「どこへ行っていたんです? 屋敷中を探しても見当たらないから、まさかと思って来てみれば……」
「逃がしてしまったわ。上手くいかなかったの」
「何を、ですか?」
「ウサギよ。グレンが喜ぶと思って」
薄暗がりの中でも、青年の金髪は月光を浴びて異様なまでに輝いていた。少女と同じ、角度によって瞳の色が変わる。
「……とにかく、勝手に出て行ったりなど、なさらないで下さい」
「ごめんなさい」
「このお方たちは?」
少女よりも尚、肌の色は白く透明で、その声は耳から離れないものだった。舞台映えするかもしれない、なんて思うのは僕の悪い癖だ。
「ここまで送って下さったの。私が車の前に飛び出してしまって」
「お怪我は?」
「平気よ。でも、いつまで経っても慣れないわ、自動車は。とても……速いんですもの」
顔を伏せた少女に青年は溜息を吐いた。呆れているのでもなく、怒っているのでもない。ただ悲しそうな表情で少女を見下ろしていた。
「ねえ、グレン。驚かせたお詫びに、お二人にお家へ入っていただきたいの。いいでしょう?」
一変して甘えた声を出した少女の肩へ手を置いた彼は、僕たちへ向き直った。
「申し訳ありませんでした。私はグレン。この家の主です。彼女はアマベル」
「僕は柊史と言います。彼女は僕の妻で陶子」
「どうぞ、中へ。外は冷え込んできましたから」
いえ、と言いかけた僕の返事を訊くこともなく、彼はアマベルと共に歩き出した。
まるで灰色の瞳に誘導されるかのように、僕も陶子もいつの間にか館へ足を踏み入れていた。
赤いワインをグラスへ注ぐ、グレンの手慣れた動作。一方で、アマベルは陶子の為に紅茶を淹れている。
外から見た雰囲気とはまた違う、思ったよりもこじんまりとしたダイニングルーム。天井からは小ぶりのシャンデリアが三つぶら下がり、離れた場所に暖炉がある。長いテーブルの真ん中には、庭のものだろうと思われる花がたっぷりと花瓶に活けられ、それを眺めながらアンティークのデコラティブな椅子へ腰かけていた僕らは、彼らが差し出したものを口にした。広がる味は、この家の中にいることを違和感なくさせるのに有効だと感じた。
気が合うのだろうか、陶子とアマベルは楽しそうに話している。
「ねえ、お泊りしていったらどう? そしたら明日の朝も一緒におしゃべりできるわ」
「いえ、それは……」
「部屋はあります。もう遅いですし、アマベルも眠る時間ですから。よければそうしていただけませんか。彼女も喜びます」
「お願い」
期待するアマベルと陶子の瞳を受けて、ここまで来たら断る理由もなく、僕は渋々同意した。まだ不安が拭いきれない訳ではない。
僕たちが泊まる部屋へと案内された。
天蓋付の大きなベッド。横にある鏡台は、これもアンティークだろうか。所々に花の型が施され、半円の鏡が僕たちの姿を映している。引き出しの取っ手も花の形をしたガラス細工。女性がいかにも好きそうな内装だ。床はヘリーンボーンに組み合わされ、艶のある木肌は長い年数を経て濃い茶色に光っていた。
「フランスにもあるんですね」
「え?」
「床板の組み方です。僕はイギリス独特のものだとばかり思っていました」
「……そうでうね。私もそれが目に留まって、ここにしたんですよ」
僕の問い掛けに間を置いて返事をしたグレンは、うっとりと部屋を見回す陶子に近づいた。
「私、初めて見たわ、こんな」
「気に入っていただけましたか?」
その囁くような低い声に、さすがの陶子も何かを感じたのか、慌てて彼を振り向き、一歩離れた。
「え、ええ。こちらに来てから、初めてかもしれません。ここまでのお部屋は見たことがないです。おとぎ話に出てくるお姫様のお部屋みたい」
「それは良かった。それではどうぞ、ごゆっくり」
グレンは無言でいる僕を振り向いて挨拶をし、はしゃいでいるアマベルを連れ、部屋を出て行った。
「陶子、こっちおいで」
僕は豪華なベッドの上に座り彼女を呼んだ。軋んだベッドは、僕の重さで少しだけ沈んだ。
「待って柊史。もう少し部屋を見て回りたいの」
「駄目だよ。いいから僕の傍に来て」
「……どうしたの?」
口を尖らせながら歩み寄って来た陶子の腕を引っ張り、僕の膝の上に乗せた。目の前にある、可愛らしい陶子の唇に指を乗せ、問いかける。
「変だと思わない?」
「変って、何が?」
「この土地とは何となく違う雰囲気じゃない? ガーデンも、家の中も」
「日本にだってたくさん洋館があったり、カントリー風なお家に、バリ風の家があったり、いろいろだわ。きっとここもそうよ」
「こんな大きな屋敷に、なぜあんな若い二人が住んでいるのかも気になるよ。他には誰もいないようだし、陶子は不思議に思わないの?」
「別に、思わないわ。若くたって、すごい資産家なのかもしれないし、それにご家族だって、もう寝てしまっているのかも」
「それはないな。僕たちの話し声が聴こえれば、誰かしら来そうなものだけど気配もない。第一あの二人、夫婦にしては若すぎる。特にあの、アマベル。彼女はまだ高校生くらいに見える。もしかしたらもっと……」
「じゃあ兄妹ってこと? それにしてはお互いの言葉使いも不自然だし、第一全然似てないと思うけど」
「僕もそう思うけどさ。でも」
「柊史?」
また外でバサバサと鳥が飛び立つ音がした。縦長の窓の外は大きな樹があるらしい。
「君は僕のこと、好き?」
「急にどうしたの?」
「いや、やっぱりさ、典型的な日本人顔の僕としては、ああいう金髪碧眼の彫りの深い外国人に、多少なりともコンプレックスが湧いてしまうからさ」
陶子は僕の好きな綺麗な髪を揺らして、くすくすと笑い始めた。
「そんなに可笑しい?」
「だって、柊史いつもあんなに自信満々なのに。そんなこと思ったりもするの?」
「自信があるように見せてるだけだよ。日本からこっちへ来て何度も感じてたさ。それに、陶子だって」
「なあに?」
「……何でもない」
急に情けなくなった僕は口を噤んだけれど、彼女は見透かしたように僕の頬へ手のひらをつけ、微笑んだ。
「私は柊史が世界で一番素敵だと思ってるから、彼のことも何も感じない。ほんとよ」
「……」
「柊史って、可愛い。そういうところ、大好き」
少し酔いが回ってきたようだった。
僕の頬をさする陶子の手を掴む。優しく唇を重ねて、ベッドの上に二人で倒れ込んだ。何度も陶子の髪を撫で、愛を囁き合う間に、二人は眠りへと落ちていた。
誰かの声がする。目を擦り、ベッドの脇にあるローテーブルの上へ置いた携帯を掴んで確認すると、デジタル時計は三時を示していた。夜が明けるにはまだ早い。月明かりがカーテンの隙間から部屋の中央を照らし、細長く伸びてドアに光の筋を作っている。
僕は陶子を起こさないようにベッドを脱け出し、そっとドアを開け、話し声がする方へと薄暗い廊下を静かに進んだ。
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