ちょうど一年前。
ここから少し離れた場所で、掬った金魚のビニール袋を片手に一人……彼女の横顔を見つめてたんだっけ。
そんなことをふと思い出しながら、栞と海の傍の公園で立ち止まった。割と穴場だと思ってたけど、結構人が集まっている。
「これなら、寝ながら見られるかも」
栞が持ってきた敷物を広げ、俺が先にゴロンと横になってみる。おー、ラクチンだ! だいぶ薄暗くなってきた空を見上げると、海から吹いてくる潮風が気持ちいい。今年も浴衣を着て来たから、足下がスースーする。
「涼、いいよ」
「え?」
「ここ。どうぞ……頭」
去年と違う浴衣を着ている栞が指差したのは、彼女の膝の上だった。え……ひ、膝枕ってことか? え、マジで? マジですか!? どうしよう、嬉しすぎて動揺しまくってるんだけど。
「……いいの?」
「い、いいよ」
恥ずかしそうに頷いた栞の膝に、そっと頭を乗せてみる。上を向くとすぐ傍に栞の顔があった。
「あんまり見ないで」
「なんで?」
「ちょっと、恥ずかしいから」
や……やべえ、幸せすぎる! 絶対に今、この花火大会に来てる奴の中で一番の幸せ者だって断言できるよ、俺。
栞は路上でもらった団扇で、自分と俺とを交互に扇いでくれている。幸せを噛み締めながら風を受け、栞の膝の上で横を向くと、すぐ隣で俺たちと同じ様に敷物を広げて座っているカップルの話し声が聞こえてきた。
「いらない」
「美味しいよ、絶対」
「食えないって言ってんだろ」
「大丈夫、大丈夫。ひとくちでいいから、ね?」
女の子が男の口へ、夜店で買ったらしいチョコバナナをぐいぐいと押し付けていた。片膝を立てて座っている男は、口を固く結んで避けるように全然違う方へ顔を向けている。
「アイスが食べられるなら、大丈夫だよ」
にこにこと笑っている女の子はちょっと小柄で、色も白く髪も茶色いせいか薄いピンク色の花柄の浴衣がよく似合っていた。傍にいる男は、彼女とは対照的で髪も黒くシンプルなデニムにTシャツ姿だ。栞が持っているのと同じ団扇で、バタバタと自分を扇いでいる。
「あ!」
突然男が彼女の手首を掴み、チョコバナナをパクパクと半分以上口に入れて食べてしまった。
「こんなにあげるって言ってないのに……」
男はもぐもぐと口を動かし、思い切り嫌そうな顔で女の子を睨みつけながらペットボトルのお茶を口にした。
「お前が食えって言ったんだろ。あー甘い。……うえ」
こ、こわ……。あれ彼女なのかな? でも自分の彼女に対してあの口の利き方はないよな。うーん、一体どういう関係なんだろう。
「……」
男の隣でがっかりしている彼女の顔が可笑しくて、栞と目を合わせて思わず笑ってしまった。
暫くするとまた隣で会話が聞こえた。チラリと横目で様子を見る。
「ねえ、三島くん」
「なに」
男が返事をすると、彼女は手にしていたジュースと食べかけのチョコバナナを交互に見つめたまま黙り込んでいる。
「……甘くて飲めないとか言うなよ」
「すごい三島くん、よくわかったね!」
冷たく言われても全く気にしないで感心したように目を輝かせる彼女に、俺が感心したよ。すげーな、全然平気なんだな。
「だからさっき無理だって言ったんだよ……!」
男は彼女の顔に向けて、団扇でバタバタと強い風を送った。近いって。当たると痛いんだぞ、それ。彼女は前髪を吹き飛ばされながらも、眉をしかめて負けじと彼氏の顔を見つめる。
「だって絶対食べられると思ったんだもん。これも飲みたかったし」
「もう俺のお茶ないから」
「え!」
「我慢しろよな」
「……じゃあ買ってくるから、これ持ってて?」
チョコバナナとジュースを差し出した彼女に、益々不機嫌な顔になった男はデニムの後ろポケットに手を突っ込み財布を取り出した。
「どうせ迷子になるんだろ。俺が行く」
「いいの?」
「絶対ここ離れんなよ」
「……」
「返事」
「う、はい」
三島と呼ばれた男は、彼女の手にしていたチョコバナナを取り上げ紙皿の上に置き、代わりに持っていた団扇を彼女へ渡した。
「ありがと」
彼女の言葉に男は返事もせず立ち上がり、さっさと行ってしまった。取り残された女の子は、振り向きもしない彼氏の背中をずっと見つめている。
「ね、すごく可愛いね、あの子」
栞が囁くように俺へ言った。
「え、そう?」
「うん。きっと彼氏の方が彼女に夢中なんじゃないかな」
「あれで!?」
「なんとなくわかるよ」
思わず大きな声を出すと、栞がクスクスと笑った。
そうなのか。俺には全然、全く、ちっとも、そんな風には見えなかったけど。
周りを見るともう随分と人も増えて、俺たちと同じ様に座り込んでいる人で埋め尽くされていた。
「栞、膝痛くない?」
「うん。大丈夫」
栞が笑顔で答えながら髪を撫でてくれた時だった。
「……あ、あの。すみません」
隣にいたさっきの彼女が、栞に声をかけてきた。
「え、はい?」
「あの……」
一瞬視線を外した女の子は、恥ずかしそうに小さな声で言った。
「お、おトイレ……どこか知ってますか?」
「ああ、うん。えーとね、ちょっと距離があるから、あたし一緒に行きますよ」
栞が笑顔で答えると、女の子も嬉しそうに顔を上げた。
「え、いいんですか?」
「涼、ちょっといい?」
「うん。大丈夫?」
「平気。じゃあ、行きましょう」
「……はい」
女の子は周りを見回してから、手にしていた飲み物をそっと敷物の上へ置いた。そしてケータイを見つめた後、今度は俺の方へ不安そうな表情を向けた。
「あの、電源無くなっちゃって……」
ああ、そうか。心配してるんだよな。結構彼氏不機嫌になってたし、ここにいろって言われてたし。
「大丈夫。彼氏戻ってきたら、言っておいてあげるよ」
「あ、ありがとうございます!」
栞と女の子は立ち上がり、話をしながら歩いて行った。なんか……栞っていいよな。何の躊躇いもなく彼女を連れて行った栞の背中を、嬉しい思いで見つめる。
海を見つめてボーっとしていると、しばらくして男の方が戻ってきた。
「……どこ行ったんだよ」
舌打ちした男は、ため息を吐きながらポケットに手を突っ込む。
このまま見てたらおもしろいことになりそうだけど……ま、彼女が可哀想だからな、言ってやるか。
俺は座ったままそっちに身体を向け、取り出したケータイを睨みながらお茶のペットボトルを握り締めている男に声をかけた。
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