片恋〜栞編〜

BACK NEXT TOP


21 引き寄せられた身体




「え、大丈夫? 何かされた? どっか痛いの?」

 違うよ、違う違う! ど、どうしよう……吉田くんの口の端から、血が出てる。

 肩から鞄が落っこちたのがわかった。でもどうでもいい。吉田くんの傍に駆け寄って、思わず大声を出した。
「ごめんね! ごめんね。痛かった?! ご、ごめんね?!」
 上手く言えない。怖かった。けど、吉田くんがあんなことされたのが、つらくてたまらない。私は何ともなかったのに、涙が止まらない。
「え、ああ、全然大丈夫だよ。ね? ほら何ともないよ」
「でも、でも血出て、る、うっ、ううっ」
「こんなの全然大丈夫だから。泣かないで、ね?」
 吉田くん困ってる。けど、わかってるけど、手が震えて涙も上手く止められない。
 彼は私の鞄を拾って、土をはたき、肩にかけてくれた。

「ごめん、びっくりさせちゃった?」
「なんで、吉田くんが謝るの……」
 吉田くんはちっとも悪くないのに。悪いのはあの先輩達なのに。
「いや、だってあの先輩、俺の事が原因でこうなったんだからさ」
「……」
「これ、使って」
 吉田くんがポケットから出したのは、自分のハンカチだった。
「……吉田、くん」
「もう、大丈夫だから」
 そう言って吉田くんは、そのハンカチを私の頬にあてて、そっと涙を拭いてくれた。優しいその感触にまた涙が溢れてくる。

「どうして」
「え」
「……どうしてそんなに、優しいの?」
 パンをくれた時も、金魚を頬にあててくれた時も、保健室で包帯を巻いてくれた時も、自転車に乗った時も……彼はいつも優しい。
「いつも……」
「いつも?」
「うん」
 私にだけじゃない。皆に優しいのはわかってる。だけどこんなに胸が苦しくなるくらい優しくしてくれるから、どうしていいかわからない。このままじゃ、もっともっと吉田くんのこと好きになっちゃうよ。

 もう泣き止みたい。彼が貸してくれたハンカチで涙を押さえる。
 その時、彼の手が私の背中に触れた。とんとん、と優しく叩いてくれる。ああ、小さいとき、お母さんがそうしてくれた。眠る時も、泣いている時も、とんとん、とんとんって。いつの間にか、安心して涙も止まり、吉田くんに目を向けることができた。

「あのさ、栞ちゃんの友達が俺に教えてくれたんだよ。それで、俺が先に帰ってくれって言ったんだ。傍にいて、変な事されたら嫌だしさ」
「うん」
「だから、別に栞ちゃんの事、置いて行っちゃったわけじゃないんだよ? すごく心配してたし」
「うん」
「俺が言ったから、」
「うん、大丈夫わかってる」
 大丈夫だよ。そんなに気を使わないで。わかってるから。

 私は涙を拭った吉田くんのハンカチを畳みなおして、それを持ったまま彼に手を伸ばした。
「ありがとう、吉田くん」
 彼の口の端に当て、そっと血を拭った。
「……」
「本当に、ありがとう。いつも」
 彼の瞳を見つめる。伝わって欲しい、私の思い。吉田くんありがとうって、パンをもらった時からずっと言いたかった。そして少しだけでも伝わるといい。あなたを好きっていう気持ち。

「……洗って返すね」
「いいよ」
「ちょっと待って」
 確か鞄に入ってたはず。あ、あった。けど……。
「あ、これじゃかわいすぎるよね」
 男の子にキャラクターつきの絆創膏は駄目だよね。
「ごめん、他になかったかな」

 その時だった。
 絆創膏を持っていた私の手首が掴まれた。
「大丈夫。つける」
「吉田く……」
「自分じゃつけられないから、つけて」
 心臓がまるで私のものじゃないみたいに、大きな音を立てている。吉田くんに掴まれている手首が熱い。いつもの、彼じゃない。

 吉田くんは私の手首をそっと離して、かがんで私に近付いた。同時に彼の香りがすぐ傍まで届く。
 どうしよう。手が震える。ゆっくりテープを剥がして、彼の顔に近付ける。まだ血が出ている口の端に、絆創膏を当てて、痛くないよう優しく押さえた。

「……」
 吉田くんは何も言わずに、私の瞳を見つめた。目の前の彼の表情に、動けなくなる。

 どうして黙ってるの?
 どうしてあの時と同じ、そんなに哀しい顔してるの?
 ……胸が、痛い。痛くてたまらない。

 しばらくすると彼は、私から目を逸らした。
 次の瞬間、彼は私の肩に触れ、気がつけば私の身体は彼の胸に引き寄せられていた。

「ありがとう」

 それは一瞬で、すぐに彼は私から離れて、自分の鞄を拾って肩に掛け、歩き出した。
「……帰ろう。送るから」
「……うん」
 今のは……何? 
 ありがとうって言った彼の、切なく響いた声が耳から離れない。一瞬だけ近付いた彼の温もりに、止まった筈の涙がまた出そうになる。


 秋の風が吹いてくる土手の道を、お互い何も言葉に出来ずに、触れない程度の距離に二人並んで、駅に向かって歩いた。




BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2009 nanoha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-