冬の午後は日が傾くのが早い。
俺はリモコンで部屋の照明を点けながら、美知恵の背中に問いかける。
「誰にプロポーズされたんだよ。まさか、師匠か?」
師匠というのは、美知恵の留学先で修行させてもらっている家具職人だ。かなり歳のじーさんだったはずなんだが……。
いつの間に美知恵の好みが変わったんだ!?
俺の質問を聞いた美知恵が、こちらを振り向いた。
「いえ、違います。師匠のところに出入りしていた男性です」
「若いのか?」
「ええと……、私のひとつ年上だったかと」
顎に指を当てて首をかしげながら答える美知恵に、俺はたたみかける。
「なんて言われたんだよ」
「好きだから結婚しようって」
「……は?」
どストレートな言葉を聞いて、かっと頭に血が上る。
好きだから結婚だと? そういう話題が会話に上るほど、その男と親密な関係だったのか?
そんな考えが思いっきり顔に出たのか、美知恵は慌てて俺のそばに来た。
「あ、あの! 彼とはそういうお付き合いなんて一切ないんですよ? ただ、あちらの人は日本人とは感覚が違ってストレートに表現してくるというか、いきなり自分の気持ちをぶつけてくるというか。それも唐突に――」
「お前が鈍くて、相手の気持ちに気づいていなかっただけなんじゃねーの」
「……そんなことはないです」
俺の言葉に美知恵が口を尖らせた。
彼女がムッとするのは珍しいが、このへんで片を付けるために続ける。
「じゃあ俺も言わせてもらう」
「え」
手を伸ばし、美知恵の体を俺の胸に引き寄せた。
……ああ、久しぶりの甘い香りだ。セーター越しに伝わる彼女の体温を感じながら、俺は息を吸い込み気合いを入れた。
「俺のストレートな気持ちだ。よく聞いておけ」
「良晴さん……」
俺の腕の中で美知恵が小さく震えた。
「俺はさっき泰志をお守りしながら、お前のことを考えてた。いや、その前からずっとお前のことばかり考えてた。俺たちのこれからのことを」
片手をズボンのポケットに突っ込み、先ほど倉庫から持ってきた小箱を取り出す。
「手、出せ」
「? はい」
体を離して顔を上げた美知恵に、小箱を渡した。
「開けてみろ」
「あ、はい」
不思議そうな顔をしながら、小箱をそっと開ける。中にある指輪に気づた彼女は、目を見ひらいた。
「よ、良晴さん、これ……!」
「美知恵。俺と結婚してくれ」
「っ!!」
彼女の頬が一気に赤く染まり、目に涙が溜まっていく。
「美知恵が納得いくまで、俺はこっちで待つつもりだった。でもお前が帰国するたび、俺がそっちに遊びに行くたび……考えが変わっていったんだ」
正直な思いを口にする。
離れても、美知恵に対する俺の気持ちは変わらないどころか、思いは増していくばかりだった。
俺は自分の在り方を振り返り、何事も自分のためだけではなく、美知恵との未来のためになるよう考え方を変えたのだ。
「俺が美知恵を幸せにしたい。俺のそばでお前を幸せにしたいんだ」
「……」
「勝手なことを言っているのはわかってる。あっちで勉強を続けたいなら反対しないが、確実な約束が欲しい。お前が俺の妻だという約束が――」
「良晴さんっっ……!」
「うおっ!」
ドスッ!! と抱きつかれ、思わずよろめいた俺は、背中を壁に預けた。意外な力強さに驚きつつ、美知恵の体を受け止めて、そっと抱きしめる。
「わ、私っ、嬉しいですっ!!」
「美知恵……」
「嬉し、嬉しいっ、ひっく……ううっ」
小さな肩を震わせて泣く美知恵が、どうしようもなく愛しい。
「……はぁ。完璧に俺の負けだな。参った」
彼女の存在に降伏するしかない。
美知恵に出会うまでは、俺の中で恋人というものの存在が大きくなることはなかった。
一緒にいて楽しければ関係は続き、楽しくなくなれば別れる。彼女や恋人の前に、俺は自分のやりたいことのほうが大切だった。特に家具作りに目覚めてからはそれが顕著だった。……はずなのに。
美知恵の一生懸命さと、俺の考えを変える発言の数々に惹かれたのは言うまでもない。
「……何が負け、なんですか?」
ぐすんと鼻をすすった美知恵が聞いてくる。
「正直に言うと焦ってたんだよ、俺。美知恵が帰ってくるたびに綺麗になってるから、俺の知らない男が美知恵に迫るんじゃないかと思うと、気が気じゃなかった」
その悪い予感が当たってしまったわけだが。
「俺はお前に完敗だ。一生結婚はしないと思っていた俺を、お前は覆した」
言いながら、美知恵と出会った頃のことを思い出す。
しばらくして、彼女がぽつりと言った。
「……私、帰国を決めたことを話そうと思って帰ってきました」
「え」
「その男性にプロポーズをされた時、私は良晴さんのことしか考えていませんでした。そして同時に、このままここにいていいのかという思いが出て来たんです。悩んでいると、師匠が私に『ミチエが本当に作りたい家具はどんなものか』と尋ねました」
涙を拭いた美知恵が顔を上げる。
「私を受け入れてくださった師匠のことは、尊敬しています。でも、そもそもなぜその師匠のところに飛び込みで行ったかというと、師匠が作る家具が良晴さんのものと似ていたからなんです」
その真っ直ぐな瞳を見つめ返し、彼女の思いを受け止めた。
「私が作りたいのは、お手伝いしたいのは……良晴さんの家具なんです。だから私はやっぱり良晴さんのそばにいて、あなたが家具を作るお手伝いをしたい、役に立ちたい。心からそう思いました」
美知恵の言葉が胸に染みていく。
俺はこういう、彼女の真っ直ぐな思いに惚れたんだったな。
「スクールは今年で終わります。そのタイミングで帰国して、良晴さんのそばにいたい。それを伝えに帰ってきたんです」
「本当にいいのか?」
「……そうやって相手のことを考える良晴さんだから、好きなんです。私はずっと、ずーーーっと良晴さん、一筋ですから!」
ぎゅっと抱きしめられた俺も、美知恵の体を抱きしめ返した。
「美知恵の親に挨拶行こう。しばらくこっちにいるのか?」
「明後日、実家に帰ろうと思っていました」
「じゃあ俺も実家についていく。それでお前がヨーロッパに帰る時に俺も一緒に行って、俺の親のところへ美知恵を連れて行く。いいな?」
「……はい!」
その時、スマホが震えた。ポケットから取り出して画面を見ると、メッセージが届いている。
「お、永志だ」
「泰志くん、どうでしたか!?」
「俺が言った通りの症状だ。三、四日で落ち着くらしい。熱は高いが、泰志は元気だってさ」
「良かった〜……」
ホッとした顔の美知恵が可愛くて、俺は心のままに彼女を誘うことにした。こんな時くらい、素直になってもいいよな?
「ってことで、俺の部屋に行こうぜ」
「え、ええっ!?」
「このあと予定入ってるのか?」
「い、いえ、何もな……んっ!?」
我慢できずに、戸惑う唇に自分のそれを重ねる。強めに押し当て、すぐに離した。
「早く美知恵を抱きたい。今すぐにでも」
「っ!!」
美知恵の顔がみるみる赤くなっていく。
「かといって、さすがにここじゃまずいだろ。背徳感エグすぎるし」
「あっ、当たり前ですっ!」
「冗談だよ。じゃあ、行くか。あ、そうだ、指輪返して」
「え、ええ……?」
困惑する美知恵から小箱を受取り、指輪を取り出した。
「ほら、はめてやる」
「あ」
華奢な左手の薬指に、指輪をはめた。奮発して買った、ダイヤがついた指輪だ。
「ぴったりだ」
「ええ。ダイヤが綺麗……」
「気に入ったか?」
「はい……! 本当に、嬉しい……!」
泣き笑いの顔でうなずく美知恵に、俺はもう一度キスをした。
「ご心配おかけしました」
俺と美知恵を迎えたくるみが、丁寧にお辞儀をする。
夜、椅子カフェ堂の閉店後、永志とくるみに誘われてホールに集まった。
美知恵と濃厚な午後を過ごした俺は少々だるかったが、泰志の様子が気になり、美知恵を連れて椅子カフェ堂に戻ってきたのだ。
「泰志はどうしてるんだ?」
「お薬飲んで、奥の部屋でぐっすり眠ってます。私はすぐにまた泰志くんのところへ戻りますので」
「そうか、良かった」
あいつの顔を見たかったが、寝てるなら仕方がない。ゆっくり休ませてやろう。
くるみに促された俺たちは、永志が用意した料理の前に着席した。
チキンとブロッコリーのクリーム煮、あさりのガーリックバター蒸し、ぶり大根、白菜のチーズ焼きなどが並んでいる。店中にいい香りが漂い、見た目の美しさも相まって空腹感に襲われた。
ついさっきまでは美知恵を抱いた満足感で腹なんて空いてなかったのに、永志の料理を見たとたんに現金なもんだ。
永志は相変わらず料理に対して真摯に向き合っている。
くるみが妊娠中にカフェインレスのコーヒーや紅茶をメニューに加えた。これらは意外と美味しく、普通のコーヒーとなんら遜色のない味で、俺も驚いている。くるみも、そういったスイーツの研究にいとまがないようだった。
「ほんと、心配掛けて済まなかった。お前のおかげで助かったよ」
永志が俺に取り皿を渡しながら、申し訳なさそうに言った。
「泰志は椅子カフェ堂の大切な仲間だからな。気にするな」
「そう思ってくれて嬉しいよ」
「あと、こいつも、な」
俺の隣に座る美智恵の頭を、ぽんと触る。
すると、一瞬きょとんとした表情を見せたくるみが、口をひらいた。
「小川さんが仲間なのは当然じゃないですか。職人さん、今さら何を言ってるんですか?」
「そうですよ。僕だって小川さんは椅子カフェ堂の仲間だって思ってましたよ。帰国した時に手伝っていただいて、本当に助かりましたし」
続けてガッキーも抗議してきたが、永志だけはニヤニヤと笑っている。
「良晴。お前が言いたいのは、そういう意味じゃないんだろ? もっと大切な話しなんじゃないか?」
さすがは永志だ。俺の言いたいことをよくわかっている。
「永志の言う通りだ。美智恵は俺の妻になる。だから今後も椅子カフェ堂の仲間としてよろしくって意味だな。とりあえず明後日、美知恵の親に挨拶に行く」
「え、えええーっ!!」
くるみとガッキーが声を合わせて驚いた。
「くるみ、ガッキー。なんか文句あるか?」
「ないない、全っ然ないです! あるわけないじゃないですか……!」
「僕もないです。小川さんが幸せなら、それでいい……!」
ふたりは首を横にぶんぶん振りながら、俺に賛同した。
「では、私は泰志くんのところに行きますので、新作スイーツの説明だけさせてくださいね」
こほん、とくるみが咳払いした。
隣のテーブルに並べてあったスイーツの前に行ったくるみが、それらを指差す。どれも美味そうだ。
「こちらは卵と牛乳を使わないカップケーキ、これは小麦粉ではなく米粉を使ったケーキです。新垣くんと一緒に考えて、ようやく形になりました」
「いや、僕はたいしたことはしてませんよ。くるみさんが育児の合間に、いろいろ考えてくださったおかげです。全部美味しいんで、ぜひ味わってください」
ガッキーの説明の後、美知恵が身を乗り出した。
「わぁ、可愛い! 普通のケーキと同じに見えますね……!」
「たくさん食べてね、小川さん」
くるみが声をかけると、美知恵は「はい」と嬉しそうに答えた。
「くるみちゃん、後で交代するから、それまでよろしくな」
「うん、大丈夫。永志さん、たまにはゆっくりしててね」
「ああ、ありがとう」
永志と笑顔を交わしたくるみが、俺のほうを向いた。
「職人さん。ご迷惑おかけしますが、これからも泰志のこと、よろしくお願いします」
「ああ、任せとけ」
いつでも俺が、お前たちと一緒に泰志を守る。心に誓いながら、俺はうなずいた。
「小川さん、おめでとう。良かったね」
「ありがとうございます」
くるみと美知恵が、えへへと微笑み合う。その場を離れるくるみを皆で見つめていると、店内を流れていた音楽が、クリスマスソングに変わった。
あーあ、平和だ。
俺が望んでいたのは、こういう光景なのかもしれない。
ワインを飲みながら、天井を仰ぐ。
永志がここを継いだ頃は、なんとなくぼんやりとした、よくわからない店だった。俺も家具職人としては駆け出しで、好きなことが出来ればそれでいいと思っていた。
くるみが来てからというもの、それはいい意味でぶち壊され、それぞれ今の姿になっている。
いつまでもこの幸せを守っていくために、俺も頑張らないとな、椅子カフェ堂。
またいつか番外編を書けたらいいなと思います♪