先生やって何がわるい! 番外編梨子視点

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私の後輩(後編)




「今日あったかいっすね」
「うん」
 新しくできたお蕎麦屋さんで食事して、少しお酒も飲んだ帰り道。去年の夏、裕介先生と花火をした広い公園内の道を二人で歩く。両側には花の終わった桜の樹がずらっと並んでいる。
 夜風が春の匂いを運んできた。ジャケットも必要ないくらい、肌寒さはすっかり遠のいている。

 あまり遅くない時間だからか、まだ結構人が歩いていた。犬の散歩をしていたり、ウォーキングや、走っている人、会社帰りのサラリーマンや学校帰りの学生たちが通り過ぎていく。
 外灯に照らされた濃い緑の葉が綺麗。そう思った時、私の右手が裕介先生に取られた。驚いて見上げると、彼が照れ笑いして言った。
「えっと、すみません」
「どうして謝るの?」
「いやその、嫌じゃないかなーって」
「嫌じゃないよ。……嬉しい」
 応えるように握ると、彼も同じように握り返してくれた。いつも子どもたちを抱きかかえたり支えてる、あったかくて大きな手。
 お互いの気持ちを知ってから一か月と少し。子どもたちの入園準備に追われて、そのあとも新学期は一年で一番と言っていいくらいに仕事が忙しい時期だから、全く会えなかった。だからよけいに嬉しい。
「少し話しませんか? あそこのベンチで」
 足を止めた彼が等間隔に並んだベンチを指差した。

 まだそんなにはくっついて座れないけど、やっぱりいいな。裕介先生の隣は何だか安心する。彼はベンチへ座った途端、デニムを穿いた足を伸ばして、鞄を横へ置き、両腕も上に伸ばした。
「何か、ほんと久しぶりですよね。ゆっくり話すの」
 私たちの前をジョギングしているカップルが通り過ぎた。
「年長はもう慣れた?」
「うーん。今日も見てもらってわかったと思いますけど、子どもたちがすごい勢いなんですよね。話してても、どんどん突っ込んで来るし、毎日負けないぞって気合入れてないと、俺の方が置いて行かれる感じ。いろんなこと聞いて来るし」
「いろんなことって?」
「どこに住んでるんだ、好きな食べ物、好きなスポーツ、年少と年長どっちが好きか、しまいには彼女いるのかとか、いつ結婚したいんだとか。ほんともう、最近の子どもはなんというか、ははは。……梨子先生はどうですか?」
「私の方は、子どもたちもほとんど知ってる顔だし、新入生の子も今のところは問題なし、かなぁ。年中さんって、一番手がかからないって言われてるんだよね。咬みつきもしないらしいし」
「へえ。でも、学年主任だからやっぱ大変ですよね」
「他の先生たちがしっかりしてるから助かってる。特に麻鈴先生は、はっきりしてていいよね」
「ああ。まぁ、俺は結構キツイこと言われるんですけどね〜」
 笑った彼の横顔を見て胸が痛くなった。
 早めに言わなければいけないんだよね、きっと。彼と両想いになってから、気にし始めてしまったこと。

 どこからか花の匂いがする。甘くて切ない香り。四月の終わりに咲く花って何だろう。
「あのね、裕介先生」
「はい」
「この先、もっと裕介先生に相応しい人が現れたら、私のことは気にしないで、その人を選んでね」
「……は?」
「裕介先生は将来、君島幼稚園を継ぐんだよね? その頃、裕介先生の気持ちだってどう変わるかわからないんだし……。そういう時が来たら私に遠慮しないで、はっきり言って欲しいの」
 いつか園長先生として君島幼稚園で働く彼の隣に、このままずっと私がいられるなんて、そんな大それたこと考えちゃいけないって気付いた。私よりもっと仕事ができて、先生たちからも、今の園長先生からも、そして保護者の誰もが認める人じゃないと、きっと相応しくない。だから。
「何……言ってんですか? 俺、梨子先生のこと真剣ですよ!? ずっと悩んで悩んで、軽い気持ちで好きだって言ったんじゃないんです。先のことも真剣に考えて、俺が園長の息子だってこと話したんですから」
「……うん。でも」
「先のこと考えたら、俺のこと嫌になったんですか?」
「違うよ。そうじゃないの。ただ」
「ただ?」
「自分に自信がないの、私。裕介先生の隣にずっといてもいいのかなって」
 自転車で前を通り過ぎていく人を目で追う振りをして、裕介先生から目を逸らしてしまった。
 そう、自信が無いんだ私。ピアノが下手で年中に上がれなかった時と同じような、そんな気持ちを抱えてる。美利香先生には裕介先生のこと頑張る、なんて言ったくせに、今は弱気な気持ちに覆われてしまった。

 しばらくの沈黙のあと、裕介先生が小さな声で言った。
「自信がないなんて言わないで下さい」
「……」
「俺、園長の息子だっていうだけで、そんな大したやつじゃないのは梨子先生が一番知ってるじゃないですか。それに梨子先生、いつも頑張ってる。俺なんかよりもずっと」
「……そんなことない」
「ピアノだって克服できたんだし」
「それは裕介先生が教えてくれたから」
「もしかして、まだ気にしてるんですか?」
「まだって、何を?」
 ちっと舌打ちした裕介先生は、座り直して両手を広げ、ベンチの背もたれに乗せた。彼の左手が、ちょうど私の背中の後ろに来ている。
「何って、バカリーマンの元彼のことですよ」
 思いもよらないことを言われて驚いた。何? それ。
「俺は、お互いの仕事のことで気持ちが離れるなんて有り得ないと思ってますから」
 俯いた裕介先生は、スニーカーの両足を交互に動かして地面の砂を蹴っている。
「後輩だから頼りないかもしれないけど、梨子先生に追いつけるように頑張りますから。俺のこと、信用して下さい。俺も梨子先生のこと信じてます。だから自信ないとか絶対言わないで下さい」
 彼の思いに胸が詰まる。虹の見えたあの日、裕介先生の傍にずっといたいって思ったのは本当なのに。
「ありがとう。なんか、変に考えすぎちゃったみたい。ごめんなさい」
「とにかく忘れて下さい。バカリーマンのことは」
「それはとっくに忘れてるってば」
 その言い方がおかしくて笑うと、彼は真面目な顔で私の方を向いた。
「俺のことだけ考えてて下さい。そうじゃないと、こっちが不安になります」
 普段はそんなこと言わない彼の言葉に一気に顔が熱くなる。裕介先生ってたまにこういう時があるんだよね。その度、私の方がきっとドキドキさせられてる。
「私は、裕介先生だけだよ」
「俺もずーっとずーっと梨子先生だけですから。どんなに可愛い新人が入って来ようと見向きもしないし、全っ然関係ないですから」
「……ほんとに? なんか無理してない?」
「無理なんかしてません。本当に本当です! ずっと大切にします!」
「じゃあここでキスして」
「え!」
 冗談だよ、って笑ったら、言い終わる前に唇を優しく塞がれて、私の方が慌ててしまった。
「誰かに、見られちゃう」
 私を抱き寄せて離れようとはしない裕介先生に恥ずかしくなって俯いた。もしも今、知っている保護者が通りかかったらどうしよう。
「ねえ裕介先生、あのほんとに」
「見られなくなかったら、このあと俺の部屋に来て下さい」
 頬を寄せてきた彼が耳元で囁いた。
「無理にとは言いませんけど、来て欲しい、です」
 ゆっくり顔を上げると、目の前の裕介先生と目が合った。心臓の音が聴こえてしまいそうなくらいドキドキと大きく鳴ってる。返事に戸惑っていると、彼が急に表情を変えて早口で言った。
「いやあの、別に今日じゃなくても、次の週でもその次の週でも、来月とか半年後とか……。一年後は俺が我慢できないかもなんですけど、でもいつでもいいので、どうかなと思っただけで」
 仕事では後輩で、私より一つ年上の裕介先生。私の気持ちを気遣って優先してくれる彼に応えたいと思った。素直になっても、いいんだよね?
 彼の着ている柔らかなパーカーの胸に顔を押し付けて頷いた。
「うん」
 裕介先生の優しい匂いが私を安心させる。
「え……あの、うんって?」
 少しずつでいいから、自信が持てるようになれますように。
「今日でいい、ってこと」
 ほんとに? って不安そうに顔を覗き込んで来た裕介先生の唇に、返事の代わりのキスをした。

 立ち上がるとベンチのすぐ後ろに、白い小さな花が咲いていた。
 何ていう名前か後で一緒に調べようって約束をして、月明りが照らす公園の道を手を繋いで歩き、彼の部屋へ向かった。









〜了〜





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