「俺が三歳児の担任!?」
まだ寒い春先の墓参り。芽吹き始めた木々はざわめき、線香の煙が風に乗り、晴れ渡った青空へ吸い込まれていく。
「そうだ」
「ふ、ふざけんなよ! 何で俺が? 年長児じゃなかったのかよ!」
「
「だからなんで、」
「ほら。ぐだぐだ言わずに、母さんとじーさんに手合わせろ」
渋々しゃがんで、水で綺麗に清めた墓の前で両手を合わせる。隣に座った俺の父親は、墓へ向かってゆっくりと語り始めた。
「
「その歳で嘘泣きやめろ、キモい」
勢いよく顔だけ振り向いた親父は、俺を睨みつけて言った。
「そういう言葉遣いは今日で終わりだ。まだひよっ子とは言え、もう教師なんだってことを自覚しろ。それに俺とお前は雇用する側と雇用される側になる。その辺り、きちんとケジメをつけて言葉を選べ」
親父は水を入れた桶を持って立ち上がり、しゃがんでいる俺を見下ろした。顔を上げると親父の後ろから太陽が当たって、眩しさに片目をつぶっても逆光で表情がよく見えない。
「三歳児は幼児教育の原点だ。うちの園で三歳児担任に男の教師をおくのは初めてだからな。しっかりやれよ」
「いやだ」
「んじゃクビ」
「……」
母さん、じーちゃん。このやりたい放題の園長をなんとかしてくれ。もう一度墓に向かって手を合わせ、心の叫びが届くように天国の二人へ必死に祈りまくる。
「明日、職員室で朝礼の時に発表する。お前、今実習中だったな?」
「そうだけど」
母さんの好きだった大福と、じーちゃんが好きだったワンカップの日本酒を墓前に置いた親父は、俺を促し歩き出した。一応二人でスーツなんか着ている。
「じゃあそれまで他の実習生に言うなよ?」
「言えるわけないだろ。園長から直接聞いたなんて」
「よしよし。お前と俺が親子だなんて言ってみろ。絶対に跡なんか継がせないからな」
「それはわかってる」
「お前、俺と全然似てなくて良かったなあ」
親父は満足そうに俺の肩をバンバンと叩いた。言われた通り、俺の顔は中学の時に病気で死んでしまった母親に瓜二つだった。
「園の実態をよく知るんだぞ。その為にもお前が園長の息子だということは禁句だ。じーさんが園長だった時、俺もずっとそうやって来たんだからな。十年は隠しとけ」
都心から離れた緑の多い霊園は、季節の花が咲き乱れ、天気の良い日曜の昼間は墓参りの人で賑わっている。芝生の間に美しく整備された歩道を歩いていると、ジョギングする人や大きな犬を連れて散歩する人とすれ違った。
「一人暮らしはどうだ?」
「これから給料上げてくれれば快適になると思う」
「初任給下げるぞ」
「あれ以上下げんの無理だろ!」
「贅沢だねえ。うちはまだいい方なんだぞ」
あらゆる面で特別扱いされず、他の教諭と同じ条件で過ごすこと。有無を言わさずそう決められている俺は、提示された低い給料で一人暮らしを続けていかなければならないのだ。
「ばーちゃんは? まだ腰痛がってんの?」
「ああ。何だかんだ言ってもう歳だからなあ。裕介によろしくってさ」
「ばーちゃんの飯が食いたい」
実習がスタートする直前に家を出た。もちろん身元がバレない為である。面接の時に持ち込んだ履歴書は、全て親父が管理しているようで、そこもバッチリである。
「裕介よく覚えておけ。三日、三ヶ月、三年だ」
「? 何だよそれ」
「まずは三日我慢しろ。次は三ヶ月。その先は三年。それを越えてようやく始まりが見える」
一つ咳払いをした親父は、突然声を大きくして言った。
「あと最後に、職場恋愛は絶対に認めん!」
「自分だろ、それ」
「ちゃんと責任とって結婚したからいいんだ、父さんは」
明るくて優しくて、いかにも幼稚園の先生って感じの母親は、親父自慢の妻だった。
「我慢しろよ? 女ばっかりの職場であれこれあったら、それこそいられなくなる。お前が園を継ぐんだってこと、常に肝に銘じておけ」
「俺は有り得ないから大丈夫だよ」
他の園に実習行って、女社会の中身をいやってほど味わったんだ。誰が先生なんかに手出すかよ。
二月に入ってから始まった就職先幼稚園での実習。俺の親父が経営している、私立
保育園は保育士、幼稚園は幼稚園教諭が勤める。取得する免許も違う。俺は保育士と幼稚園教諭一種免許を持っているから、どちらでも働くことは可能だ。
最近男の保育士はよく見かけるようになったけれど、いつまで経っても男の幼稚園教諭は増えない。理由は給料が極端に低いこと、未だ女性が多い職場だということ、保護者の理解を得にくいこと、などなどがあげられる。実際働いてみれば、もっといろんなことがわかるんだろうけど。
俺がなぜここまで三歳児担任になることを驚いているかというと、低年齢クラスの担任として、わざわざ男があてがわれることはないからだ。実習先でも見たことはないし、先輩たちの話でもまず聞いた事がない。そりゃ全国規模で見て、ネットで探せばあるんだろうけどさ、とにかく周りにはいない。
小さい子どもにとっては、優しくて母親に近い女性の方がいいに決まってる。逆に言えば、身体が大きくなるにつれて動きもダイナミックになる年長児には男性教諭が合っている。ってのが一般論で、俺も今の今までそう思い込んでいた。
でもよく考えてみれば、俺と同期で入る佐々木は男だ。さらに先輩で男性教諭が一人いる。てっきり俺はこの人が辞めるのかと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。それほど大きくない規模の園では珍しい計三人の男性教諭が、それぞれの学年に分かれるのは仕方がないことなのだと、とりあえず自分を納得させた。
――三日、三ヶ月、三年。
その言葉を担任になってすぐに実感させられることになるなんて、まだこの時の俺は全然わかっちゃいなかった。
Copyright(c) 2011 nanoha all rights reserved.