先生やって何がわるい!

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(3)入園準備




 卒園式、修了式も終わった三月中旬。感傷に浸る間も無く、新年度の準備が始まる。

 独特の匂いがする、何もないがらんとした教室をゆっくりと歩いて見回した。
「裕介先生ちょっと待ってね。これで終わりだと思うから」
「はい」
 梨子先生が教卓の引き出しから自分の筆記用具を取り出した。
 ひよこ2組の教室。つい昨日まで、梨子先生がこのクラスで子どもたちと過ごしてきた場所だ。四月からは俺がここを使うんだと思うと、昨日までの不安も吹き飛んで、一気に嬉しさが胸へ込み上げてきた。

「じゃあ、私は隣にいるから。何かあったら声掛けてね?」
「はい!」
「職員室でお昼食べて、その後は入園式の職員会議ね。質問したいことがあったらまとめておいて」
「は、はいっ!」
 いよいよか。固くなっている俺の返事に、梨子先生がクスッと笑った。
「大丈夫だよー、そんなに緊張しなくても。ただ……」
「?」
「もう実習してわかったと思うけど、割と皆体育会系だから、その辺大丈夫だよね?」
「あーはい。多分」
「特に裕介先生の補助で入る清香先生は、すごく頼りになるけど、結構厳しいから」
 やっぱりそうなのか。ベテランぽいし、何となくそうじゃないかって気はしてたけど。まあ、大体どこの幼稚園でも保育園でも、みんな体育会系だからな。それほど珍しいことじゃない。
「私みたいにぼんやりしてると、清香先生に先回りされちゃうと思うから気をつけてね。特に最初の頃は」
「え、それってどういうことですか?」
「うーん、上手く説明できないけど……。でも裕介先生なら、きっと大丈夫だよ」
 意味がわからない。先回り? どういうことだ? 頭の中に疑問符が大量に浮かんでいる俺を置いて、梨子先生はさっさと隣の教室へ行ってしまった。

 まあ、なんとかなるだろ。穿いているジャージのウエストを引っ張りあげて、トレーナーを着ている腕を上へと伸ばした。
 今日からここが俺の城だ! ピアノも、教卓も、ちっちゃい椅子も、木でできたロッカーも、おもちゃ箱も、まだ飾りの無い壁も、全部全部俺がこれから子どもたちと使って、皆で一緒に自分たちの居心地いい部屋へ変えていくんだ……!
 横を見ると、窓の外は雨上がりの青空が気持ちよく広がっていた。



 三歳児クラスの担任二人の席は、職員室の中でも一番奥になる。机は向かい合わせに置いてあり、梨子先生と俺は隣同士。俺たちの前が年中クラス、横に並ぶのが年長クラスの先生。園長と主任の机は離れた場所にある。
「はい。願書の持ち出しは禁止だよ。職員室でチェックしてね」
 昼飯を食べた後、職員室の壁際にある棚から、梨子先生が取り出した願書を手にして席へ戻る。隣に座る梨子先生と同じように、俺も自分のクラスの子どもたちの願書をめくった。
「あ……!」
 願書にはそれぞれ子どもの写真が貼ってある。その顔を見て驚いた。俺が保育園で見た三歳児とも、ここでついこの前見た三歳児たちともまるで違う。ほっぺむちむちじゃんか。みんな口、半開きだし。髪の毛も少ないな、おい。
「可愛いよね。皆赤ちゃんみたいに小さい。この時二歳の子もいるしね」
 にっこり笑った梨子先生につられて、俺も口元が緩んでしまう。
「ほんとちっさいですね。大丈夫かな」
「四月の入園式には、写真の時よりずっと大きくなってると思うよ」
「そんなに変わります?」
「うん。このくらいの子どもって、びっくりするほど成長が早いから」

 こっちを見詰めている子どもたちの写真を一枚ずつ見る度に、さっきよりもどんどん顔が綻んで、だらしない笑顔になってしまう。くううううっ! 可愛い、可愛いぞ! 俺がこの子たちの人生で最初の先生なんだ。それって、それってさ、何かすごくないか?
 何を教えてあげよう。どんな歌が好きなんだ? あんぱんまんか? 歌のお兄さんのか? 俺、ピアノは得意だから、いくらでも弾いて一緒に歌ってあげよう。手遊びも新しいの覚えたんだ。それから外で鬼ごっこしたり、部屋ではパペットとか喜ぶかな。壁面をたくさん作って、入り口もいっぱい飾って楽しい教室にしてあげるんだ。

 職員会議も終わり、そのままそこで新人の俺たちは服装や髪型、その他の心構えを主任から教わっていた。ひと段落して見回すと、先輩達はもう職員室にはいない。自由な時間ということもあり、それぞれの教室で準備作業を進めているようだ。
 廊下へ出ると、後ろから事務の人に声を掛けられた。
「裕介先生、お部屋行く?」
「はい。行きます」
「もし梨子先生いたら、これ渡しておいて」
「わかりました」

 お誕生表はどんなのがいいかな。最初から名前がわかるもの、月が変わると名前が出てくるもの、どっちにしよう。季節感を取り入れて、賑やかなのがいいか。キャラものも捨てがたいよな。
 鼻歌を歌いながら薄暗くなってきた階段を上がり、廊下を曲がって、梨子先生がいるはずのひよこ1組を覗いた。
「り、」
 ……なんだ? 明かりも点けずに部屋の奥で立ち話をしている先生が二人、同時にこちらを向いた。一人は梨子先生、一人は……あの全学年主任の美利香先生だ。
「あの」
「なに!?」
 美利香先生が俺を睨みつけた。な、何だよ、怖いな。梨子先生は俺から目を逸らして、口元に手を当て俯いている。
「これ、梨子先生に渡すようにって」
「あ、ああ。ごめんごめん。じゃあ、あたし職員室戻るわ」
「ありがとうございました。美利香先生」
「ううん」
 お礼を言った梨子先生は鼻声だった。美利香先生と入れ違いに梨子先生へと近付き、頼まれた書類を渡した。

「ありがとう、裕介先生」
 俺の勘違いじゃなければ、梨子先生は泣いていたようだった。まさか、いじめられてたのか? あの怖い先生なら有り得る。
「裕介先生、お誕生表作るんでしょ? どんなのか決めた?」
「はい」
「じゃあどういうのか教えて? 被っちゃうと困るから」
 無理やり笑ってるのがわかるけど、あんまり突っ込んじゃいけないんだよな? 俺も気付かない振りしてた方がいいんだよな?
「これです。ちょっと前に載ってたやつですけど」
 手にしていた保育雑誌をめくって広げる。暗くてあまりよく見えないせいか、梨子先生は雑誌のすぐ傍まで顔を寄せた。
「知ってる! これすごく可愛いよね」
「梨子先生のと同じじゃなかったですか?」
「うん、大丈夫」
 大きく頷いて元気な声を出した梨子先生の髪が、雑誌を持つ俺の腕に少しだけ当たった。
「……じゃあ、失礼します」
「はーい」
「……」
 結局何があったのか俺には言えないっていうか、言いたくないってことか。心配掛けさせないようになのか、俺はまだ本当の仲間になっていないからか……。

 ひよこ2組の教室へ行き、一年間使うことになった教卓の椅子へ乱暴に腰掛ける。古いグレーの椅子が大きな音を立てて軋んだ。
 だから女社会は嫌なんだよ。別に顔突っ込む必要も無いし、面倒ごとはごめんだから干渉しないようにすればいいんだろうけどさ。

 とにかく今は子どもたちのことを考えよう。
 俺はさっきの保育雑誌を机の上に広げ、色とりどりの画用紙と鋏とのりを用意して、子どもたちの顔を思い浮かべながら製作へと意気込んだ。





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