永志さんの部屋で朝ご飯を食べ終えた私は、駅前のお花屋さんに行き、椅子カフェ堂に飾る、ばら売りのケイトウを買った。
 季節的にまだ少し早いから、お値段高めで贅沢しちゃったけど、たまにはいいよね。駅に向かって来るサラリーマンの人たちと逆方向へ歩き出す。この時間は人が多いなぁ。
「くるみちゃん」
 名前を呼ばれて振り向くと、そこには黒縁メガネを掛けたスーツ姿の男性が立っていた。
「古田さん! お仕事ですか?」
「うん。これから九州に出張なんだ。でもその前に、そっちの通りの乾物屋に寄って仕入れの相談してから行こうと思って」
「九州まで!? 大変なんですね」
「直接営業に行かないと、わかってもらえない場合が多いからね。くるみちゃんは、お店に戻るの?」
「はい。そのあとまた住谷パンさんに出掛けます」
 途中まで一緒に行こうと言われ、古田さんと並んで駅構内から歩み出た。

「くるみちゃんに恩返しできたかな〜僕」
 石畳の通りに入った時、古田さんが言った。この人、本当に永志さんと職人さんより年上には見えない。幼いわけじゃないんだけど、髪形とか顔とか、なんていうのか全体の雰囲気が若いし、永志さんとは全く別のタイプだけど、結構かっこいいんじゃないかと思う。
「恩返し、って?」
「コラボのお蔭でうちの店に来る人が増えたし、何より椅子カフェ堂さんと組んだことで両親の信用度が増したんだよね。だからくるみちゃんに、何かお返ししたかったんだ」
 夜中に雨が降ったらしく、濡れた歩道が朝日に反射してきらきら光っていた。
「昨夜、僕が帰った後、有澤店長焼きもち妬いてくれた?」
「え!?」
「くるみちゃん落ち込んでたから、わざと有澤さんの前でハグしたんだけどねー。効果なかったかな?」
「あ、ありました」
 ありましたどころじゃないです……! 効果ありすぎて、永志さん、違う人みたいだったんだから……。思い出して一人赤くなる。
「それは良かった。抱きついた甲斐があったよ」
 古田さんは水溜まりを避けながらポケットからスマホを出し、何かを確認してすぐにまたポケットへしまった。お仕事の確認かな。その様子を見ていると、気付いた古田さんが私に笑いかけた。
「僕ねー、今度見合いするんだ」
「お見合いですか!?」
 意外と古風なことするんだ。でも和菓子屋さんなら、ぴったりな感じもする。彼女いそうだと思ってたのに、いなかったんだ。
「だから店長に心配しなくてもいいよ、って一週間後くらいに伝えておいてよ、くるみちゃん」
「一週間後?」
「効果あったってことは、僕とのこと誤解してるんでしょ? せっかくだから有澤さんが焼きもち妬いてる期間を少しでも伸ばしておけばいいじゃない」
 そんなの身が持ちません……。でも古田さんって、最初感じた時よりもずっと優しくて、周りの人のことをよく見ている人だなってわかった。彼のお蔭で、こうして永志さんとの距離が前にも増して近くなれたわけだし……。私も古田さんに感謝してる。だからこそ、きちんと言おう。

「古田さん、通販のことなんですけど」
「ああ。どう? いい方向に考えてくれた?」
「ありがとうございます。でも、お断りします」
「そうなの? どうして?」
「まだ椅子カフェ堂でしたいことがたくさんあって、そこまで手が回らないと思うんです」
「へえ。たとえばどんなことしたいの?」
「私、自分で餡子を作ってみたいんです」
「餡子を?」
 古田さんが驚いているのがわかった。私は前を向いたままで話を続けた。
「もちろん、みもと屋さんの足元にも及ばないのは、よーくわかってるんですけど、でも自分でも一度はやってみたいなって思いました。それも全力でやりたいんです。だから、ごめんなさい……!」
 足を止めてその場で頭を深く下げる。風に舞った枯葉が一枚、足元に運ばれてきた。一緒に立ち止まった古田さんが大きな声で笑った。
「はははっ! そうか、そうか!」
 楽しそうな声に顔を上げると、にっこり笑った古田さんと目が合った。
「まさかそういう答えが返ってくるとは思わなかった。やっぱりくるみちゃんって面白いよね〜」
「そ、そうですか?」
「有澤さんが駄目って言ったのかと思ったよ。そうじゃないんだ?」
「はい。寧ろ店長はやった方がいいって、私に勧めてくれたんです。きっといい勉強になるからって。でも、まずは椅子カフェ堂でやらなければならないことを、きっちりやりたいんです」
 今朝、永志さんの部屋で朝ご飯を食べながら、彼は私の為になるからと言って、古田さんの提案を勧めてくれた。もちろん私に時間の余裕があるなら、という条件付きでだけど。
「くるみちゃんの気持ちはわかった。もし餡子作りが、どうにもいかなくなったら頼ってよ。うちの親にアドバイスさせるし、コラボの時みたいに餡子を提供させてもらってもいい」
「そんな調子のいいこと……!」
「いいのいいの。僕もね、ネット販売だけじゃなくて実店舗に力を入れたいって思い始めてるんだよ。それに関しては椅子カフェ堂さんの方がよくわかってるだろうから、僕の方が助けてもらいたい時はぜひ椅子カフェ堂さんを頼らせて欲しい」
 昨日と同じに古田さんが右手を差し出した。
「だからお互い様ってことで、どう?」
「はい……! ありがとうございます」
 彼のその手に、昨夜のように再び私の右手を合わせる。今度は固く握手を交わし、仕事上の大切な関係を、しっかり築けたことをお互い確認できた。

「じゃあ僕はここで」
 椅子カフェ堂の一本手前の曲がり角で古田さんが言った。この先に大きな乾物屋さんがある。たまに永志さんもそこで買い物をしているみたい。
「出張お気をつけて」
「ありがと。……僕、くるみちゃんが有澤店長と付き合ってなかったら、くるみちゃんのこと好きになってたかもしれないな〜」
「え!?」
「冗談冗談。ただ、くるみちゃんにもっと早く会ってたら、みもと屋に対する僕の考えも変わってたかもしれない。これは本当」
 秋晴れの空を仰いでいた古田さんは、私に視線を下ろした。
「自信持っていいと思うよ。君は十分可愛いし、何よりそのガッツのあるところが魅力的なんだからさ。有澤さんや僕みたいに、自営してる人間からすれば相当に惹かれるものがある。上っ面だけで人を見るようなこと、有澤さんみたいな人はしないだろうし」
 古田さんは私の顔をじっと見た。
「あの人、真面目で気難しいでしょ?」
「……どうして、わかるんですか?」
「僕も似たような性格だから、よくわかる。その分、人を見る目はあると思うよ。そういう人がくるみちゃんを選んだんだから、絶対に大切にしてくれるはずだよ」
 優しく笑った古田さんの表情に胸がじんと熱くなった。なぜか、レジの後ろで縮こまり、卑屈になっていた自分の姿が胸を掠めた。
「ということで、またね」
 手を振って私とは違う方向へ歩き出した彼の背中を見つめる。と同時に思わず叫んでいた。
「古田さん!」
「ん?」
「ありがとうございます! ありがとう……」
 いいのいいの、と笑った彼は、私に再び背を向けて通りを歩き始めた。
 昨夜永志さんに与えられた無数の愛情と自信とはまた別の、仕事をしていく上での小さな自信を貰えたような気がした。上手く伝えられなかったけど、古田さんの言葉が素直に嬉しかった。

「ただいま〜」
 椅子カフェ堂のドアを開け、中に入り深呼吸をする。心からホッとするこの場所は、まるで我が家に帰って来たような錯覚を起こさせた。居心地がいいって、こういうことなんだろうな。
「お帰り〜。ごくろうさん」
 永志さんが窓を拭きながら私に声を掛けた。上の方までぴかぴかになっている窓を見上げてから、テーブルにピンクのケイトウの束を置いた。
「店長」
「んー?」
「駅前で古田さんに会いました」
「え!」
 昨日の今日だもんね。永志さんが敏感になるのもわかるけど、また誤解されないように今言ってしまおう。
「そこまで一緒に歩きながらお話したんですけど」
「うん」
 彼が手を止めて私を見る。ロールスクリーンを上げているそこは、逆光になっていて眩しい。
「古田さん、今度お見合いするそうです」
「……そうなの?」
「だから店長に……し、心配しないでくださいって伝えておいてって、言われました」
 自分で言うのも何だか恥ずかしいなぁ。
「ふーん」
 うわーうわー、低い声で言った、ふーんの返事が怖いよー。別に悪いことしてないよね?
「でも俺の気持ちは変わらないからね、くるみちゃん」
 窓ふきを終えた彼は、私の方へ歩きながら真剣な声で言った。
「結婚したいって気持ち」
「は、はい」
 永志さんがすぐ前に来て、かがんで私の顔を覗き込んだ。息が私の顔にかかるほど近い。昨日からずっと一緒だったクセに、いちいち彼を感じて反応してしまう。一緒に住んだら私、一体どうなっちゃうんだろう。
「あとは? 何か話したの?」
「はい。昨日の通販のお話をお断りしました」
「それ本当にいいの? 俺に遠慮してないよね?」
「してないです。永志さんにも言いましたけど、私今度は餡子作りに燃えそうなんです……! ぜひ作らせて下さい!」
「お、おう! 頑張れよ。出来ることがあったら協力するから」
「ありがとうございます。頑張ります!」
 私の意気込みに頷いた彼は、お店の隅にある洗面所に手を洗いに行った。

 雑貨置き場の前に行き、お花屋さんで買ったふわふわのピンクのケイトウを、ミルク色のポットに飾った。ドアの開く音がして、奥から職人さんが現れた。傍に来て私の顔を見た職人さんが眉をしかめる。
「お前、何一人でニヤニヤしてんだよ」
 そりゃ〜今日はもう何言われても怒る気になれないし、何をしてても頬が緩んじゃってるんだから、しょうがないんです。
 だって永志さんと……結婚だよ? 私が永志さんの奥さんになれるなんて、そんなことあっていいの……?
「え、えへへへへ〜」
「んだよ、気持ちわりーな。寄るな触るな」
 職人さんが私に向けて、手をしっしっと振った。
「寄ってないし触ってもいません」
「どうせ永志絡みのことで、にやにやしてんだろ」
「そうだよ。良晴、御祝儀は十万くらいでいいからな」
 いつの間にか近くに来ていた永志さんが、私と職人さんの会話に入って来た。ご、 御祝儀って……?
「はあ? 何だよ十万て」
「これから忙しくなるんだ。まずくるみちゃんにプロポーズするだろ。そのあとすぐにご両親に挨拶行って……」
 永志さんの言葉を聞きながら腕を組んだ職人さんが、小さく何度も頷き、私に視線を置いた。
「なるほどね。それで気持ち悪い顔して笑ってたのか。良かったな、ちんちくりん」
 意地悪な笑い方をした職人さんを睨み付ける。
「そ、その呼び方したら、もう何も作りませんからね……! 餡子の他に抹茶プリンも作ろうと思ってたのに、もう職人さんには絶対あげない」
「なんだと!? 俺の念願の抹茶プリンを……!?」
「そうですよ」
「それは悪かった。もう二度と呼ばないから許せ、おら」
 頭をぐりぐりされて髪がめちゃくちゃになってしまった。全然謝る気ないよねー。相変わらず俺様なのは、もう一生直らない気がする。
 永志さんが私の髪に触れ、整えながら言った。
「そうだ。二人とも年末開けといてなー」
「何でだよ?」
「椅子カフェ堂、初の社員旅行をします。社員っても三人しかいないけど」
「えー!!」
 私と職人さんとで声を合わせて叫んでしまった。しゃ、社員旅行!?
「一泊だけね。温泉ね。あ、三人一緒の部屋なんだけど、二間あるからさ。寝る時は男女で分かれような」
 私たち三人で旅行だなんて、考えたことも無かった……!
「親父絡みで結構いい宿が取れたんだ。良晴、美味い酒たくさん飲めるところなんだってさ。良かったな」
「……いいのかよ。俺、邪魔じゃね?」
 珍しく職人さんが遠慮がちに言った。
「いいに決まってんだろ。くるみちゃんも、それでいいよな?」
「もちろんです! 職人さんも一緒に行きましょうよ。三人でお出かけは初めてですよね。私すごく楽しみです!」
「うん。二人にはいつもお世話になっているので、ぜひ労わせて下さい」
 永志さんが私たちに深々と頭を下げる。それを見て何も言わない職人さんの背中を、思いっきり叩いた。
「いってー! 何なんだよお前は!」
「いつものお返しです。一緒に行きますよね?」
「お前らがいいって言うなら、行ってやってもいい。まぁ、せっかくだから早目に出掛けて、いろんなところ回ろうぜ。サービスエリアでソフトクリーム食うだろ、それから地ビール買って……」
 行くとなったら途端に目を輝かせた職人さんがおかしくて、永志さんと目を合わせて笑ってしまった。
「良晴、行きはお前が運転しろよ。どうせ帰りは酔い潰れてんだろうから」
「わかった。で? お前ら結婚式はやんの? やるならいつだよ?」
「急に話題戻す奴だな〜」
 永志さんが苦笑して話を続けた。結婚式なんて、まだ気が早くない?
「俺は春くらいがいいな。くるみちゃんはどう?」
「い、いつでもどこでも大丈夫です!」
 急に振られて、心臓がどきーんとした。昨日から幸せなことがありすぎて倒れそうだよ。
「明日でもいいとか言いそうだよな、お前は」
「そ、そんなことないです、けど」
「どうだかね〜」
 にやにやと笑った職人さんはスツールをひとつ持って、事務所へ戻って行った。ここのところよく注文が入るみたいで、彼は最近いつも上機嫌だった。

 永志さんと二人になったホールは、開店前の静けさを取り戻した。
「くるみちゃん。来週の休み、俺と一緒に出掛けてくれる?」
「? はい」
「いくら来年のことを話したって、まずはそれをしないと始まらないからな〜」
 私の前に来た永志さんが、かがんで私の両肩に手を置き、耳元で囁いた。
「ちゃんとプロポーズさせて、ね」
「……はい」
 返事をした私に、微笑んだ彼がキスをした。途端に胸がきゅーっと苦しくなる。それは彼に恋している証拠の心地良い痛み。
「何もかも幸せすぎて、夢みたい」
「夢じゃないよ」
 笑った永志さんが、その大きな手で私を優しく抱き締めてくれた。
 彼の匂いとホールに漂う美味しい香りをいっぺんに吸い込んで、数か月後に迎える幸せを想像しながら彼の胸に顔を埋めて、また頬を緩ませた。





〜了〜





番外編「和フェアへようこそ!」これで完結です。最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました!

次話はこの続き、三人の年末社員旅行のお話(前編・後編)になります。