ななおさん
番外編 贈りもの
家の中にいても冷え込みが強くなったと感じられる夕方過ぎ頃。一階の和室で刺し子刺繍をしていた私は、リビングとキッチンを暖め、エプロンをして気合を入れた。
今日はクリスマスイブの前日。
明日は遅くまで仕事になるかもしれないと壮介さんから聞いた私は、一日早いイブの準備を始めていた。
生ハムとベビーリーフのサラダはクリスマスを意識してお皿の上でリースの形にしてみる。昨日から仕込んでいたテリーヌをカットして並べ、昼間作った野菜たっぷりのクリームシチューはパイシートを載せてオーブンに入れてポットパイに。ワインと一緒に食べるチーズと、鶏の丸焼きがあれば、何とかそれなりに見えるよね。
あとは壮介さんへのプレゼントだ。シンプルだけど肌触りのよいカシミヤのマフラーと、お仕事用のネクタイ、そして……もうひとつ、秘密にしていたプレゼントを用意している。
喜んでくれるかな? それともまさかって驚く? 彼の顔を想像して顔を綻ばせたときスマホが鳴った。もう帰るよ、と壮介さんからのメッセージが入ってる。
みもと屋からここまでは車で十五分もかからないから急がないと。
「やっぱり、コタツで食べるのよね………?」
冬は絶対コタツ派の彼の為に、そこへ料理を運んだ。和室でクリスマスというのも、私たちらしくていいかもしれない……ということにしておこう。
「ただいまー」
「お帰りなさい。……ん」
玄関へ出迎えると、靴を脱いだ壮介さんにキスをされた。朝は私が彼の頬にキスをしながら行ってらっしゃいをして、帰宅した彼が私の唇にキスをする、という習慣がずっと続いている。甘い気持ちになれるこの瞬間が、大好き。
「美味しそうな匂いがするね」
「一日早目のイブにしてみたの」
「そうか、楽しみだな〜」
笑った壮介さんは二階へ上がって行き、しばらくしてから和室にやってきた。
「ごちそうだ」
「飲み物持ってくるから、ちょっと待っててね」
着替えて半纏を羽織った彼は、いつも通り早速コタツに入る。
「あ〜……コタツっていいよね。コタツを考えた人って天才だよね〜」
嬉しそうにひとりごちながら、壮介さんは背中を丸めた。ぬくぬくという言葉がこれほど似合う人ってなかなかいないんじゃないかと思う。この表情を見ていると、何だか私まで幸せな気持ちになってしまうんだよね。
シャンパンの栓を抜きながら壮介さんが言った。
「七緒さん、ごめん。やっぱり明日の定休日は出勤になった。今年から和風ケーキ出すようにしたから忙しくてさー」
「ううん、大丈夫。たくさん売れたの?」
「予約分は完売したよ。明日の店頭分がたくさん控えてるけどね」
「店頭販売も人気が出てるねって友達に言われちゃった」
最近壮介さんはネット通販だけではなく、みもと屋の店頭販売にも力を入れ始めていた。店頭限定の商品を少しずつ増やし、それが結構評判になっている。商店街が雑誌に掲載された際、みもと屋が大きく載ったのも影響しているようだった。
「僕も明日ケーキの売り子をするんだ。商店街で配られたサンタ帽被るんだよ」
「壮介さんが被るの?」
「僕だけじゃないよ。販売のパートさんもバイトの子たちも皆被るんだ。有澤さんのカフェも同じの被るらしいよ。家具職人さんはどうするんだろ」
楽しそうに笑った彼に問いかける。
「あの、私も手伝いにいったほうがいいよね?」
「気持ちだけもらっとく。店頭は冷えるし、七緒さんが風邪引いたら大変だし。はい、どうぞ」
栓を抜いたシャンパンボトルを向けられた。確定ではないとは言え、飲むのはやめたほうがいいよね。
「えっと、ごめんなさい。今日はやめとくね」
「そうなの? ていうかさ、最近七緒さん飲まないよね。別にかまわないけど」
「う、うん」
笑ってごまかし、ボトルを奪って彼のグラスに注いだ。自分のグラスにジュースを入れ、彼のシャンパンと乾杯した。
「明日、昼過ぎまでは時間があるんだ。映画でも行く? 七緒さん観たいのあるって言ってなかったっけ?」
「あのね」
「ん?」
「ちょっと付き合って欲しい所があるの。朝早いんだけどいい?」
「構わないけど、どこ?」
「……うん。ちょっと待ってね」
改めて言おうとすると緊張する。立ち上がってリビングの収納場所へ行き、彼のプレゼントを取り出して和室に戻った。
「壮介さん、メリークリスマス」
彼の横に正座をして袋を差し出す。
「もしかして、プレゼント?」
「うん。開けてみて」
「ちょっと待って。僕からもあるんだー、はい」
可愛らしいピンクの包装紙とリボンに包まれたものを壮介さんが差し出した。いつの間にこの部屋へ持ってきてたんだろう。半纏の内側に入れて隠してたのかな……? 壮介さんなら有りうる。
「ありがとう。開けてもいい?」
「もちろんどうぞ。僕も開けるね」
中に入っていたのはカシミヤのショールだった。グレーとネイビーの大きなチェック柄でとても肌触りがいい。
「素敵。こういう柄すごく好きなの。ありがとう壮介さん……!」
「七緒さんもありがとう。このマフラー気持ちいいね。なんかお互い似たようなの選んでたんだね」
「うん」
顔を見合わせて笑った。どうしよう、かな。食事の前に言ってしまったほうがいいよね。
息を深く吸ってゆっくり吐いた。
部屋の隅に置いた間接照明が優しい光を灯している。寒い夜だけど、壮介さんが一緒にいてくれるこの空間は、とても暖かく感じた。
「あともうひとつ、あるの」
「そうなの?」
首を傾げた壮介さんがこちらに向き直った。
「明日付き合って欲しい場所があるって、さっき言ったでしょ?」
「ああ、うん」
「病院に行きたいの」
「……どこか具合悪いの?」
彼が途端に眉を寄せ、表情を曇らせた。
「ううん」
「?」
「検査薬使ったら、いるみたいなの」
「検査薬って? 何がいるの?」
まだ心配そうに私の顔を見つめている。ドキドキしながら彼の瞳を見つめ返し、自分のお腹をさすって、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……ここに、壮介さんの……赤ちゃん」
「え」
多分私、壮介さんのこの表情を一生覚えていられると思う。
「え、え、え!」
「まだね、あの、ちゃんと病院に行かないと絶対とは言えないんだけど、わ!」
膝立ちになった彼にそっと抱き締められた。ふわりと包み込むように本当に、そっと。
「七緒さん」
「……はい」
「七緒さん」
「? はい」
「七緒さん七緒さん……七緒さん……!」
私を呼ぶ彼の声は、今までに聞いたことのないものだった。嬉しそうな、それでいて驚きの入り混じる声。壮介さんの気持ちが痛いほど伝わり、胸がぎゅーっと苦しくなった。
「僕は……」
「……うん」
「僕は何をすればいい!? ああ、どうしよう、どうすればいいんだ……!」
体を離した壮介さんが私の両方の二の腕を掴み、私の顔を覗き込んだ。
「あーまずは雑誌か! いや、本かな!? その前にネットでいろいろ調べて、明日買い物行こう!」
「壮介さん、あの」
「買い物って言っても、まだ男か女かわからないし駄目か〜。あ、でも七緒さんの服とか買おう! 具合はどう!? まずは何が必要!?」
こんなにも興奮した壮介さんを見るのは初めてだった。驚いている場合じゃない。とても嬉しいけど、まだ確定ではないのだから冷静になってもらわないと。
「ま、まずは病院へ行くの……!」
「あ……! そうだったね、うん。ごめんごめん、そうだ、うん」
一瞬我に返った表情をした壮介さんは、再び私を優しく抱き締めた。
「僕、なんて言うんだろう……こういう感情は生まれて初めてかもしれない。嬉しいんだ、とてつもなく。それでいて、怖いような気もする」
「……怖いの?」
「自分が父親になるかもしれないってことが、少しだけ怖い」
「うん、私も」
「でもそれを上回る感動と感激でいっぱいなんだ」
「……うん。私も」
片方の手で私の髪を撫でている。その感触に癒されながら目を閉じた。壮介さんの息遣いと私の息遣いが重なって心地いい。
「大切にする、七緒さんのこと」
「もう十分大切にしてもらってる」
「今度は七緒さんと僕たちの子ども、二人分大切にしなくちゃ。あー叫びだしたいくらいの気持ちだ。たくさん働いて、もっとしっかりしないとダメだね、僕」
「だからね、壮介さん」
「わかってる。もし違ってたとしてもいいんだよ。こういう気持ちを体験できるだけでも幸せなんだからさ。……最高のプレゼントだよ」
「壮介さん」
「もう少し、このまま抱き締めさせて」
「うん」
彼の胸に顔を押し付けると、優しい鼓動が耳に伝わった。それは温かく、私を心から安心させてくれるものだった。
翌日病院へ行った私たちは、贈られた最高のプレゼントを、一緒に確認することができた。