ななおさん
番外編 鎌倉めぐり(前編)
壮介さんの肌の匂いに混じって届く花の香りが、私を目覚めさせた。
彼の腕の中で瞼を上げる。壮介さんの寝息と温度が心地いい。
昨日の挙式後、一年分の思いを込めて愛してあげると宣言した通り、昨夜彼は私の心も体も全て、たくさんたくさん愛してくれた。気持ちが通じてからだっていつも愛してくれたけど、昨夜は……すごく丁寧に感じさせてくれて、思い出すと赤面してしまうほど。数回達した私は、披露宴の疲れも重なって、そのまま気を失うように眠ってしまったみたい。たくさん乱れて、そのまま眠っちゃったなんて、壮介さん呆れてないかな。
今、何時だろう。閉まったカーテンの隙間から明るい日差しが入り込んでいる、ということは朝だよね。
「……七緒さん?」
体を動かしたら気付かれてしまった。首筋にかかった彼の息がくすぐったい。
「ごめんね、起こしちゃった?」
「んー……大丈夫。何時?」
「待って」
体を起こして備え付けのデジタル時計に目をやる。
「あ、九時過ぎてる」
「……お腹空いた?」
「それほどでもない、かな」
「僕も」
「あ」
壮介さんは私の腕を引き、自分の腕の中に閉じ込めた。
「もう少しここにいてさ、外に昼ごはんを食べに行こうか。チェックアウト遅いんだし」
「うん」
「……七緒さん」
微笑んだ彼は私を自分の体の上に乗せ、そっと唇を重ねた。柔らかい舌が優しく、そして徐々に激しく私の口中を舐め回す。壮介さんの指が私の背中から腰までを何度も往復し、空いている方の手が疼き始めた私の足の間へ滑り込んだ。昨夜散々溶かされていたせいで、彼の指は私の中に容易く挿入ってしまった。ゆっくりと動かしながら奥の方まで入り込んでくる。
「ん……んふ……ぁ」
唇を離して、目の前にある彼の瞳に問いかけるように覗き込んだ。起きたばかりの潤んだ黒目が……綺麗。
「壮介さん、あ、あの」
「ん?」
「疲れてない、の?」
挙式や披露宴の最中、彼は常に堂々としていて、狼狽えたりお酒に酔うこともなく、私を常に引き立て、周りに気を遣っていた。とても頼りがいがあって素敵だったけれど相当疲れたのではと思う。昨夜もたくさん愛してくれて……体力使っただろうし。
「七緒さんといるとすぐ元気になっちゃうんだよねー。ほら」
心配する私を余所に、にっと笑った彼に手を掴まれた。硬く張り詰めた彼のものに導かれる。
「朝だからっていうのもあるけど、一番の原因は七緒さん」
「!」
「好きだよ、七緒さん。大好きなんだ」
「私、も……んう」
突然激しく唇を奪われた。そんな嬉しいことを言われながら求められたら、どんなことにだって応えてしまいたくなる。
出入りする彼の指を感じながら、私の手の内にある彼のものを上下に動かした。起き抜けの敏感なそこが、彼を早く欲しいと蜜を溢れさせる。
「……挿れてくれる?」
眉を寄せた彼のおねだりする表情が、私の体の芯をぞくりと震わせた。小さく頷き、彼のものの真上に跨り、私の中へ静かに迎え入れた。待ち望んで蜜を垂らしたそこが、簡単に彼を呑み込んでいく。
「あー……溶けそうだ」
私が腰を沈ませた途端、艶のある声を吐き出した彼が下から突き上げてきた。頭のてっぺんまで貫かれたように全身が甘い感覚に襲われる。
「あっ、あぁ……っ!」
壮介さんの両手が私の胸を包んだ。温かい手のひらで、揺れる胸を揉みしだく。
「っあ、あぁ!」
先端を指でつままれた刺激に、思わず仰け反った。
「気持ちいい?」
「う……っん、いっ、いい……」
強く揺さぶられて……上手く返事ができない。突き上げられて、今度は私が上下に腰を動かして……感じるままに果てそうになったとき、彼が繋がったままで体を起こした。その拍子に壮介さんの硬いものがお腹の奥まで押し入り、視界が眩く歪んだ。
「あっあっ、ぁあ……っ!」
お互い座ったままで繋がる部分を擦り合わせる。熟しきった私の入り口からは蜜が止まらず、いやらしい水音が部屋に響いている。
「だめだ、ごめん」
謝る壮介さんが、私の胸の谷間に顔を埋めた。
「な……に?」
「もう、もたない……出そう」
苦しそうな吐息を私の肌に載せ、頬を摺り寄せている。甘えるような仕草に胸がきゅんとして、彼の黒い髪に指を入れて耳元で囁いた。
「そ、すけさんの、好きなとき、に……出して」
「……いいの?」
「……ん」
「中に、出しちゃうよ?」
「いっぱい……ちょうだい」
だってもう、そろそろいいんじゃないかって思い始めているから。ううん、もっと前から欲しいって……思ってるの。それを言ったら驚かれる? まだ早いって言われちゃう?
「七緒さん……!」
顔を上げた彼と唇を重ね、互いの甘い雫を啜り合った。壮介さんの好きなように、好きなだけ……
刹那、激しく突き上げた彼が呻いて腰を震わせた。私の一番奥に放たれた愛しい滴を漏らさないようにと、蜜の奥が勝手に痙攣して彼のものを締めつけている。快感の波に溺れながら壮介さんにしがみつくと、彼も私を壊れるほどに強く抱き締め……愛の言葉を降らせてくれた。
しばらく抱き合って、ぼんやりしていた。
「さっき……目が、覚めた時にね」
「ん?」
シーツの中で横向きになり、後ろから彼に抱きかかえられている格好で、デスクの方へ視線を送る。
「壮介さんの匂いに混じって花の香りがしたの」
「昨日の祝電と一緒に送られた花?」
「うん。すごくいい香りがして、一瞬で昨日の結婚式のことが思い出されて、すごく幸せだった」
デスクの上には祝電と一緒に送られてきたバスケットのお花が数個。くまのぬいぐるみと一緒の祝電もあった。
「お家でもしばらく楽しめそうで嬉しい」
「そうだね。明日、帰りに車に積んでいこう」
今夜もこのホテルに宿泊する予定になっていた。
式場の下見や打ち合わせに何度か鎌倉を訪れたけれど、衣装やヘアメイクを決める時間がかかったり、そのあと壮介さんの仕事で帰らなくてはならなかったりと、なかなかゆっくり回れなかったんだよね。だから今日は時間を気にせずゆっくり鎌倉にいられることが、とても嬉しい。
支度をして十一時にホテルを出た。
今日も良い天気で、昨日よりも気温が高く上着がいらないくらいだ。歩きながら彼に尋ねる。
「お義父さんたち、もう帰られたの?」
「ホテルは出たみたいだね。メールが入ってたよ。七緒さんによろしくって」
「ゆっくりしてもらえたなら嬉しいんだけど……」
昨日ここへ宿泊したお義父さんとお義母さんも、今日はお店を休みにしていた。普段本当に忙しい二人だから、たまには羽を伸ばしてもらいたかった。
「できたんじゃない? すごく喜んでたし。このあと北鎌倉の方へ散策に行くらしいよ」
「北鎌倉に!? 平日だし、あの辺なら落ち着いて回れるよね。良かった」
思わず両手を合わせて顔を綻ばせる。北鎌倉は広々とした境内のお寺が多くのんびりできる、私も大好きな場所だ。
「明日はそっちにする? 車で帰りがてら」
「わ、嬉しい……!」
喜びのままに壮介さんの腕にしがみつくと、彼が私の顔を覗き込むようにして言った。
「僕が、そこの鉄板焼きの店で言ったこと覚えてる?」
指差した場所にあるのはホテルの敷地内に立つ、古民家のようなお店。彼と初めて食事をした場所だ。
「言ったこと?」
「また一緒に出掛けませんか、って言ったの覚えてない?」
あの時、彼のことをまだ何も知らなかった私は、緊張しながらも胸をときめかせて食事をしていた。住んでいる場所、私の手帖のこと、お互いまだ着物の初心者ということ、そして……
「もしかして、銭洗弁天と佐助稲荷のこと……?」
「そう。源氏山に行く坂がきついから、今度は着物じゃないときにって誘ったんだ」
「うん、覚えてる」
雪駄や草履だと坂道を上がれないなんて、話していたんだっけ。
「実はあのとき、こうなったらいいなと思って言ったんだ。七緒さんとこの辺で結婚式をして、次の日に源氏山のほうへ行けたらいいなってね」
「え!」
「見合いなんてする気のなかった僕が、七緒さんだったらいいって思ったんだよ? そこまで考えてる相手を前にしたら、当然そのくらいの想像はするでしょ」
あの夜の、食事時の会話を思い出して赤面する。壮介さんの思惑にこれっぽっちも気付かずにいた私に教えてあげたい。あなたは既に愛されているんだから、もっと自信を持ちなさいって……
ホテルの敷地内を出て道路を左へ曲がる。
下り坂の最終地点に青い海が広がっていた。晴れ渡る空の色がそのまま映っている。
「綺麗……!」
「どうする? 江の島のほうに行く?」
「それもいいけど、やっぱり今日は源氏山に行きたいな」
「よし、じゃあそうしよう」
私の手を取って繋いだ彼と共に、軽快な足取りで坂道を下りて行った。
江ノ電に乗って鎌倉駅で降り、歩きながら見つけた定食屋へ入った。夜は居酒屋に変わるようだ。早目の時間に訪れたにもかかわらず、私たちのあとにすぐ人が入って、あっという間に客席が埋まってしまった。
私は豆腐ハンバーグ定食、壮介さんはアジのフライ定食を頼んだ。平たい大きなハンバーグにたっぷりとあんかけスープがかけられ、青ネギが散らしてある。柔らかくてとても美味しい。ご飯茶碗によそられたごはんを口に入れると、ふわっと良い香りが広がった。
「このしょうがごはん、すごく美味しい」
「フライも美味いよ。いい店見つけた」
「ね」
笑いかけると、壮介さんも頷きながら微笑んだ。
朝ご飯を食べていなかったから、あっという間にお昼ご飯を食べ終えてしまった。
定食屋さんを出て大通りを歩き、しばらく進んでから路地へ曲がった。閑静な住宅街の中を歩いて行く。観光客は少なく、鳥の鳴き声が聴こえるくらいだった。秋晴れの空が気持ちいい。
突然、急な坂道が現れた。ここを上って行くんだよね。
「あーこれやっぱり着物で来たらきついな〜。七緒さん平気?」
「今日はヒールじゃないから大丈夫。草履だったら絶対無理だけど」
「僕も着物着て雪駄だったら、帰りの下り坂は転がっちゃいそうだよ」
「そんなに……!?」
思わず吹き出すと、壮介さんも一緒に声を上げて笑った。
ぎゅっと手を繋いで坂を上って行く。昨日は皆に祝福されて一日中笑顔で、今もこんなふうに何の不安もなく愛する人と笑い合えているなんて……本当に幸せ。
彼と一緒にいることを諦めないでよかった。
葉の色づき始めた源氏山公園をゆっくり散策してから、坂道を戻って銭洗弁天へ寄った。岩のトンネルを抜けると境内が現れた。
土日ほどではないけれど、ここは観光客で賑わっている。お参りをして薄暗い洞窟に入ると、そこはひんやりと湿った空気に満たされ、ちょろちょろと流れる水の音が響いていた。足を滑らせないように慎重に歩みを進める。
「久しぶりだよ、ここに来るの」
「私も。遠足の時以来かも」
「へ〜遠足に鎌倉へ来るなんていいね。僕は不動産の仕事で、このへんの物件を紹介に来た時以来かな。なぜか、お客さんの家族と一緒にお参りした」
苦笑した彼がお財布を取り出す。
「東京からここまで?」
「たまにそういう人もいるんだよ。何回か横浜の物件を紹介したこともある」
「そうなの」
お水のところに並べてあるザルとひしゃくの前に近付く。隣で年配の人が楽しそうにお金を洗っていた。お寺なのに何だかわくわくしちゃう。
「よーし、洗うぞ」
バッグからお財布を取り出していると、横で彼の張り切った声が届いた。ちらりと彼の手元を見て驚く。
「壮介さん、一万円!?」
「そうだよ。こういうのは景気よくいかなくちゃ。七緒さんは?」
「……小銭にしようかなーって」
千円札ですら躊躇う私って、ほんと小心者だよね。壮介さんの言う通り、せっかくだから景気よくいってみようかな。よ、よし……。
お財布の五千円札を取り出そうとした時、目の前に一万円札を差し出された。
「ほら七緒さんも。あげるから」
「えっ!」
もう一枚お財布から万札を出している。
「いいから、いいから」
強引にお札を持たされ、渡されたザルに入れる。流れる澄んだお水をひしゃくで掬ってお金にかけた。
一万円につられたわけじゃないんだけど、壮介さんのこういうどんどん進めて決めちゃうところに、結構ときめいたりする私がいる。多分、私とは正反対の部分だからかな。
立ち上がって洗ったお札をつまみ、ひらひらとさせて水けを飛ばした。同じようにしている彼と一緒に洞窟を出る。
「これってさ、使わないと御利益がないんだよね」
「そうなの? ずっと取っておくものだと思ってた」
といいつつ、そう言えば……遠足で洗った小銭はいつの間にか無くなっている。
「うん。だからすぐ使っちゃいな」
「ありがとう、壮介さん。……いいの?」
「あのさ」
「?」
「僕のもの買ったりしないで自分のために使うんだよ? 七緒さんにあげたんだから」
「うん、そうします」
「よしよし」
嬉しそうに笑った彼は、私の肩を抱いて再び歩き出した。
銭洗弁天を出てさらに坂を下って行き、しばらく歩いた先で右に曲がった。住宅街の中を進んでいくと、佐助稲荷神社の朱い鳥居と幟旗が見えた。
「すごい数の鳥居。私、ここに来たのは初めてなの」
「テレビで見たことはあるけど、僕も初めてだな」
朱い鳥居が連なり、まるでトンネルのようだった。その中を進みながら石段を上がる。ふと、鳥居の根元に何かがあるのを見つけた。
「壮介さん見て。お狐様がいる」
「稲荷神社だからか。あ、七緒さん、そっちにもいるよ」
「ほんとだ……!」
よく見ると参道脇の木々の下や草むらにも、陶器や石でできた小さなお狐様がいた。不思議な世界に迷い込んだような気持ちになる。
石段を上りきった本堂の周りには、もっとたくさんのお狐様がずらりと並んでいた。まるでこちらを見ているみたい……。神妙な気持ちでお参りをする。
「油揚げ買って来てあげればよかったかな」
ぼそっと呟いた壮介さんの言葉が、何だか可愛かった。
「七緒さん、笑ったでしょ今」
「私も同じこと思ったの。まさか、壮介さんが油揚げって言うとは思わなかったから、なんか不意打ちで可愛かった」
「……」
「壮介さん、優しいね」
恥ずかしそうにむくれた彼に寄り添いながら振り返り、本堂の前から参道を見下ろす。
神秘的な朱い鳥居の美しさにため息を漏らした私たちは、手を繋いで参道の階段を下り始めた。