「でもね。大丈夫なの」
栞はもう一度ストローへ口を付けた後、桜井へ顔を向けはっきりと言った。
「そういうの全部わかってるから。涼ってほんとにモテるんだよ」
「……」
桜井は黙って栞の話を聞いている。
「不安になったら言うようにしてるし、涼もすぐに断ってたんでしょ?」
「うん、まあそうだけど」
桜井が答えたと同時に、また奴のケータイが鳴った。
再び俺を見て微笑んだ栞と視線を合わせる。何て言ったらいいのかわからない。ただ、全部わかっていると言った彼女の言葉が嬉しかった。
栞はメールを打ち終えた桜井へ声を掛ける。
「だからね、大丈夫だから」
「……」
「桜井くん、そのメール……彼女?」
その言葉に驚いて隣を振り向くと、バツが悪そうに下を向いた桜井がケータイを見ながら頬杖をついて言った。
「……に、なりそうな子」
「え!」
「何だよ、悪いのかよ」
桜井は顔を上げて俺を思いっきり睨んだ。何だよって何だよ。もしかして照れてんのか? こいつ。
「悪くないよ。良かったじゃん」
「まあな!」
「何キレてんだよ」
「お前にだけは教えたくなかったけど……な!」
桜井はさっきのお返しとばかりに、俺の足を蹴ってきた。
「いって!」
痛みに足を押さえた俺を見て、桜井は笑っている。まあ、俺に知られたくなかったっていう気持ちは何となくわかるけどさ。
食べ終わった途端、桜井は待たせているからとあっさりその場を後にして、メールを送ってきた女の子の所へ向かった。
店を出た後、栞に案内され大きな公園にやって来た。
芝生が豊富で随分と広い。あちこちある大きな木の下には、親子連れが敷物を広げて弁当を食べたり、楽しげに遊んでいた。
「涼、ボールで遊ばない?」
「ああ、うん。いいよ」
「あそこの売店で買ってくるね」
「俺が買うよ」
「いいの。さっきおごってもらったし」
売店から走って戻ってきた栞の手にあったのは、サッカーボールだった。
「ビニールだけど」
笑って言った栞の手元を見て頷く。
「いいじゃん、やろうよ」
「涼、中学の時やってたんでしょ? 教えて」
「もう全然だから下手だよ」
柔らかいボールを受け取った瞬間、ふといろんな事が頭の中を駆け巡った。
キツかった部活の練習、馬鹿なことばっかり一緒にやってた友達、受験の為に通い始めた塾で出会った厚志。
「いくよ」
「はーい」
離れた所から両手を振っている栞へボールを送る。
そうだ。当たり前だけど、俺にそういう時間があったように栞と桜井にもそれぞれの時間があったんだ。
桜井に彼女ができそうになったからってワケじゃなくて、自分の中学の頃を思い出したら、妙に納得できた自分がいた。
晴れているせいか、身体を少し動かしただけで暑い。
「疲れたー!」
ボールを手で押さえ、しゃがみこんだ栞の元へ駆け寄った。
「結構上手いじゃん」
「ほんと!?」
嬉しそうに俺を見上げた栞の前にしゃがんで、彼女の真っ直ぐな髪に手をやる。
「うん。栞ってさ、意外と運動神経いいんだよな」
「……意外と?」
「そう。意外と」
俺が笑うと栞も笑って、二人で芝生の上に腰を下ろした。ブレザーを脱いで額の汗を拭うと、隣で栞も同じ様にセーター姿になっている。
「涼、今日ありがとう」
「え?」
栞が春の少し霞んだ青空を見上げて言った。息を吸い込んだ彼女は、落ち着いた声で話し始める。
「桜井くんてね、中学の時結構人気あったんだ」
「……」
「あたし桜井くんと仲が良くて、周りの皆も付き合っちゃえばーって感じで、何が何だかよくわからない内に、桜井くんと付き合い始めたの」
「……ふうん」
「付き合うっていっても桜井くんて部活命だったから、たまに一緒に帰ったり、ちょこっとメールするくらいだったんだけどね」
部活命か、あいつらしいな。
「でもね、友達で真剣に桜井くんのこと好きな子がいるってわかった途端、急に冷めちゃったの。すごく勝手なんだけど、自分は桜井くんに対してそんな風に思ってないんじゃないかって」
こんな話を栞の口から聞いて動揺しないでいられるなんて、少し前の俺じゃ考えられない。すごく不思議だ。
「桜井くんも二人になるとあんまり話もしなかったから、お互い何も言わないまま何となく連絡も取らなくなって、自然消滅」
「……そうだったんだ」
「桜井くん、そのことに責任感じてた。科学室に呼ばれた時言われたの。これから一緒にいられるんなら、あんな風にはしない、もっとちゃんとするから、って。私にも悪い所はあったのに」
「……」
「だから今日はね、確かめたかったんだと思う。涼を見てあたしのことはもう大丈夫だって。……きっと」
芝生を触っていた栞が、俺の方を向いた。
「聞いてくれて、ありがとう」
「うん」
「それに、桜井くんのこと断らないで一緒に行こうって言ってくれて嬉しかった」
「あれは俺も意地になったっていうか……。そんなカッコイイもんじゃないよ」
桜井はやっぱり、ちゃんとわかってたんだよな。中学の時だって本当はあいつなりに栞のこと、大事にしてたのかもしれない。
「桜井の彼女のこと、知ってたんだ?」
「うん。杉村さんから聞いてたの。多分上手くいくと思うよって」
「寂しい?」
「え?」
「あいつに、彼女できるの」
ちょっと意地悪だったかな、こんな質問するの。もうそこに嫉妬とかないから笑って言えるんだけど。
「涼も……そんな風に思うの?」
「え……」
「元カノに彼氏できたら、寂しいって思うの?」
少し拗ねた顔をした栞が可愛すぎて……ヤバイ。膝を抱えたまま俺を見つめる栞の後ろへ回り込んで座った。
「思わない」
脚を広げ、間に栞を挟みこむようにして、後ろから手を回してそっと抱き締める。
「……ほんとに?」
「ほんと」
「あたしだって思わないよ。涼とおんなじだもん」
恥ずかしそうに俯いた栞の柔らかいセーターの肩に、後ろから顔を乗せた。
「栞、こっち向いて」
「え、ダメ」
くすぐったそうに肩をよじる栞の頬にキスしようとすると、彼女は慌ててこちらを振り向いた。
「涼」
栞は俺の目をじっと見ている。
「どうして、ダメ?」
「……だって、ダメだよ。人もいるし」
腕の中に閉じ込められた彼女が囁いた。昨日ケータイの向こうから聞こえてきたのと同じような声で。
ダメだって言われたって、そんな声聞いたら俺だってダメだ。今すぐ栞にキスしたい。大好きな栞に。今こうして傍にいてくれる栞に。急にドキドキしてきた心臓を抑えて我侭を言ってみる。
「やだ、したい」
「……」
「……ちょっとだけだから」
いい加減しつこいのもわかってる。いつもの俺だったらここまで言わないんだけど、今日はどうしても無理だ。
「じゃあほんとに……ちょっとだよ?」
恥ずかしそうに言った栞の唇に、言われた通り軽くキスしてすぐに顔を離した。でもすぐに今度はおでこと頬にした後、もう一度唇へ触れた。
赤くなって俯いた栞の手を握る。
「ちょっとって、言ったのに」
「栞、いちご好き?」
「え、いちご?」
「そう」
「大好きだよ? なんで?」
「……良かった。だったらいいんだ」
「え、なあに? 教えて?」
「日曜日ね」
俺の手を握り返した栞の手を引っ張り立ち上がると、暖かい春の風が緑の匂いと一緒に届いた。気持ちのいい空気を胸いっぱいに吸い込む。
またひとつ、二人の間にあった何かが取り払われて、栞にもっともっと近付けた気がした。
今日はこのままずっと手をつないで帰るんだ。駅に着いても電車に乗っても、栞の家に着くまでずっと。
俺が昨日厚志に感じたように、誰かが見たら羨ましいって思われるくらいに、さ。
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