目を覚ますと、薫がビロードのカーテンを開けて朝日を部屋に入れているところだった。
「……お兄様」
「おはよう糸子。いい天気だよ」
既に着替えている薫は、ベッドへ横たわる糸子へ微笑んだ。窓際に佇む彼は、黒いズボンに白いハイカラーシャツを着ている。
「おはよう、ございます。お兄様」
「お前も今日はワンピイスでも着るかい? それとも着物がよいか」
部屋を歩きながら、寝間着姿の糸子へ問いかける。
「着物にいたします。あの、お兄様」
「ん?」
「昨夜はどこへ行ってらしたの? ベッドにいらっしゃらなかったから、私、心配したの」
箪笥の抽斗を開けた兄へ、起き上がった糸子は疑問を差し出した。
深夜、ベッドへ戻った兄から発せられた血の香りが、彼女を不安に陥れた。その後、彼の寝息が聞こえてもなかなか寝付けずにいた糸子に、ようやく眠りが訪れたのは朝方であった。
「ああ、夜中は少し冷えたのでね」
「……あ、もしや、ご不浄へ?」
「そのもしやだよ」
着物を取り出した兄がクスッと笑った。瞬時に糸子の顔や首元までもが、かっと熱くなる。慌てて両頬を押さえ、俯いて真っ白なシーツを見やった。
「お兄様、ごめんなさい。私ったら、はしたないことを」
「いや、お前を起こしてしまった僕が悪いんだ」
薫は鏡台の前に着物と帯一式を置き、ベッドに座る糸子の前に来ると、床に両膝を着いて彼女の両手を取った。兄の温もりを受けた糸子は、昨夜の出来事を口にしてみる。
「お兄様がいない時……変な声が聴こえて怖かったの」
「変な声?」
「遠吠えのような、いえ、もっと低い……獣が唸っているような声が聴こえて」
兄がいないことになのか、その声のせいで目が覚めたのか、どちらかはわからない。
「……ああ、そうか。怖がらせて、すまないことをしたね」
「?」
顔を伏せた薫が、暗く笑ったような気がした。糸子からはっきり見えなくとも、そう、感じた。
窓から入る冷たい風に兄の黒髪がそよめく。血の香りはしない。それなのに何故、こんなにも不安が湧き上がるのか。
「今夜は催しても、なるべく我慢して、ここにいてあげるよ」
「え」
「でも我慢できなくて粗相をしたら、糸子が片付けるんだよ?」
顔を上げた薫が、からかうように笑った。いつもの兄の表情である。
「も、もう……! 笑わないで、お兄様ったら……!」
「そら、着替えよう。僕が手伝ってあげるから」
先ほど薫が俯いて笑ったように見えたのは、今の冗談を考えていたからなのだ。いささか安心した糸子は、薫の手を握り返した。
「いつ、男爵様はお帰りになるの? 奥様も、勝太郎様も。もしまた、お兄様が嫌な目にお遭いになったら……この前のようにまた、おかしな薬を飲まされたらと思うと、不安でたまらないの」
「糸子」
「ここを出たいわ。富張のお父様のお家に帰りたい。お兄様と一緒に」
「そうするかい?」
笑顔の消えた薫が糸子の顔を覗き込んだ。
母が亡くなった後、兄は富張の家へ帰ろうと言ってくれた。薫と糸子が二人で生きて行こうと決めた、あの日。偽りの人魚の肉を口にした日から、数か月が経った。お互い、もとの体に戻れることはないが、ここを二人で出ることが叶うのならば、そうしたい。
「……帰れるの?」
「糸子が望むのなら、そうしよう。ただ……、もう少しだけ待っておくれ。まだ堂島家でしなくてはいけないことが残っているんだ」
「しなくてはいけないこと?」
「ああ。糸子のことは何としても僕が守るから安心しておいで。あのような酷い目には二度と遭わせないよ。だからもう少しだけ、我慢できるね?」
「お兄様がそうおっしゃるのなら、我慢いたします」
「いい子だ」
糸子は着物を着て、自分でまとめた髪に大きなリボンを一つ付けた。漁村にいた数か月は、豆に髪を洗ってはいたものの、まとめることなどせず垂れ髪のままで過ごしていた。顔にかかる髪は気持ちを余計に暗くするものだった。
久しぶりに結い上げた髪を鏡に映し、糸子の心持ちはいくらか軽くなる。
支度の整った二人は、一階の食堂へと向かった。
食堂のテーブルには二人分の軽い朝食が用意されていた。館の中はしんとしている。廊下や階段で、誰にも会わなかった。
数か月前のこの場所で起きたことを思い出し、糸子の足が微かに震えた。それを悟った薫が彼女の耳元で「大丈夫だよ」と優しく囁き、席に促した。
以前と同じ、彼の傍に座る。ナプキンを膝に置くと、大野がスウプ皿を持って食堂へ入ってきた。
「おはようございます。薫様」
「ああ、おはよう」
薫の前にそっとスウプ皿を置いた大野は、糸子にも同じようにした。
「おはようございます。糸子様」
「おはようございます、大野さん」
ほわほわと湯気の立つスウプは、美しく澄んだ琥珀色をしている。大野が食堂を出たあとも、糸子はなかなかスウプに手がつけられなかった。
「糸子、大丈夫だよ。ほら、美味しい」
薫が先に飲んで見せる。その様子と、目の前の皿から匂い立つ良い香りが糸子の空腹を誘った。
「ありがとう、お兄様。……いただきます」
スプーンで掬って口に入れると、その味わいにじんわりと涙が浮かんだ。あの漁村で与えられていたものは、何とひどく不味い粗食だったのかを思い知らされた。
昨日、兄に買ってもらった鯵寿司を食した時は夢中で口に入れてしまい、味わう暇もないくらいだった。そして今はゆったりとした椅子に座り、時間を気にすることなく温かな食事をしている。恐ろしい目に遭わされた食堂だというのに、美味しいものを前にした人間とは、何と現金な生き物であろうか。
自身の欲に嫌悪しながらも、糸子は用意されていたパンと生の野菜、オムレツを全て平らげていた。
朝食後、糸子の部屋へ戻った二人はベッドの上に並んで座った。
「お屋敷の中が、とても静かね」
男爵や八重子夫人、勝太郎が帰ってくるのではないかと思うと、やはり心が落ち着かない。
「糸子。昨日のように一緒に湯へ入ろうか」
心細さを持つ糸子を余所に、薫が明るい声で話しかける。俯いていた彼女の肩を薫が抱いた。
「昨日あれだけ歩いたのだから、気持ちが悪いだろう。泉では、お前の体をよくよく洗ってはやれなかったからね」
「……お兄様」
何と甘い声で自分を誘うのであろうか。
堂島家で兄と一緒に風呂へ入ることなど考えられない。しかし困惑しつつも、兄の提案を受け入れたいと思う自分もいた。体がどうしようもなく、熱いのだ。
「でも、お兄様」
「僕が綺麗にしてあげると約束したじゃないか。今度こそ、もっと隅々まで丁寧に、僕がお前を清めてあげるよ。それとも僕と一緒は……嫌?」
薫の指が糸子の顎を持ち、上を向かせた。
「嫌なんかじゃ」
近づく彼の黒い瞳が糸子を動かなくさせる。兄の舌が糸子の下唇を、ゆっくりと舐めた。
「あ」
「糸子も舌を出してごらん」
薫の言葉通りに舌を差し出すと、彼の舌と合わさった。互いの唇から舌先だけを絡ませるのは、殊の外、淫らな行いのように見える。
「ん、ん……」
「柔らかくて、食べてしまいたいくらいだね」
ちゅうと舌を吸われ、彼の唇に引っ張られた。
「んんっ!」
吸い込まれた舌を薫の歯に挟まれ、軽く噛まれる。びりりとした衝撃と驚きで体がびくんと揺れた。
「んっ、んう、ひ……」
やめてと言いたいのに言葉が出ない。
糸子の唇の両端から、つうと唾液が零れ、流れた。口を閉じたくとも薫の歯に阻まれ、抜こうとすれば痛んでしまい、どうにもならない。
「ん、ぅう……」
呻いている間に、そっとベッドの上へ押し倒された。
ようやく薫の歯から逃れられることは出来たが、舌と唇はますます強く糸子を蹂躙する。
泉で既に肌を寄せ合ったことが影響しているのか……覆い被さる薫の力は躊躇うどころか遠慮がなく、糸子の口中を全て奪い取るかのように激しく舐め回し、吸い取っていた。
「ああ、糸子、糸子」
唇を離すと、耳の中を舐められた。ぬるりと生温かな感触に覆われ、慎ましさの微塵もない声が糸子の唇から漏れる。
「んっ、ふ、ぁあ」
「僕の糸子……可愛い、可愛い糸子」
糸子の首筋へ接吻を落としていた薫が、柔らかな耳朶を噛んだ。
「あっ」
「湯へ入る前に僕のものにしてしまいたい」
「お兄、様……」
「いいと言っておくれ」
湯のことよりも、堂島家にいる人々のことが気になった。昨夜から大野にしか会っていないが、他の使用人がうろうろしている時間であろう。
「でも……大野さん、は」
「二階には上がるなと言ってある。他には誰もいないから気にしなくていい」
「使用人たち、は」
「大野さんの他にはいない、と言っているだろう。僕のことだけ考えておくれ」
思いを巡らす糸子へ、縋るように頬を擦り付けた薫は、たまらないというふうな声を出した。
「ごめんなさい、お兄様」
「僕だってあそこまでしたら、もう……抑えることはできないよ」
兄の瞳が熱を帯びている。糸子を求める欲の焔が、ちらちらと見え隠れしている気がした。
「して、ください」
「糸子」
「お兄様のことだけ、考えます。お慕いしています、お兄様……!」
告白を聞いた薫は切なげに目を細め、彼女の唇へ長く深い接吻を落とした。薫が動くたびにベッドがぎしぎしと軋む。どこかで、鳥が鳴いている。部屋の中は窓から差し込む日で夢のように明るい。糸子は手を伸ばして薫に触れた。白いハイカラーシャツを着たしなやかな体躯の肩先から首へ、そして頬へ。肌は熱く、糸子を求めて荒い呼吸に揺れていた。
兄の手が着物の裾を割り、糸子の内腿へと到達した。滑らかな肌を往復していた指はやがて、裾を大きく捲りあげて糸子の白い肌を露出させる。糸子の秘所は既に蜜が溢れていた。
「あ、あ」
糸子のぬめった玉門を、薫の指が撫で上げた。しとどに濡れたそこはぐちゅぐちゅと音を立て、兄の指を美味しそうに食べている。
「恥ずかし、い。このような音」
部屋に響き渡る水音が糸子の頬を赤く染める。腰をくねらせ、膝を閉じようとしても、薫の指の動きは収まらない。
「僕が欲しくて、こんなに濡れているの、糸子」
「……は、い」
「素直で可愛いね、お前は」
糸子の耳に唇を押し付けて言った薫が、ふいに体を起こした。衣擦れの音がする。はしたないと思ったが、ちらと彼に目を向けてしまった。薫はシャツの第二ボタンまでを外して首周りを寛がせ、黒いズボンと下着を脱ぎ捨てていた。白いシャツの裾に、彼の怒張が垣間見える。一瞬で昨日のことが思い起こされた。糸子の口中で果てた熱く硬いそれを。栗の花の香を。
羞恥に目を逸らすと同時に、再度覆い被さる薫が彼女の顔を覗き込んだ。
「ねえ、糸子」
「は、い」
「僕と一緒ならば怖くはないと、お前は言ったね」
「え? ええ」
何度も兄へ訴えた言葉だ。
「本当に、僕と一緒に堕ちても構わないのだね?」
「どうして、そんなことを訊くの? 私はどこまでもお兄様と一緒だわ」
今更過ぎる問いかけであった。兄を慕い、常世の闇へもついてゆくと告白した妹に、何の疑問を持つというのであろうか。
「私は嘘を吐いたりなどいたしません。お兄様にだけは絶対に」
強い目で兄へ訴える。この気持ちは未来永劫、変わることはないのだと。
「ありがとう糸子。大好きだよ」
「私も、お兄様が好き。大好き……!」
安堵した表情を見せた薫がいじらしく感じて、糸子は思いのままに手を伸ばして抱き付いた。
何度も唇を合わせ、舌を絡ませ合い、吐息を混じらせた。薫は糸子の頬や首筋、手のひらまでも接吻し、舐め、可愛がる。互いの露わになった下半身をすり合わせ、肌の温かさを押し付け合った。
そうして何度か睦み合いを交わしたあと、体を起こした薫が糸子の膝を大きくひらかせ、濡れそぼった玉門へ自身をあてがった。
「糸子……」
ひくつく花の潤いへ押し入れられ、引き裂かれるような痛みが糸子を襲った。
「ひ、っ! ……ん、んっ……!」
大きな声を出すことは、はしたない。そして、あまりに痛がれば薫が途中で止めてしまうかもしれないと咄嗟に判断した糸子は、固く瞼を閉じ、唇を噛み締めて我慢した。
これは、薫が自分の内に入ってくる証なのだ。昨日、口中で愛した硬く張り詰めた兄の肉の棒が、糸子を求めて深く繋がろうとする、喜びの痛みなのだ。
「痛むのか、糸、子」
動きを止めた薫の顔を見ようと、糸子は小さく頷きながら、うっすらと瞼を上げた。
「……お兄様、は」
「僕は、堪えるのが、大変だよ」
心配げに問いかける薫は糸子とは反対に、自身を引きずり込もうとする悦楽に耐えている。
「糸子の内は……具合が、良過ぎ、る」
我慢できないというように、薫がさらに腰を押し進めた。痛みの頂点がわからず、糸子の瞳から涙が零れ落ちる。
「う……んっ! んん!」
「糸子、ごめんよ、あ、ああ」
くぐもった声を出す糸子の上で、薫は快楽に喘いでいる。愛しい人が自分の内で、このように感じている。痛みを堪えながら彼の表情を目に焼き付け、この一瞬を心に刻んだ。
――初恋の相手へ、自分の純潔を捧げられた喜び。
如何ともし難い思いに打ち震えた糸子の唇へ、薫の口の端から零れた唾液が落ちた。舌を出して、その甘味な蜜を舐め取る。薫の唾液も、汗も、精も、自分の中へ取り込みたい。糸子にとっては薫の全てが、世界中のどれほど上等な宝石よりも、価値のある贅沢な宝物であった。
「糸子、もう少しだから、ね」
「……は、い」
薫は、か細い声を出した糸子の唇へ激しく接吻を施した。貪る兄の強さと、ときに優しく舐め取る甘やかさに翻弄された糸子の内肉は、途端に淫水が湧き出で、幾分か痛みが和らいでゆく気がした。
兄と妹が交わるという行いに、不思議と罪や嫌悪は感じられなかった。
それは糸子だけではなく、薫もだったのであろう。
痛みと、快楽と、焦りと、息の熱さと、沸き立つ互いの香り。それらに支配され、不慣れな二人は互いの全てが繋がるまでに時間を要した。口につくせぬ幸福の闇へと体を沈めた二人は、不器用な交わりの始まりに愛の誓いを掲げた。