楽しそうに笑ってるってことは、永志の知り合いか?
 俺の視線に気付いた女がこちらを見た。
「……誰?」
 永志がこちらに気付く前に、その背中に向かって声を掛ける。振り向いた永志が当然のように言った。
「おう、面接中だよ」
 はあ? そんな予定あったっけ? それにしても何だよ、その嬉しそうな笑顔は。こっちは店番しようか悩んでたってのに。
「つーかお前さ、出てく時は言えよ。不用心だろ。俺、料理作れないんだし、どうやって客に対応したらいいんだよ」
「言ったよ? 聞こえてなかったみたいだから出ちゃったけどさ。まあ、いいんだよ。どうせこの時間は誰も来ないんだし」
 永志がひとつ咳払いをした。俺もそこに座れってか。面倒だな。
 でも俺は永志に逆らえない。ここのオーナーは永志で、俺はいち従業員に過ぎないんだから、そのへんは弁えているつもりだ。
 永志の自己紹介に続いて、そこの女と俺は互いに挨拶をした。
 小柄で栗色の髪をした駒田とかいう女は、永志の話を熱心に聞いていた。目がクリっとしていて小動物みたいだ。
 それよりも永志の様子が気になる。これは相当気に入ってる顔だ。警戒心の強い永志がここまで気を許してるってことは、採用は決定か。

 夜八時を過ぎた閉店後、厨房を覗くと永志が何やら作っていた。また新メニューの研究か? 鼻歌混じりに手を動かしている。
「機嫌いいじゃん」
「まーね」
「さっきの駒田とかいう女」
「うん」
 顔を上げた永志はチラリと俺を見てからノートにレシピを書き出した。
「貼り紙見て来たのか?」
「外で見てたところを俺が声掛けた。ちょうどコンビニから帰って来た時にいたから」
「ふーん」
 それで即決ってどうなんだよ。一応家で考える猶予を与えてはいたけど。
「もう来ないんじゃね? そんな気がする」
「そう? 俺はまた来てくれると思うな、あの子」
 店の立て直しの件を告げた永志に対して、かえってやる気を出してたのには俺も驚いた。でもそれだけじゃな。
「あんなチビ雇っても全然役に立たなそうに見える」
「可愛いじゃん」
「はあ? お前ああいうの趣味だったっけ?」
 俺の言葉を無視した永志は、左手でソースパンを揺らしながら右手に拳を作った。
「今までここに来た子たちとは明らかに目が違ったんだ! 真面目そうだし、やる気ありそうだった。それにカフェ巡りとお菓子作りが趣味なんて最高じゃん?」
「その言葉が本当ならな」
「前にも言ったけど、店の存続どうのじゃなくて、純粋に椅子カフェ堂に人が来てくれるように、ここをたくさんの人に知ってもらえるように、どうしたらいいのか彼女にいろいろ教えてもらいたい。素直にそう思えたんだよ」
「たったあれだけの時間で?」
「お菓子作りで何が得意? って訊いたらチーズケーキって答えたんだぞ? それってすごくない? 運命感じない?」
 満面の笑みだな。三日後に来なかった時が怖いぞ、これは。
「あの子がうちに来てくれたら……何かが変わる気がするんだ。うん」
 今まで散々痛い目に遭ったくせに、どうしてそういう表情が出来るんだよ。
「どうせ」
「ん? 何か言った?」
「いや……何でも」
 どうせ永志の容姿に釣られて、ほいほい店の中までついて来ただけなんだろ。
 どうせ意気込みなんて最初だけで、すぐに本性現して永志に嫌われて、自分から辞めるんだろ。
 どうせ今までと変わらないパターンに、俺らは落胆させられるだけなんだろ。
 だったら初めから期待するだけ無駄だ。

 永志は気に入ってるようだけど俺は騙されない。絶対に騙されない。もしあの女がここで働くことになったって、何一つ変わらないのはわかってるだろうに、永志の奴は何をあんなに期待してるんだ。


「おはようございます。今日からよろしくお願いします」
 面接から三日後、あのちっこい女が椅子カフェ堂に再びやってきた。名前、何だったっけ? もう忘れた。覚える必要もないしな。どうせすぐに辞めるのはわかってる。
 ホールの入口にいる彼女に向かって問いかけた。
「永志の許可得たの?」
「え、それは……」
 デカい鞄を肩に掛けている女は、俺の言葉に目を泳がせて口ごもった。
 あーあーおどおどしちゃって。この前の勢いはどこ行ったんだよ。やっぱりこんなのに任せてはおけないな。
「いいんだよ。いいに決まってるだろ。俺は待ってたんだからさ。余計な事言うなよ、良晴」
 裏から回って来たらしい永志が俺に言った。余計な事、だと?
「あーそうですか」
 何だかイラっときて、思いっきり舌打ちをしてやった。俺は永志の為に言ってやってんのに、何だよそれ。勢いをつけてホールの椅子に座る。同時に女がびくっとしたから、少しだけスッキリしたけどな。
「な? くるみちゃん」
 はいはい、くるみね。そんな名前だったっけね。永志に名前を呼ばれた女は、急に表情を変えて嬉しそうに言った。
「ありがとうございます。これ、チーズケーキです。作ってみました。試食お願いします」
 デカいバッグの中身はチーズケーキだったのか。
「早速作ってきてくれたんだ。ありがとう。開店前に皆で食べよう」

 永志がコーヒーを淹れてテーブルに置き、くるみとかいう女は切り分けたチーズケーキを皿に載せて差し出した。
 出されたのは二種類のチーズケーキだ。まずは柔らかそうな方から手を出してみる。フォークに載せて口へ運んだ。
 何だよこれ! 超美味いじゃん! レアチーズケーキか。滑らかで柔らかな口当たり、それでいてスッと溶ける感じ。さっぱりとした後味で、永志のコーヒーによく合う。
 あっという間に食べ終え、もう一個のチーズケーキを口に入れた。こっちは濃厚なチーズケーキだ。これもまた、じゅわーっと口の中で溶けてしまう。ヤバい美味さだ。夢中で食べていると、隣の永志が二種類を半分ずつ食べた所で、フォークを静かに皿へ載せた。
「うーん。ごめん、これじゃないんだよなあ」
「え……」
 おいマジで!? これで駄目なのかよ? 永志も厳しいな。
 前にパティシエもどきの女が作ったのより、ずっと美味いと思うんだけど……。くるみに視線を向けると、永志を見つめて眉毛を下げたその顔が、捨てられた子犬のように見えて噴き出しそうになった。まずいまずい、こういう時にふざけてると永志に叱られる。チーズケーキを食べることに集中して、なんとか笑いを堪えた。
 まあ、ショックなんだろうな。自信満々な顔で俺らの前に差し出してたし。でも永志が求めるのは違ったわけだ。それにしてもどんだけ美味いの要求してんだろ。
 壁の時計が十時半を指していた。そういえば冷蔵庫の買い置き、また忘れてたな。
「俺はプリンが食いたい」
 ふと思い出したことが口からだだ洩れてしまった。
「……そういうこと言う人は食べないで下さい」
「食うっての! 食います……!」
 取り上げられそうになった皿を慌てて掴む。いやこれはほんとに美味いから。間が悪かったのは謝る。心の中で。
 どんなチーズケーキがいいのかを話し合う二人の会話をぼんやり聞きながら、二個目のチーズケーキを食べ終わると、突然くるみが大きな声で言った。
「わかりました! また作ってみるので、もう少し日にち下さい!」
 驚いた永志と一緒に彼女を見る。
 ふーん。なかなか根性あるじゃん。無理ですとか言って、すぐにへこたれるかと思ったけど。
 面接の時もそうだったけど、チビでもパワーみたいのを感じるんだよな。永志が言ったように、今までの奴らとは明らかに何かが違う気はした。もしかしたら本当に、こいつが来たことで椅子カフェ堂は変われるかもしれない、なんて無駄な期待をしそうになっている自分に戸惑う。

 まだ信用できないし、認めたわけじゃない。
 でも、いつかプリンを作ってくるようになったら……少しだけ考え直してやってもいい、かな。






〜了〜




椅子カフェ堂にくるみが訪れる直前と、彼女が働き始めた頃のお話、良晴視点でした。
次話番外編は、くるみ視点、本編その後のお話です。