「優菜ちゃん、食洗機使うから洗わないでいいよ?」
お義母さんに言われて、スポンジを持った手を止める。
「あ、そうでしたよね」
前に来た時も同じこと言われてたのに忘れてた。
「緊張しすぎ。もっと肩の力抜いて。ほら」
「ひゃ」
お義姉さんが後ろから私の両肩をぎゅっと揉んだ。それを見たお義母さんが笑いながら、食器を次々と食洗機へ入れた。
「ねえねえ彰一ってさ、どう?」
「ど、どうって……?」
お義姉さんが肩に手を置いたまま、私の耳元で囁いた。急に静かな声で言うから驚いてしまう。彼女は背が高くて、顔立ちがお義父さんに似ていた。
「あいつってさ、料理も掃除も家事ほとんど出来るから、すごい腹立つ時ない? あたし結婚するまでここで、いつも叱られてたもん。もっとあれやれ、これやれ、ってさー。うるさーいって言い返してたけど」
お義姉さんが、あははと大きな声で笑った。意外だけど穏やかな彰一さんでも、やっぱり姉弟喧嘩するんだ。
「何言われても、はいはいそうですかって、ぜーんぶ彰一にやらせておけばいいんだからね」
「そうねー。あの子結構難しいところあるから、何かあったらすぐ私たちに言うのよ? 叱ってあげるから」
食洗機用の洗剤を手にしたお義母さんが優しく微笑んだ。その瞬間、胸がきゅーっと苦しくなってしまった。
「そんな、こと」
「ん?」
「そんなこと全然ないんです。彰一さんは、いつも」
苦しくなった胸が詰まって、言葉がなかなか出てこない。
「彰一さん、全然そんなことないです。いつも優しくて怒ったこともない。でも、私の方が何もできなくて、め……」
「め?」
「迷惑を掛けてしまって申し訳ないんです。さっきも彰一さんがいなかったら、あの料理失敗していました」
お義母さんが私を見つめてる。
「あれ、彰一が作ったの?」
「いえ、私が作ってる途中で困ってたら、ここに来てアドバイスしてくれたんです」
「それだけ?」
「……はい。でも、せっかくお義母さんに頼まれたのに、一人で上手くできなくて、ごめんなさい」
頭を下げて自分のスリッパを見た。
「まさか、そんなこと気にしてたの?」
お義姉さんの呆れ声が後ろから聞こえた。顔を上げて振り返る。
「叱られなきゃいけないのは、私の方、なん、です」
ここで泣くなんて卑怯だ。もう結婚して、大人で、25歳で、皆川家のお嫁さんになったんだから。みっともないところは見せちゃ駄目。
「馬鹿だねえ、もう!」
シンクに洗剤をどん、と置いたお義母さんが私を抱き締めた。ふんわりと優しい匂いに包まれる。
「そーんなちっちゃいこと気にしてどうするの! ちゃんとやってくれたじゃないの。あたしたちは優菜ちゃん気に入ってるんだから安心しなさい」
後ろからお義姉さんも私たちを包むように、ぎゅーっとしてくれた。
「そうだよ。ちゃんとしたお嫁さんやってるわよ。私が保証する。あの彰一が気に入った人なんだから大丈夫」
堪えてた涙が一気にぽろぽろと零れ落ちてしまった。
「嬉しい。ありがとう、ございます」
それだけ言うのが精一杯な私に、お義母さんが言った。
「ああ、そうだ。優菜ちゃんに、皆川家のお嫁さんになった記念に、秘伝のレシピを教えてあげようね」
お風呂に入ったあと、ふかふかのお布団に寝転がり、綺麗なタオルケットを体に掛けて、うーんと声を出して体を伸ばした。横の布団では彰一さんが私と同じように寝転がって雑誌を読んでいた。
ここは、彰一さんが一人暮らしをする前に使っていたお部屋。でももう彼のものは一切なくて、がらんとしたお部屋にお客さん用のお布団しか置かれていない。
「疲れたんじゃない? 優菜ちゃん」
「ううん、そんなことない。あのね、さっきお義姉さんに彰一さんのこと、いろいろ聞いちゃった」
「え、どうせろくなこと言わなかったんじゃない?」
眉をしかめて呟いた彰一さんが、少し子どもっぽく見えて可笑しかった。
「私、幸せだなあって思ったの」
「どうしたの、急に」
「皆優しくて、彰一さんに似てるね」
「そうかな」
「うん。彰一さん、私と結婚してくれてありがとう」
天井を見つめて呟いた。本当に心からそう思ったから。今日ここへ来て良かった。
ふいに彰一さんが起き上がって、何も言わずに私に覆い被さり唇を重ねた。最初は軽く触れるくらいだったのに、だんだん深く重ねていく彼に戸惑う。一旦唇を離した彼は、私の首筋にもキスした。
「あの、彰一さん」
「……うん」
洗ったばかりの彼の髪がいい香り。でも、でもだめだよね。彼のTシャツを掴んで囁く。
「彰一さん、あの、ね」
「わかってる」
溜息を吐いた彼が離れた。
「さすがに実家じゃまずいから、今はやめとくけど」
「う、うん」
「でも帰ったら、いい?」
「……はい」
彼は頷いた私の頬へ、優しくキスしてくれた。
「俺も、ありがとう。さっき優菜ちゃんが言ってくれた言葉が嬉しくてさ」
「彰一さん」
「俺も幸せだなって思ったわけ」
照れくさそうに笑った彼が私の手を取る。
その晩はそのまま、手を繋いで眠った。
翌日、お昼ご飯をいただいて、私たちは彰一さんの実家をあとにした。
車での帰り道。赤信号で止まった時、運転席の彰一さんが助手席に座る私を見て言った。
「さっきから大事そうに抱えてるけど、それ何?」
私の膝の上には、昨夜渡されたものが、品の良い色の風呂敷で包んである。
「秘密。お義母さんに材料いただいたの。お家に帰ってから作るね」
「あー、俺わかっちゃったかも」
「言っちゃ駄目。出来上がったら見せるから、それまでのお楽しみ」
わかったと笑った彰一さんが、青信号に変わったのを確認して車を発進させた。
外は今日も真夏の太陽が照りつけている。坂を下ると海が見えてきた。
「優菜ちゃん、この二日間いいお嫁さんしてたよ」
「ほんとに?」
「ほんと」
彰一さんの家族を思い出した途端、温かくて懐かしい気持ちになった。もう、私の家族でもあるんだよね。
「また連れてってね」
「もちろん。ああ、でも今度は俺が優菜ちゃんの実家ね」
「うん!」
きらきらと光る海の傍を走るこの道のように、長く長くずっと続いていくもの。大切なものをまたひとつ、見つけられたような気がした。
〜end〜
またいつか、この二人のお話を書けたらいいなと思っています。読んでいただきありがとうございました!感想や拍手などをいただけるととても嬉しいです。→
葉嶋ナノハ
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