに見える。捨てられた私みたいだ。
「……指輪に罪はない、か」
 頭の片隅にこびりついている彼の言葉を思い出す。
 売るなり捨てるなりしていい、とかなんとか言っていた。でも捨てるのはやめたい。かといって持っているのもイヤだ。それなら残るはひとつ。
「よし、じゃあ売ってくる! 売ってやるんだからね! 明日売ってくるっ!!」
 ふたを閉めた小箱を、ベッドの上へ放り投げた。なるべく早く売ってしまおう。うん、それがいい。
「さてお次は、これらの処分か」
 床に散らばる二人で行った旅先のパンフや、映画やら美術館やらのチケットをわしづかみにする。全く……何でこんなもの後生大事に取っておいたんだか。
「うははははー! よく切れるわぁ〜!! やっぱネット通販シュレッダー部門一位なだけあるわぁ〜!!」
 プレゼントと一緒にもらった、彼からのメッセージ入りのカードもガンガン突っ込む。
「切れろ切れろ、うはははは!!」
「おねーちゃん、うるっさい! 何やってんのさっきから」
 部屋のドアがバンと開き、妹が入ってくる。
「あー、ごめん。うるさかった?」
 口を尖らせていた妹は、部屋の状況を見てはっとした。
「あ、こちらこそごめん。整理中だったのね」
「まぁね」
「いいことじゃん、そうやって前に進むのは」
「……そう?」
 目を伏せて、苦笑しながら別の紙類を手につかむ。

 苺パフェの味なんてさっぱり覚えちゃいない。
 彼と別れたあとから、私はDVDを借りまくって見ていた。恋愛以外のSFやホラーやアクションものの映画だ。ストーリーに入り込んで驚いたり、怯えたり、スカッとして楽しんだ。
 スマホで連絡を取り合う友人らは、私に気を遣って余計な話題は振ってこない。
 映画の他には漫画を読んで、ロック系の音楽をガンガン聴いて、好きな時間に起きて、好きな時間に眠った。
 なぜか私には、未だに彼との婚約破棄が他人ごとに感じられて、いつまで経っても実感が湧かない。ご飯も普通に食べてるし。家族と一緒にテレビ見て笑ってるし。

 涙も全然、出なかった。


+


 遅いお昼ご飯を食べていたら、二時を回っていた。
 支度をして田園都市線に乗り、渋谷で乗り換えて新宿で降りる。駅を出ると、ビルの合間から覗く空は真っ青な五月晴れだ。土曜日の午後ということもあって、東口駅前はたくさんの人であふれている。
「相変わらず混んでるなぁ、もう」
 人ごみに混ざるのは久しぶりだ。二か月間引きこもっていた私には、初夏の日差しが目に沁みる。
「よし、行こ」
 気合を入れて、歩道を歩き出した。

 大通りから一歩入ったビルの一階に、そのお店はあった。ブランド品の買い取りショップだ。整理券を渡され、簡易ブースの前に座る。ドアは三つあり、番号順に中へ入っていく仕組みらしい。
「二十三番の方、一番へどうぞ」
「はい」
 呼ばれて中へ入ると、男性店員が机の向こうに座っていた。店員の後ろには棚があり、様々な物が置かれている。全部買い取った品だろうか。
「大変お待たせいたしました。どうぞ、お掛けください」
「失礼します」
 店員と机を挟んで向かい合わせになる。
「本日はどういったものをお持ちでいらっしゃいますか」
「指輪なんですけど……」
 鞄を探って婚約指輪の小箱を机に置く。鑑定書や何やらも一緒に。
「ではお預かりいたします」
 白い手袋をはめた店員は、小箱から指輪を取り出した。
「失礼ですが、こちらは婚約指輪になりますか?」
「え、ええ。そうです」
「かしこまりました」
 私は今日、この婚約指輪を売るために、わざわざ新宿までやってきたのだ。指輪を買ってもらった時は、結婚資金に回して欲しいから安いのでいいと彼に言ったのだけど……確か二十万はしたはず。購入して半年も経ってないし、滅多につけなかったから、結構いいお値段がついたりして。

 宝石鑑定用のルーペを脇へ置き、かちゃかちゃと電卓を叩いた店員は、それを私へ見せた。
「ん?」
 いやいや、あなたそれ計算間違ってますよ。半額にも程遠いじゃないですか。そう告げようとしたとき、店員の冷静な声が届いた。
「こちら、二万五千円でのお引き取りとなりますね」
「……へ?」
 う、嘘でしょ!? 計算間違えてたわけじゃないの!? 息を吸った私は、店員に向かって大声を出してしまった。

「婚約指輪なのに!?」
「婚約指輪ですよ!?」

 な、なによ今の。
 私が言い放った「婚約指輪」の部分と被った言葉が、隣のブースから聞こえたんですが。それも男性の声だった。
 動揺しながらも、目の前のスタッフに向けて続ける。
「その指輪、購入してまだ半年も経っていないんです。ほとんど着けてないし、値段だって二十万はしたはずなんですが……」
 まさか隣のブースの男性も私と同じ立場……とか? それで私と同じタイミングで叫んじゃったんだろうか。でも世の中、婚約破棄された人なんて、そうそういるわけないか。
「大変申し訳ないのですが、その『婚約指輪』というのがネックでして。多分、他店に行かれても同じ結果になるかと」
「……そう、なんですか」
「婚約指輪を売るというのは、その、あまりいい意味の代物ではないと思われてしまいがちでして」
「なるほど……結婚が上手くいかなかった人が売りにくると」
「そうではない方もいらっしゃるのでしょうが、世間一般の受け止め方としては、はい」
 不幸の象徴というわけね。
「そんなの誰も欲しくないですもんね」
「ご理解いただけると助かります」
「わかりました。じゃあ、その金額でお願いします」
「かしこまりました。ありがとうございます」
 どうせ捨てるつもりだったと思えば、別にいいか。私が買った物じゃないんだし。いろいろとすっぱり諦めもつく。

 お金を受け取った私は、ドアを開けてさっさとブースを出た。すると隣のドアも開いて、男性が一人出てきた。
 もしや、さっき私と同時に叫んだ人!?

 目を離せずにいる私の視線に気づいた男性が、ゆっくりとこちらを向いた。