泥濘−ぬかるみ−
(7) 噂
学校へ向かう坂道を、春田と葉山が二人並んで歩いている。
朝、葉山は俺に言った通り、春田が乗り込む駅まで彼女を迎えに来ていた。それを確かめる為に気付かれないよう隣の車両から様子を伺い、地下鉄を降りた後も離れた場所から二人を見つめ歩いた。
薄暗い曇り空の下、歩幅を広くしながら少しずつ近付いていく。あと三十メートル、二十、十……。
「三島」
「!」
後ろから声をかけられ、必要以上に焦った表情を一瞬見られたかもしれない。
「お前歩くのはえーよ」
いつもと同じ様子の飯島に、一人安堵しながら平静を装い答える。
「普通だろ」
「あ、春田さんじゃん」
「……」
「あーあ、やっぱし付き合ってんのか、あの二人」
溜息を吐きながら鞄をぶらぶらさせ、飯島は何か言いたげだった。
「何だよ?」
「俺、葉山と同中だったんだけどさ」
「ああ、そうだっけ」
「春田さんに言うなよ? あと他の奴にも」
「?」
「お前、春田さんと仲いいじゃん。だからって言うなよ?」
「別に仲良くないし」
「そう。だったらいいけどさ」
鞄を肩にかけた飯島は目を伏せ、目の前の石を蹴飛ばした。
「……あんま、葉山と付き合わせたくないんだよな、春田さん」
「何で」
「葉山って女受けすごくいいんだよ。それに同中からウチに来てんのって俺と葉山とあと確か一人くらいしかいないからさ、あいつのことあんま皆知らねーんだよな」
飯島はポケットに手を突っ込み、前を歩く葉山に視線を向けた。
「あいつ手出すの早くて有名でさ。んで、すぐ別れるっつーの?」
「……」
「高校入ってからは別校に彼女作って大人しくしてんのかと思ったら、ずっと二股してたらしいし」
「何でそんなこと知ってんだよ」
「俺の彼女情報。別校なんだけど、葉山の前の彼女と同じ学校」
「……」
「今も多分、女子校に彼女がいる。S女だったかな。本人に確かめたわけじゃないからアレだけど」
「……何でわざわざ春田?」
「葉山のどストライクだからじゃね? 小さくて幼くて可愛いし。ま、ちょっと天然ボケしすぎな感じだけどな」
「春田が何とも思ってないんなら、別に関係ないんじゃん?」
俺の吐き捨てるような言葉に反応した飯島は、呆れた声を出した。
「お前……冷てーなー。春田さんいい子だしさ、何にも知らないで捨てられたら可哀想かなって」
「……」
「ま、確かに俺には関係ないけど、葉山と同中出身としては、何かちょっとほっとけないというかさ」
「飯島いい奴すぎ」
「え、そ、そう?」
飯島は照れたように頭を掻いた。
「……いい奴だよ」
俺に比べれば。
そんな話を聞いた途端、春田に対する思いを正当化させ、少しばかり持ち合わせていた筈の罪悪感すらも、さっさと捨ててしまった俺に比べたら。
いつもの帰り道、今日春田は俺の隣にいない。
雨が降り出し、生徒の傘があちこちに開いている。いくつか前にある鮮やかな青い傘に葉山と春田がいた。春田が傘を忘れたようで、葉山と一緒に傘の中にいる。
先を歩く二人を凝視しながら、朝と同じ様に少しずつ距離を縮めていく。
何を話しているのかとか、何を思ってお互い傍にいるのかとか、そんなことはどうでもいい。
葉山の前で、何の躊躇いも無く俺のマフラーをしている春田がどんな表情をしているのか知りたい。
ただ、それだけだった。
Copyright(c) 2010 nanoha All rights reserved.