同じ朝が来る

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(4)誰にも言えない秘密




 出逢った日の次の朝から、木下さんは俺が乗る電車の三両目に乗っていた。

 彼女の姿を見つけ、目が合ってお互いの存在を離れた所から確認した後、少し照れたように小さく笑顔を交わした。彼女が俺の言葉を聞き逃さずに、期待した通りのその場所にいてくれたという事実に……胸が躍った。

 その日から毎朝、彼女は俺と同じ時間の、同じ電車の同じ車両に乗っていた。下り方面は朝でも空いているから、彼女がどこに乗っているのか一目でわかる。俺が乗り込むと、朝の光の車両の中、離れた所から視線を送ってくる彼女に、騒ぎ出す鼓動を抑え込みながら顔を上げ視線を返す。

 ――おはよう

 彼女の唇が挨拶の形を作ると、俺も同じ様に挨拶した。その後携帯を出して、メールで会話の続きを始める。

『昨日、ドラマ見た?』
『見た。結構おもしろかった』
『さっきね、目の前黒猫通り過ぎた』
『信じてんの?』
『うーん……ちょっとだけ』

 少しだけやり取りをし、どちらからともなく終わる。後はそれぞれ本を読んだり音楽を聴いたりして、離れた所からお互いの気配を感じつつ過ごしていた。
 彼女は俺の傍に近寄ることはせず、一緒に登校しようとも言っては来なかった。俺も林の事があるから、直接彼女に近付こうとはしなかった。その様子から、何となく何かを察してくれたのかもしれないし、もしかしたら林が言っていた、彼女の友達が俺の事を気に入っているという話、そのことが関係していたのかもしれない。
 その理由を確かめることも、傍に立つことも、隣に座ることもない。
 絶対の約束だって二人の間には存在しないのに、必ずこうして朝の時間を共有する。曖昧で、よく考えてみれば不思議な関係だよな。

『雨、上がった』
『あの雲、クマっぽくない?』
 どれ? って顔をして離れた場所にいる彼女を見つめると、窓の外を指差す。
『生物のクボタに似てるのの、隣』
『クボタがどれかわかんないって』
 くだらないことをメールし合って、二人だけにしかわからないくらい微かに笑って、またそれぞれの時間に戻り、いつの間にか駅に着く。

 毎朝、ただそれだけだった。
 そのまま何となく別れて、乗り換えの電車に乗る。そこから先は学校の生徒も増えるし、彼女と俺は何でもない顔をして、それぞれの友人と話しながら登校した。

 体育祭も終わり、校内では何の繋がりも無くなった木下さんと、偶然逢うのを心待ちにしている自分がいる。朝の電車以外でも、いつの間にか彼女の姿を探すようになっていた。

 外での体育の為に昇降口へ行き、下駄箱で外履きに履き替えていると本鈴が鳴った。その時チラリと、彼女が下駄箱の向こう側に見えた。
「あ! 靴紐ほどけた。悪い、先行ってて」
 わざと大きな声で友人に声を掛け、ほどけてはいない靴紐に手を当て、その場に残りしゃがみ込む。
「早く来いよ! 体育の藤ケン、最近機嫌悪いから」
「わかった」
 友人の足音が遠ざかるのとは逆に、上履きの足音が近付いて来た。もう、今から外に出る同じクラスの奴はいない。多分俺が最後だ。どうしても今、彼女の声が聞きたい。これを逃したら、またいつ聞けるかわからない。

「……体育?」
「うん。そっちは?」
「シャーペンの芯買いに、購買」
「俺の、あげたのに」
「どうやって?」
「……だね」
「外、雨の後だから気をつけてね」
「そっちもね、黒猫」
「あ、そうだった」

 お互いの、息を吐き出すくらいの微かな笑みが伝わった。
 自分でほどいた靴紐を結び直しながら、顔も上げずに木下さんと会話をする。彼女も少し離れた所で下駄箱に寄りかかって、多分俺の方は見ていない。彼女の上履きが視線の隅に入った。彼女の姿を目で見る代わりに、身体中の意識がそこにしか向いていないみたいに集中してる。

 そこまで気を使うことも無かったのかもしれないけど、学校でも朝の電車と同じように、周りを気にしながら彼女と接していた。

「でもね、あたし黒猫……好き」
「……」
「好きなの」
 彼女の声に支配されて、動けなくなりそうだ。呟くように彼女に返す言葉に、別の意味をこめる。
「俺も、好きだよ」
「……」

 諦めに近い思いを、彼女に対していつも抱いていた。

 けど、自分の心の中だけで思いを留めておこうと決めてからも、こうした彼女とのささやかな時間を手放せなかった。林にも他の奴らにも見られたら困るから、こんな風にしか接することが出来ないクセに、ずるいんだ俺は。
 彼女が俺をどう思っているのか、もちろんそんなことはわからない。単に気が合う友達で、毎朝退屈凌ぎに俺に合わせて電車に乗ってくる、本当はそれだけなのかもしれない。
 それでも、初めて会った時から何かが伝わっている気がしていた。

 お互い何も言わずに同時にその場を去る。遠ざかる彼女の足音が響いて耳に届いた。

 ――俺も、好きだよ

 黒猫のことじゃない。彼女にこう言えたらどんなにいいだろう。そう思っただけで胸が震える。


 毎朝、同じ時間の同じ車両に乗る。それは予感に気付かない振りをした夜の、次の朝から始まった。

 彼女と出逢ってから、二ヶ月。
 人から見たら何てことない、誰にも言えない秘密だった。




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