最近少し気になることがある。
 少しどころか、ものすごい気になってるんだけど。

「かぼちゃプリン三つください」
「かしこまりました」
 テイクアウトの接客をしていると、永志さんが厨房から私の代わりに料理を運んできた。いい香りが漂ってくる。
「お待たせしました。かぼちゃグラタンとオムライス、カルボナーラです」
「あの〜店長さんですよね?」
「はい」
「雑誌買いました。『カフェどころ』」
「ああ、ありがとうございます」
 レジのすぐ向こう、三人組の女子が座っているテーブルでの会話がここまで聞こえてくる。私はプリンを箱に詰めながら耳を超ダンボにしていた。
「一緒にいいですか?」
「え」
 永志さんの驚いた声に、振り向いて思わずそちらを見てしまった。
 デジカメ持ってるよ! 隣のテーブルのお客さんに頼んで店長と皆で写真撮ってるよ! 女の子たち何気に永志さんにくっつきすぎじゃない? 永志さんの嬉しそうな笑顔……。
「かぼちゃプリン三つで750円になります」
 私は引きつりまくりの笑顔で接客しています。
「ありがとうございました」
 最近気になるっていう悩みは、これ。
 雑誌に特集されてからというもの、椅子カフェ堂に来てくれるお客さんの中に、店長目当てで来店する人が急激に増えた。私がテイクアウトのお客さんの相手をすることが多くなって、永志さんがホールに度々出てくるから余計に。それはほんとにありがたいことだし、私も以前は望んでいたことなんだけど。
 でもさー、ファンですとかリプが入ってたりさー、長文のメールまで送ってくる人とかさー、今みたいに画像撮るのもいけないわけじゃないんだけどさー……。
 同じ職場なんだから全部見えてしまうのはしょうがない。でも、このもやもやした気持ちをどうにかしたい。ただのつまらない嫉妬なのは、わかっているんだけど。

 夜の七時半になったところで、永志さんがホールにいる私に声を掛けた。
「くるみちゃん、もういいよ。これからみもと屋へ行くんだろ?」
 最近にしては珍しく、今ホールにお客さんはいない。
「すみません。じゃあ、あとお願いします」
 餡子を提供してくれるという和菓子店「みもと屋」さんのところへ、コラボの打ち合わせに行くことになっていた。
「頑張れよ。期待してるから」
「はい。あの」
「ん?」
「永志さんの好きなものって、」
 優しく私を見つめる彼に問いかけようとした、その時。
「こんばんは〜!」
 椅子カフェ堂のドアが開いたと同時に男の人が入って来た。挨拶をしたその人は私たちの方を見て言った。
「駒田さんています?」
「はい、私ですが……?」
「僕、みもと屋の古田(ふるた)です。お迎えに来ました。今日はよろしくお願いします」
 その場で深々とお辞儀をした彼は顔を上げて再びこちらを見た。
「わざわざ迎えに来て下さったんですか?」
「話を持ちかけたのはうちですから、当然です」
 にっと笑った古田さんの元へ、私と店長で歩み寄る。
「みもと屋さんの息子さん?」
「ええ、そうです」
 永志さんの問い掛けに答えた古田さんは、黒髪ですっきり目のマッシュショートに黒縁メガネをかけ、細身のスーツを着てネクタイを締めていた。とてもじゃないけど和菓子屋の息子さんには見えない。普通にサラリーマンの格好だよね。永志さんより年下なのはわかるけど、私よりは上な感じ?
「椅子カフェ堂の店長やってます、有澤です。コラボしていただけるそうで、どうぞよろしくお願いいたします」
 永志さんがお辞儀をすると、古田さんが店内を見回して言った。
「このお店、有澤食堂の面影は全くないんですね〜」
「え、ああはい。ご存知なんですか?」
「何度か食べに来てます。小さい頃ですけどね」
「ありがとうございます」
 お礼を言った永志さんを古田さんが上目づかいで見た。永志さんよりも彼の方が10cm程背が低い。
「カフェ・マーガレテの経営者の息子さんなんでしょ? 何であっち継がなかったんですか?」
「……は?」
 何この人。初対面で普通そんなこと訊くもの? 呆れた声を出した永志さんの横で、私は眉間に皺を寄せて古田さんの顔をじっと見つめた。というか睨んでしまった。
「あのカフェは潰れたけど、お父さんてファミレスと居酒屋チェーン店の経営者ですよね? せっかくあんな大きな会社やってるのに勿体ない。……ああ、もしかしていずれはここを畳んで継ぐってやつですか?」
「違いますよ。ずっとここだけを経営するつもりですから」
 あ、永志さんが怒った。にこにこしてるけど、「だけ」って言葉を強調した声で何となくわかる。
「うちの親父と気が合いそうですね、古田さんは」
「合うと思いますね。僕が有澤さんだったら、今すぐ大喜びで会社を継ぎますよ」
 パンツのポケットに手を入れた古田さんはスマホを取り出して何かを確認した。
「もうこんな時間だ。お話の途中ですみませんが、駒田さん行きましょうか?」
「……はい」
 なんか嫌だな。この雰囲気のまま行きたくないよ。
「有澤さん、駒田さんお借りしますね」
「よろしくお願いします」
 古田さんの笑顔に反応しないままの表情で永志さんが答えた。……機嫌悪そう。
「店長、行ってきますね」
「うん。くるみちゃん、終わったら迎えに行くから連絡入れてよ。遅くなるかもしれないんだし」
 はいと返事をしようとしたのに、横から古田さんが答えた。
「僕が送りますから大丈夫ですよ。有澤さん仕込みあるんでしょうから、ゆっくりそれやっててください」
「……じゃあ、お言葉に甘えてお願いします」
 一瞬むっとした永志さんが頭を下げる。
 確かに古田さんが言ったように永志さんは仕込みがあるから迎えに来てもらうのも悪いんだけど、彼と一緒に帰りたかったな。なんか……すごく不安。

 椅子カフェ堂を出て、古田さんと一緒にみもと屋へ向かう。涼しい夜風が半袖のブラウスから出た私の腕を撫でた。帰りは寒いだろうから、と永志さんが貸してくれた彼のパーカを羽織る。袖は長いし肩は落ちるし、私の体に全然合わないんだけど、彼にすっぽり包まれているみたいで不安な気持ちが少しだけ和らいだ。
「くるみちゃんって呼ばれてるんですね」
「はい」
「ふーん。僕もそう呼ぼうかなー」
 隣を歩く古田さんが私を振り返って言った。何かを含んだ笑顔に、何となく返事をする気にもなれなくて、黙ったまま石畳の上を歩いた。
 どんな顔していいかわからないよ。永志さんに挑発的なことを言うわりには全然気にしてないみたいだし。永志さんのやり方が気に入らないの? だったらどうして椅子カフェ堂とコラボしたいだなんて言い出したんだろう。私、この人とちゃんとやっていけるんだろうか。
 頭の中をいろんな疑問がぐるぐるしている間に、気付けば駅前に来ていた。

 家路を急ぐ帰宅途中の人たちで駅は溢れかえっている。改札前を通り過ぎ、駅向こうの商店街に入った。以前永志さんにケーキを買ってもらったお店の前を通り過ぎ、お蕎麦屋さんと惣菜屋さん、お肉屋さん前を歩いていくと、その先に「みもと屋」さんが店を構えている。
 そろそろ閉店時間らしく、お店の前に置かれたワゴンを店員さんが片付けていた。
「ただいまー」
「お帰りなさい、壮介(そうすけ)さん」
 二人いる年配の店員さんが、古田さんに向かって声を揃えて言った。私も彼女たちに軽く会釈をして彼のあとについてお店に入った。壮介って名前なんだ。

 みもと屋さんのことはあまりよく知らないんだけど、この辺では結構な老舗に見える。黒ずんだ柱がお店の中に数本立ち、床は土間になっている。入口のガラス戸の木枠が柱と同じ年月を重ねたいい色に変化していた。
 古田さんが奥に向かって声を掛けると、おじさん、おばさんが出てきた。
「椅子カフェ堂さんでスイーツを作ってる駒田さん。みもと屋店長で僕の父と、ここで一緒に働いている母です」
 古田さんの紹介に、二人へ頭を下げる。
「椅子カフェ堂で働いている駒田と申します。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。有澤さんのとこと仕事をさせていただけるなんて光栄だ」
「有澤さんには食堂の頃からお世話になってるんですよ」
 おじさんとおばさんの優しい笑顔にホッとした。
「ご迷惑おかけしないように精一杯頑張りますので」
「デザートのことは壮介に任せてあるから、わからないことがあったら何でも息子に言って下さいね」
「はい。ありがとうございます」
 一通り挨拶が済むと、古田さんに別室へ連れて行かれた。土間続きの少し薄暗い通路を通ってお店の裏手に回る。和菓子屋さんだけあって、お家の造りは昔ながらの日本家屋。障子を開けると二間続きの和室あり、奥の部屋へ案内された。
 どうぞ、と差し出された座布団へ座る。彼は大きな座卓の上に、鞄から取り出したタブレットとポケットからはスマホ、そして商店街のチラシを置いて、私の斜め前に座った。部屋の端に置かれた横長の文机には、パソコンが二台と本がずらりと並んでいる。和菓子に関するものではなくビジネス書が多いようだった。
「あの、古田さんも和菓子作られるんですか?」
「作るように見える?」
「……全然」
 首を横に振った私の答えに古田さんが驚いた顔をした。まずい。思わず言っちゃったけど、失礼だったかな。
「正直だね。お世辞でもいいから、作りそうって言えばいいのに」
「ご、ごめんなさい」
 もしかして怒らせた? コラボ企画中止とか言われたらどうしよう。せっかく永志さんが紹介してくれた素敵な話だったのに。
「くるみちゃんて面白いね〜。気に入った!」
「へ?」
 私の心配とは逆に楽しそうに笑った古田さんに拍子抜けしてしまった。……何だかよく掴めない人だなぁ。
「もちろん僕は作らないよ。この店のプロデューサーみたいな感じなんだ」
「プロデューサーですか」
「このご時世、普通の和菓子屋なんて売れやしない。みもと屋は老舗ってほど古くもないし中途半端なんだよ。あの手この手使って、どうにかしてるわけ。僕は営業やってるの。ちょっと見てみて」
 タブレットでweb検索した彼が画面を指差した。
「店頭はお飾りみたいなもん。今のみもと屋はこれだよ」
 そこに現れた「みもと屋本舗」というページ。お店にはないような和菓子の商品が華々しく紹介され、有名なショッピングサイトで何度もランキング一位を獲得していた。
「す、すごい……!」
 思わず興奮して叫んでしまった私に、古田さんが静かな声で言った。

「今は年商億単位を目指してるんだ」