「おはようございまーす! 椅子カフェ堂です」
「おはよう! できてるよー」
 住谷パンのおじさんがバゲットを茶色の紙袋に入れて渡してくれた。いつもに増して笑顔がすごいんだけど、何かいいことあったのかな?
「いやあ、椅子カフェ堂さんのお陰で、うちのパンがバカ売れしちゃってさ」
「ほんとですか!?」
「ほんとほんと。あの雑誌に『使っているパンは全て住谷パンさんのもの』なーんて書いてくれたもんだから、問い合わせが毎日何件も来ちゃってさ。椅子カフェ堂の帰りです、なんてお客さんもいるくらいなんだから」
 レジには「カフェどころ」が置いてある。ちょこっと載ってます、なんて付箋が貼ってあって私まで嬉しくなってしまう。あとでこのことを田原さんにメールでお伝えしよう。きっと喜んでくれるよね。
「椅子カフェ堂さまさまだな」
「そんなことないです。だってここのパン、本当に美味しんですもん」
 まあね、と返事をしたおじさんが、もう一つの紙袋に焼き立てのメロンパンを五つも入れてくれた。
「今日はオマケ多めにしておいたよ。店長さんと、あと椅子作ってる人だっけ? と、くるみちゃんで仲良く食べな」
 受け取った袋から立つ、甘い匂いに顔がにやけてしまう。
「ありがとうございます。美味しそう〜!」
「今日は特別美味しく焼けたからな」
 いつもの笑顔に私も釣られて笑い、その場を後にした。

 住谷パンを出て日陰を選びながら歩く。今日も朝から日差しが強い。「カフェどころ」が発売されてから一か月。最初の二週間くらいは、経験したことの無いお客さんの数で、店長も職人さんも私も、仕込みや準備を合わせて一日中椅子カフェ堂でへとへとになるまで働いていた。
 今はだいぶ落ち着いたけれど、それでもお客さんが途切れるということはなかった。
「ただいま。店長、住谷パン行ってきました」
「おう、お帰り〜。ありがとな」
 厨房に入って彼にバゲットとオマケのメロンパンの袋を渡す。
「これ何?」
「メロンパンです。またオマケもらっちゃった」
「住谷のおっさん、くるみちゃんが行くようになってから頻繁にくれるようになったよな〜。俺が行ってもオマケしてくれなかったくせに」
「そうなんですか?」
「そうそう」
 メロンパンは事務所に置いときな、と渡され、彼はバゲットを調理台の上に置いた。
「あの」
「ん? どうした?」
「お願いがあるんです。忙しいのにごめんなさい」
「いいよ、何?」
「窓のロールスクリーンが、む」
 私の前に来てかがんだ永志さんに、またもや、ちゅ、とキスをされてしまった。顔を離した彼が目を細める。
「頼み事するくるみちゃん、可愛い」
「ま、また、なな何するんですか……! 職人さんがいたら、いえ今はホールにいませんけど、見られちゃったらどうするんですか!」
「前にも言ったけど、気を付けてるから平気だって」
「もう……!」
 楽しそうに笑った彼をホールの窓際へ連れて行く。上の方を指差した。
「ロールスクリーンの紐が引っかかって、うまく上げ下げできないんです」
「ほんとだ。ちょっと待ってな」
 靴を脱いで椅子に乗った彼は、手を伸ばして難なく引っかかりを直してくれた。やっぱり背が高いっていいな。
「ありがとうございます。良かった」
「お前は、そんなのも自分で出来ないのかよ」
 大きな声に振り向くと、職人さんが新作の椅子をニ脚両手に抱えて、こちらへ歩いて来た。
「今度、自分用の脚立買ってきますってば」
「時にくるみ、お前身長何センチなんだ?」
 椅子を所定の場所に置いた職人さんに、突然びしっと指をさされた。椅子から降りた店長も私を見て呟いた。
「そういえば、俺も知らないな」
 永志さんまで興味持っちゃったよ……! できれば知られたくないから、話を逸らそう。
「お二人のを先に教えてください」
 頷いた永志さんが答えた。
「俺は182cm」
「俺、183cm」
「良晴のが微妙に大きいんだな」
「俺も知らなかったわ。永志の方がデカいと思ってた」
 いつも威張ってるから、私には普通に職人さんの方が大きく見えてましたけどねー。
 二人が盛り上がってる内に逃げ出そう。そろりと足を踏み出すと肩を叩かれた。
「で?」
 職人さんが私を見下ろした。こわー……威張ってるっていう心の声聞えました?
「ひゃく、」
「なんて? 聞こえない」
「150cmジャストですが何か」
 別に恥ずかしくないし、少し不便だけど生活に支障はないし、最近Sサイズが豊富になったから服だって困ることなんか全然ないですし。
「そうなんだ。どうりで……」
 と言いかけた永志さんが、慌てて口に手を当て黙った。どうしたんだろ、顔が真っ赤になってる。私と目が合うと、彼はすぐに顔を逸らした。すかさず職人さんが、にやっと笑って永志さんを肘でつついた。
「いろいろ大変そうだな」
「い、いろいろって何だよ」
「いろいろって言えばいろいろだろ。やりにくいっていうか、いでーっ」
 そ、そういうこと!? 確かに、あの時の永志さん、少し大変そうだった気がするけど……。ベッドの上でのことを思い出して私まで顔が熱くなる。32cmも差があったら、そうだよね。
 あ、私今、思いっきり職人さんの腕つねったんだっけ。
「痛いなお前は〜! 何で俺にばっかり暴力的なんだよ」
「余計な事言ってないで、これ移動するの手伝って下さい」
 窓際に置いたディスプレイ用のテーブルを指差す。向きを少しだけ変えて、職人さんの椅子を外から見えるように置きたいんだよね。
「やだ。俺はいつも忙しいつってんだろが」
「俺がやるよ」
 職人さんの前に出た永志さんがテーブルの端を持ち、こっち? と私に訊いた。
「あんま、くるみを甘やかすなよ? お前も忙しいんだから」
「いいんだよ。俺にはいくらでも甘えて欲しいんだから。な? くるみちゃん」
「え……あ、ありがとうございます」
 また優しい顔して、そういうことを職人さんの前でさらっと言う……。ますます赤くなる私の前を、職人さんが呆れた声を出しながら通り過ぎた。
「あーはいはい。勝手にやってくれよ。俺は自分の作業しにいくから、これ値段付けとけよ、くるみ」
「はーい」
 職人さんがポケットから出した椅子の値段のメモを受け取る。
「良晴、今日のまかないドライカレーな。開店前に食う?」
「今日は一日忙しいから、開店前にもらうわ」
「わかった」

 出来上がったスイーツをショーケースに並べた。いつも通り彩りは綺麗だし、何より美味しそうに見える。今日もたくさんオーダーが入るといいな。
「あとはお花、お花」
 まだまだ暑さは厳しいから、お客さんに少しでも涼しさを感じてもらえるようにと、用意しておいた鮮やかな青いお花をピッチャーにざっくり入れて飾った。
 開店まであと五分。
「くるみちゃん、一緒に来てくれる?」
「はい」
 ホールに来た永志さんと扉を出て、外から倉庫に回った。
 倉庫の中から外看板を持ち出した店長が、再び椅子カフェ堂の扉まで来て、それを横に置いた。
「これでよし、と」
 宣伝の文字が書き換えられた立て看板を、彼はそこから一歩下がって確認した。
「どうかな? 文字、曲がってない?」
「大丈夫です。ばっちり!」
 彼の隣で一緒に立て看板を眺める。
 この立て看板を初めて見た時、へんてこなお店、という感想しか出てこなかった。でも今は、この看板に私の役割も書き加えてもらえたことを、誇りに感じている。
「遅くなってごめんな。ずっと気になってたんだけど忙しくて出来なかった。昨夜思い出して書き直したんだ」
「そんな、謝らないで下さい。すごく嬉しいです……! 二人の仲間になれたみたいで」
 感激している私の頭に、彼が優しく手を置いた。
「くるみちゃんがここに来てから、一年と少し経ったんだもんな」
「はい」
「いろいろ在り過ぎて、あっという間だったけどさ」
「そうですね。私、椅子カフェ堂に来て人生変わっちゃいました」
「俺と椅子カフェ堂だって、ここでくるみちゃんに出逢って、ずいぶん人生変わったと思うよ」
 お互いに顔を見合わせて微笑みあう。
「そろそろ開店時間だな。入ろうか」
「はい」
 一歩踏み出してから、もう一度振り返って、彼が直してくれたその文字を見つめた。

 コーヒーとごはんと椅子とあまいもの、あります。
 (11:00〜20:00 LO19:30)

 今日もたくさんの人に来てもらえますように。
 ここを気に入ってもらえますように。
 そしてまた、訪れてもらえますように。

 椅子カフェ堂のドアが開いて、からりんと鳴るベルの音を聴きながら、彼のあとに続いてホールに入った。







 〜了〜
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました!
またいつか椅子カフェ堂で働く、くるみたちの番外編などを書けたらいいなと思っております。
感想や拍手などいただけますと、大変嬉しいです。あとがきはブログにて。
葉嶋ナノハ