カルボナーラとフレンチトースト続編

(2)コーヒーと抹茶ラテ




「け、結婚!?」
「ちょっと優菜、声大きいってば」
「ごめん」
 秋子が声を潜めて私をたしなめた。二人でお気に入りのこの居酒屋は、明かりも暗めの大人な雰囲気で、ほとんどが個室風になっている。ふう、ね。だから会社で出来ない話をするには、ちょうどいい場所なんだ。

「だって早すぎない? 秋子、その人と何回会ったんだっけ?」
「……2回会って、3回目でプロポーズ」
 さ、3回目って。初めて会ったのも確か、先々月くらいだよ?
「そりゃ、ちょっと早いかなとは思うけどさ」
「いい人なの?」
「まあ、いいっていうか……職業はいいかな。お医者さんだし、既にマンション持ってるし、車も外車だしー」
 信じられないその言葉に、じっと秋子の顔を見つめていると彼女は私から目を逸らした。

「……まさか田中さんが、あんな人だとは思わなかったし!」
 秋子はイライラした口調で、一気にビールを飲み干して、グラスを勢いよく置いた。ちょっと割れるってば。
「何アレ、今年高校卒業したばっかりの彼女って。今まで女子高生だった子と付き合ってたわけでしょ? 犯罪よ、犯罪!」
 秋子の話を聞きながら、お通しにお箸を伸ばして口へ入れる。あ、美味しい。何だろう? これ。
「彼女いないのかと思って、ずっと追いかけてたのに。一気に幻滅したわよ。何、あのロリコンは」
「でも10コくらいなら、たいしたことないんじゃない?」
「正確には11コよ。20歳と31歳とかならいいわけ。25と36とかさ。もっと年取れば全然関係ないとは思うよ? でもさーあ、17歳と28歳じゃワケ違うでしょ」
「うーん……そう、かも」
「何だかんだ言って、男は若い女の方がいいってことよ」
「そんなことないんじゃない? 女の人が年上っていうカップルだっていっぱいいるじゃん」
「……優菜だって、皆川さんにとっては若い女でしょ」
「あのねえ、学年で二個しか変わんないんですけど」
「ま、そうだけどさ。とにかく、私はすごーくいい条件の人を見つけたんだから、もう田中さんのこととかどうでもいいの」
 テーブルに届いたお豆腐のサラダを、秋子が丁寧に取り分けてくれる。

「優菜も早く結婚しちゃいなよ。愛しの皆川さんと」
「え……」
「付き合ってもう二年経つんだっけ? 社内恋愛だってキツイでしょ? 隠しながら付き合うの」
「それは、彰一さんにも都合があるし」
「……」
 私の言葉に反応しない秋子は、彼にもらったという指輪を、うっとりと見つめていた。
「ねえ、秋子」
「うん?」
「……ほんとにその人でいいの? 大丈夫なの?」
「それはこっちの台詞。優菜も頑張んなよ。ほらあの、富山さん」
 突然秋子は私の顔を真剣に見つめた。
「新人の?」
「そう。短大から採用した女の子。まだハタチだよ、ハタチ! うかうかしてると、皆川さんだってわかんないよ〜?」
「絶対そんなことないもん」
 ふーんだ。思わず唇を尖らせて目の前のサワーが入ったグラスを持ち上げる。
 でも……結婚、かあ。彰一さんは今年27歳。私は12月の誕生日が来れば25歳。ちょうどいいと言えば、ちょうどいいんだろうけど。

 その時メールが入った。
「皆川さん?」
「うん」
「何だって?」
「今日も残業で仕事全然終わんないから、明日は会えるかわかんないって」
 最近こういうことが多い。この前彰一さんが私の部屋へ来てから、そろそろ三週間。会社をあげての企画に、彰一さんもかなり関わっているから仕方がないんだけど……正直少しだけ寂しい。
「だから早く結婚してさ、お家で待っててあげればいいじゃん。疲れた旦那サマを迎えてあげてさ」
「実感湧かないよ、そんなの」
「そう? 週末だってしょっちゅう一緒なんでしょ? 最近は忙しいかもしれないけどさ」
「そうだけど、一緒に暮らすってなったら、それはまた別なんじゃないかな」
「だいぶ優菜の部屋も綺麗になったんだから、大丈夫でしょ」
「ちょ、ちょっと、何でいきなりそういうこと言うのよ」
「だってほんとのことじゃーん」
 秋子が大笑いした。もう、ほんと失礼なんだから。


 月曜日、出勤するといつもの場所で、彰一さんは外を眺めながらコーヒーを飲んでいた。ちょうど誰もいないし、挨拶したいな。後ろからそっと近付き、声をかける。
「おはようございます」
「あ、おはよう」
 振り向いた彰一さんは周りを一瞬見回してから、私にこそっと言った。
「土日、ごめん」
「そんな、いいんです全然。ていうか、大丈夫ですか?」
 誰が聞いているかわからないから、私は一応敬語。彼はストライプのYシャツに、私があげたネクタイを締めてる。
「大丈夫って?」
「忙しそうだから……身体」
「大丈夫だよ」
 彼は私を安心させるように笑って言った。よくわからないけど、その笑顔に胸が痛くなる。
「最近、これ好きなんだっけ?」
 彰一さんは自販機にある『抹茶ラテ』を指差した。
「え? はい。好きですけど」
 言い終わる前に、彼がボタンを押した。
「一緒に飲も」
「……はい」
 痛かった胸が今度はじわっと温かくなって涙が出そう。こんな、ほんのちょっとしたことなんだけど……嬉しい。

 無理しないでね、って彰一さんを見つめて思う。
 金曜の夜、秋子に言われたことが頭を掠めた。先のことなんて、まだよくわからないよ。私一人がどうこうできることじゃないし、それを彰一さんに押し付けたりはしたくない。
 こうして傍にいると、そんなこと全部どうでもよくなるくらい、ただ……彰一さんのことが好きなの。それだけ。

 紙コップを両手で持って、甘くてちょっぴり苦い抹茶のラテを飲み込むと、優しく微笑む彼と目が合った。



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