大きな公園に住んでいた私たちは、一人の男に拾い上げられ、その後一人の女の子によって、こんな場所まで連れて来られた。
『ねえ、帰って来たわよ』
『うん、帰って来たね』
『なんか、暗くね?』
『寂しそう。元気も無し。お腹空いてるんじゃない?』
『違うわよ。あの男のことよ』
階段を上がってくる足音が止まり、ドアがゆっくり開いた。俯いたまま部屋へ入ってきた制服姿の女の子は、後ろ手で扉を閉めた後、マフラーを外して鞄と一緒にベッドの上へ無言で投げつけた。
『こっわー。見た? 今の』
『あれ、こっちにやられたら、たまったもんじゃないよな』
『やっぱ駄目だったか』
出窓に置かれている私たちは、女の子の様子をじっと伺う。
「ねえ、どう思う!?」
急にこっちへ振られて、全員固まった。
『え、え? 僕たちのこと、だよね?』
『こっち見てるんだからそうでしょ。どうする? あんた何か言ってよ』
『知るかよ。大体俺たちの言葉なんか通じるのかよ』
「おかしくない!? 頑張って机の中に手紙入れたのに。何の返事もないって、どういうことなの?」
明るい色をしたロングヘアの女の子は、ブレザーの下に着ている白いカーディガンの裾を握り締めて、私たちを睨みながらこちらへやって来る。
『……どういうったって、ねえ?』
『今時手紙とか無理だろ、引くだろ』
『メアドも知らないって言うから、仕方ないんじゃないの』
「私が欲しいって言ったら、わざわざこんな可愛いの……拾ってきてくれたクセに」
いきなりふわりと包み込まれたかと思うと、女の子の手のひらに乗った私たちは、彼女の胸元まで近付いた。
『うおおおおっ! いきなりなんだよ、怖い、高いーーーっ! 久しぶりじゃねーかこういうのー! 揺れるし、不安定だし!!』
『うるさいわねえ。樹の上なんかもっと高くて不安定だったでしょ』
『落ちるとき気絶したからな。覚えてないんだ。自慢じゃないけど』
『……ねえ、可愛いって僕たちのこと?』
『当たり前でしょ。他に何があるっていうのよ』
『冷たっ!! 雨?』
皆で見上げると、女の子の目から頬へボタボタ涙が零れ落ち、それがそのまま私たちへ降り注いでいた。
「ひぃいいいいっく……うううっ、うっ……」
『は、鼻水は落ちて来ないよな?』
『可哀想。拭いてあげなさいよ』
『無理だよ。僕、届かないよ』
「あたし、恥ずかしい……。返事も、したくないくらい、ウザかったの?」
『ね、ねえ、なんて言ってあげればいいの? こんな時』
『そんな奴やめちまえ、でいいんじゃん?』
『見る目なかったんだね、とか』
『立ち直れないでしょ、そんなこと言ったら』
『……』
『……』
私たちは困り果てた。
ただあんな寂しそうな足音は聴きたくない。そんなことをぼんやり思っていた。
それから一週間後、階段を上がってくる足音が、まるで違うものへと変わったのに気がついた。聴いている私たちまで、うきうきとしてしまう程の軽やかな音。
『どうしたんだろう? 急に』
『ほら、もうすぐクリスマスだから。パーティーでもするんじゃないの、友達と』
『どうやら僕たちのこと、あの松じゃない木に飾ってくれるらしいね』
『ちかちか光るのと一緒にか。あれ眩しいんだよな』
『もみの木でしょ。ビニールだけど』
『この窓辺に置けるくらい小さいの買ったんだって?』
『私たちにリボン着けるって言ってたわよ』
『おいおいおい、やめてくれよ。俺ソッチの趣味ないし』
『楽しいね、なんだか。なんでだかよくわからないけど』
ドアを勢いよく開けた女の子は、ケータイを取り出し鞄をベッドへ投げつけ、床にべたんと座って話し始めた。
「タカコ!? あのね、ずっと手紙に気付かなかったんだって!」
女の子は興奮気味に、床へバンバン片手を叩きつけている。
「それでね、嬉しいって。今さらだけどいい? って。あーどうしよう! メール、メールしなきゃ。速攻メアド交換したし!」
立ち上がった女の子は机とセットの椅子へ座り、ぐるぐる回り始めた。
「松ぼっくり拾いながら、ずっと考えてたんだって! ねえもうその時にはさ……きゃああああ! そうなの、そうなんだけど言わないで! やっぱ今から電話するっ!」
『……俺怖いよ。あんな主語もなしで、何で通じてんだよ。女ってすごいな』
『あいつでしょ。私たちを拾ったあの男の話よ』
『良かったねえ。上手くいったんだ』
話し終わった女の子は、今度は私たちの方を向き、にっこり笑って言った。
「あんたたちのお陰よ。あたしの宝物! 今夜は一緒に寝ようねー」
私たちは茶色い顔を一瞬だけ青くして、冷や汗を掻いた。
『……嘘だろ、絶対潰されるって』
『これだけは私も怖いわ』
『だってあの寝相だよ? ベッドから落ちるだけならまだしもさあ』
『どうしよう』
『覚悟を決めなきゃいけない時がきたか』
夜になると女の子は、焦る私たちを手のひらへ乗せ、小さなカゴに入れて大事そうにそっと枕の横へ置いた。そしてひとつひとつを指でちょんちょんと触り、おやすみと言って眠り始めた。
『これなら潰されないね』
『……うん』
『どうしたのさ、みんな』
『なんかさ、なんつーかその、変な意味じゃなくて、こいつ可愛いな』
『私もそう思った』
『最初はあのテンションについていけなかったけどね』
『僕たちのこと宝物だって』
『悪くないね』
『悪くないわ』
この部屋にいると、朝からいろんな音が聴こえてくる。公園にいた時と同じに間近へ届くカラスや鳥の鳴き声。家の前を通り過ぎる新聞屋のバイクや車。時間が来ると鳴り出すケータイのアラーム、部屋を流れるクリスマスソング。
いろんな音が飛び込んで来るけれど、私たちを一番喜ばせるのは彼女の足音だ。
『何笑ってんだよ!』
『だって、よりによってピンクのリボンて』
『仕方ないだろ、よけられなかったんだから』
『まあまあ、いいじゃない。こんな機会めったにないんだから』
『そういうお前だけ、何星とかつけてんの』
『もう眩しくってー、きらきら光っちゃってー』
『なんかムカつく』
『来たわよ』
『……よそゆきの足音してない?』
日曜日、部屋へ入って来たのは、やはり私たちを拾い上げた男だった。ツリーの飾りになった私たちを見て、女の子と一緒に嬉しそうに笑っている。
次の日から、女の子の足音は少しだけ帰りが遅くなったけれど、いつまでも聴いていたいくらいの軽快で楽し気なものになった。
『あいつまた明日来るんだってよ』
『そうなの?』
『この前キスできなかったリベンジとみたね。クリスマスイブだし』
『阻止してやっか』
『どうやって? 高所恐怖症じゃなかったっけ?』
『しかも頭にリボンつけたまま』
『……言うな』
窓の外は木枯らしが吹いている。
電線の上からこっちを羨ましそうに見下ろすカラスへ、いいだろーと口の端を上げて誇らしげに笑ってやった。
私たちは毎日こうしておしゃべりを続けながら、暖かい部屋で女の子の帰りを待つのだ。
宝物だと言ってくれた彼女の、足音を楽しみにしながら。
2010/11/3 オンライン文化祭参加作品
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