ぎんいろ 蒼太編

13 みつあみ




 三月一日。高校の卒業式を終えた。
 渡された卒アルと卒業証書を手に教室から廊下に出て、一緒に帰るはずのまひるを探す。

 生徒と保護者で混雑した中、見覚えのあるスーツの後姿の向こうに、まひるがいた。
「こんにちは」
 その人は俺の声に振り返り、笑顔で言った。
「おう! 蒼太、卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
「大きくなったな」
 まひるのお父さんは俺の肩を優しく叩いた。その一言に、式の最中でも起こらなかった感情が一気に込み上げて、柄にも無く泣きそうになってしまった。恥ずかしいから堪えたけど。
「あれ、蒼太のうちの人は?」
「先に帰ってるって、メールがありました」
 まひるが俺の顔を下から覗き込んだ。見るなっつの。こういうとこばっかり敏感なんだよな、こいつは。
「まひる、お前蒼太と帰るのか?」
「そうだよ。方向一緒だし」
「じゃあ俺はこのまま行くか」
「お父さん、このあと仕事?」
「ああ。でも早めに帰るよ。夕飯は何か買ってくか」
「私作るからいいよ」
 こういうやりとりを、俺は二人の傍で何度となく見てきた。
「蒼太、また遊びに来いよな」
「あ、はい」
 俺、いつの間にかまひるのお父さんの背を抜かしてる。つい最近まで背の高い人だって思ってたのに。
「今度はそのー……」
「ん? どした?」
「ちゃんと挨拶に行きます、俺」
「お? おお。何だよ改まって」
 幼なじみっていう関係から抜け出して、一年と少し経つわけだけど、俺らが付き合ってるのは知らないんだよな、まひるのお父さん。彼女のお父さんにとって俺はまだ、昔と変わらない子どものように見えているのかもしれないけど……。
 俺が困った顔をしていると、まひるのお父さんは頷いた。
「わかった。今度な」
「はい」
 コートを羽織ったまひるのお父さんは、そのまま下駄箱へと向かって行った。


 卒業式の今日は自転車通学できなかったから、帰り道は久しぶりに土手沿いを歩いている。
 高校入って一年目の秋、ここで銀杏の葉を探してたまひるに声を掛けた。三年ぶりくらいに、まともに話したんだっけ。
 あの時はもう周りは関係なかったし、一人でいるまひるの姿を見て、傍に行きたい気持ちが止められなかったんだよな。
「制服着るのも今日でおしまいなんて、何か寂しいね」
 土手を少し降りた銀杏の樹の傍に、まひるが鞄を置いて座った。まだ葉の付いてない枝ばかりの大きな樹は、春の日差しを受けて温かそうにしている。
「遊びに行かないのかよ。クラスの奴らと」
 俺もまひるの傍に座った。黄緑色の雑草の中に、土筆が数本伸びていた。
「明日あるよ。皆でカラオケ。蒼太のところは?」
「俺らは明後日。同じとこじゃね? 多分」
 離れたところにある川が太陽の光を反射して輝いていた。小さな鳥が水面ギリギリを飛んで行く。風が吹いてめくれそうになったスカートを、まひるが慌てて押さえた。
「なあ、武史って、いたじゃん?」
「保育園から一緒だった? 確か、東高に行ったんだっけ」
「そう。あいつ、地方の大学行くんだってさ」
「ふうん」
 まひるは興味無さげに、スカートの横に落ちていた葉を拾って投げた。
「あいつさー、お前のこと好きだったって、知ってた?」
「え!?」
 俺を振り返ったまひるは、今度はぶちぶちと雑草を引っこ抜いた。
「嘘でしょ!? だって私、いつも嫌な事されてたよ? 中学は一回だけ同クラだったけど、そこでも嫌味ばっかり言われてたし」
「好きな子はいじめたいっていうアレだろ。つかバカなんだろ」
 そうそう、ただの馬鹿なんだよ。俺が宣言した通り、まひるは武史のことなんて好きにならなかったしな。ざまあ。

「蒼太は私のこと、いじめたくなんないの?」
「はあ!?」
 今度は俺が振り向く。まひるは手に付いた草を払いながら、急に真面目な声で言った。
「だって好きなんでしょ? 私のこと」
「な、なんだよ、急に」
「蒼太は不安じゃないの?」
「不安て?」
「初めて別々になるじゃん。学校」
 俺たちは、それぞれ違う大学への入学を控えていた。違うって言っても、武史のように地方へ行くわけじゃない。
「私は、不安だよ。中学の時、話さなかった頃も、同じ学校に蒼太がいるだけで、なんか……安心だった」
「それ、お前の父ちゃんも言ってたな」
「お父さんの安心と、私のは違う」
 まひるは前を見つめたまま、口を引き結んだ。こうなると、ちょっとやっかいなんだよな。
 大きく息を吸い込んで、銀杏の樹を見上げた。
「俺を、そこらの男と一緒にすんなよ」
 よく見ると枝の付け根に黄緑色の芽みたいのが見える。あれが葉になるのか。
「まひるのこと、ずっと見てたんだからさ、何年も。年季が違うってやつだよ」
「ずっとって、いつから?」
「いつからも何も、保育園の時からだろ。お前が髪の毛引っ張られてた時からだよ」
「蒼太、あの時のこと覚えてるの?」
「覚えてるよ。俺、引っ越して来たばっかだったし、そこであんな場面出くわしたから余計なんか、覚えてる」
 泣きそうになって唇噛みしめてた小さいまひると、今のまひるを見比べる。あんま、変わってないよな。
「金木犀の花、拾ってたじゃん」
「うん」
「金木犀がお母さんなんだろ?」
「……うん」
 銀杏の樹の向こう側から、温かい春の風が吹いて来て、まひるの長い髪を揺らした。

「三つ編みってどうやんの」
「え?」
「いいから。ちょっとやらせて」
 まひるに近付いて髪を触る。彼女も同じ場所に手を伸ばした。
「こうだよ」
「む、難しいな、これ」
「何なの? 急に」
「お前、保育園の時いつも三つ編みだったじゃん」
「そうだけど……」
 つるつるとした髪の束を取って、教わりながら編んでいく。手が攣りそうだ。まひるのお父さんは、こんなこと誰に教えてもらったんだろう。
「仕事して、毎日保育園の送り迎えして、小学校の頃の遠足は弁当作って、授業参観に来て、三つ編みだって大変だったよな」
 まひるは顔を上げて黙って俺を見た。
 やり直しても上手くいかない。幼いまひるの髪は毎日綺麗に編んであったのに。
「お前の父ちゃんは偉いな。……偉いよ、本当に」
「蒼太」
「俺さあ、昔から、まひるのお父さんのこと思い出すだけで、何か泣けてくるんだよな。何でだろ、よくわかんね……」
 やりかけの三つ編みが載ったまひるの肩に顔を押し付けた。
「そんでその度に俺、絶対お前のこと大事にするって、思うんだよ」
 我慢していた涙がひとつ零れた。
 大きく溜息を吐いて鼻を啜ると、まひるが俺の頭を撫でながら、ありがとうと言った。そのあと、その手で俺のことをそっと抱き締めた。

 離れたって、そんなの大したことないんだよ。
 変わりようがないんだから。この気持ちはずっと。





次話は安弘編です。

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