事務所で休憩中、落として転がったペットボトルを拾おうと、椅子から立ち上がって追いかけた。
同時に裏へ続くドアが開いて、頭に何かが当たった。
「あたっ……!」
頭を押さえて振り向くと、段ボールを抱えた職人さんが、箱の横から顔を出して私を見下ろした。
「あーわり。小さくて見えなかったわ」
全然悪いと思ってないよねー、その顔。
「普通です。職人さんと店長が大きいんです」
「俺も永志も普通です。つか……職人さんて、俺?」
職人さんは机をぐるっと回って、ロッカー側に箱を置いた。
「そうです。他に誰がいるんですか」
勝手に脳内で呼んでた名前、口にしたことなかったんだっけ。呼んでても気付かれなかったのかも。
空のペットボトルを拾い、小さな冷蔵庫の隣にあるシンクで蛇口を捻り、中を洗った。冷たくて気持ちがいい。
「またチーズケーキ不合格だったんだって?」
「う、はい」
急に振られて、焦ってまたペットボトルを落としそうになった。
もうあと少し頑張ってね、って店長に励まされたんだけど、正直落ち込んでる。やるしかないんだけどね。ちょっと自信喪失気味。
「あんた、なかなか辞めないね」
「あんたじゃないです。くるみです。駒田でもいいですけど」
蛇口を閉めて、ペットボトルを分別ごみに入れる。振り向くと、職人さんが入って来た裏口のドアノブに手を掛け、私の方を見ていた。
「来いよ。作業場、見せるから」
嘘! やっと見せてくれる気になったの?
「ほんとですか!? やったー!」
「何がそんなに嬉しいんだよ」
「嬉しいですよ。ずっと見たかったんですから!」
初めて椅子カフェ堂を訪れてから、三週間が経とうとしていた。
事務所を出て、すぐ傍にある倉庫に入った。職人さんが電気と扇風機をつける。
倉庫の裏は、この辺りでは珍しい畑がある。椅子カフェ堂の隣は駐車場だし、反対側の隣は道を一本挟んで三階建の古いオフィスビル。音を出すことにそれほど支障はないように見えるけど、商業地域の規定があるらしく、職人さんはそのことに、とても気を遣っていた。材木を切断したり、大きな音の出る作業は別の場所を借りているんだっけ。
意外と広さのあるその場所は、独特な木のいい匂いに満ちている。
無造作に置かれたスツール。お店に置いてある椅子と同じものをたくさん見かけた。テーブルと何種類かの棚が出来上がっている。オーダーなのかな?
「触ってもいいですか?」
「どうぞ。店のと同じだよ」
指を木肌に滑らせていく。滑らかな感触。ナチュラルで明るい色。使い込まれるほどに味わい良くなっていく無垢材の家具たちが、ここから巣立つのを待っていた。
道具が並ぶ大きな作業台の向こうに棚があり、並んでいる缶を見つけた。
「もしかして、蜜蝋で仕上げてるんですか?」
「よく知ってるじゃん。俺、ちょっと化学薬品のアレルギーあるんだよ。なるべく自然に近い形で仕上げてて、それが売り」
「一人で全部作るの大変じゃないですか? 忙しそう」
「全然。一か月に五件オーダーがあれば万々歳。あとは出来上ってるものがぼちぼち売れてるくらい。でも俺の場合、忙しくても困るから、これでちょうどいいな。手間のかかる作業だから」
とりあえず見せてもらったので満足して事務所に戻る。
「職人さんて、ここがオープンする前は、どこでお店をやってたんですか?」
椅子に座って問いかけると、目を丸くした彼は、しばらくしてから口をひらいた。
「……その職人て呼ばれ方が恥ずかしくなるほど、日が浅いんだけど」
「そうなんですか」
「店長と同じ元サラリーマンだし。脱サラだし」
「え!」
「二年サラリーマンやって、そのあと三年修行した。永志が場所提供してくれるっていうから、話に乗ったんだ。場所代浮かす為に最近は実店舗を構えない店も増えてんだよ。俺も初めはホームページだけで販売してたし」
足に何かが当たった。さっき職人さんが作業場から持って来た箱だ。蓋が片方開いていて中身がちらりと見えた。
「これ、もしかして……」
え、まさか? 本物?
「ああ、ガラクタだよ」
「が、がらくたじゃありません! 開けていいですか!?」
「声でけーな。どーぞ」
大きな段ボールの中に無造作に放り込まれた雑貨の数々。一気に顔が紅潮した。冗談じゃなく興奮で鼻血が出そう……!
「全部ヴィンテージ雑貨じゃないですか! どうしたんですか!? こんなにたくさん」
好きな人には涎ものだよ!
「これも、これも、これも……! 何でこんなところにたくさん……!」
模様が美しいカフェオレボウル。琺瑯のピッチャー。曇ったガラスの香水瓶。形の良い小ぶりの籠。
「俺の親、とっくに仕事引退してて、趣味の旅行で世界中回ってるんだ。最近はヨーロッパに落ち着いたみたいだけど」
何それ羨ましすぎ。
「そこから職人さんが取り寄せてるんですか?」
甘すぎない雑貨は、個人的に分けてもらいたいくらいにセンスがいい。
「親が勝手に送りつけてくるんだよ。好きな人がいるはずだから、ここで売れって。俺全然興味無いんだ、こういうの。ここに来た時、道具と一緒に持って来て作業場に置いといたんだけど、存在忘れててさ。今思い出して処分しようかと、」
「駄目です! 絶対駄目!」
何て事を言うの、この人は! 私の勢いに職人さんが怯んだ。
「職人さん、やりましょう、これ」
「……は? 何を?」
「ホームページに載せるんです。ご両親が言ったように、家具と一緒に販売するの」
「やだよ、めんどい。家具の画像撮るだけで精一杯」
「じゃあ私がやります。ううん、やらせてください」
箱の奥を探ると、アルミのクッキー型がたくさん出てきた。見たことも無い可愛いらしい形をしている。
「あ、でもこういうの売るには、特別な資格がいるんでしたっけ。やっぱり無理かな……」
「古物商免許は持ってる。俺のとこに直接送ってくる品物だから不要らしいけど、一応な。でもそんなきったねーの、価値ないだろ」
「何で免許持ってるのに、この良さがわからないんですかっ!」
私は右手にブリキのジョーロを持って抗議した。
「こえーな。もっと古いアンティークだったら売れるのはわかるけど、こんなジャンクもの……」
私の隣にしゃがんだ職人さんは、錆びのある壁掛けフックをつまんで、眉根を寄せた。
「手に届く範囲の値段で、生活感のある身近なジャンク物は人気があるんです。シンプルで味があって、職人さんが作る家具にもぴったりです。パソコンお借りします!」
休憩時間が終わってしまう。慌ててパソコンを起動させた。
「ほら、これ見てください」
お気に入りの雑貨屋さんのサイトを見せる。珍しく職人さんが身を乗り出した。
「へー、同じようなのが品切れじゃん。こんなん売れてんだ?」
「職人さんのご両親が言われるように、魅力を感じている人はたくさんいます。これもリニューアルに加えませんか?」
「でも置くとこないじゃん」
「それは……あの、レジの後ろにあるテーブルの上じゃ駄目かな〜、なんて」
「商品なのに?」
「……ですよね」
雑貨屋さんだとテーブルも机も売っていて、その上に可愛い小物が載ってたりもするんだけど、やっぱり嫌かな。
「別に置いてもいいけど。これで人が増えるってんなら」
「ほんとですか!?」
「ただ、ごちゃごちゃ置くのだけはやめてくれ。傷つけられるのも困るし」
「ありがとうございます! 職人さん優しい!」
「永志には世話になってるからな。お前のためじゃねー、よ」
びしっとデコピンされた。段々、遠慮がなくなってきたなぁ。
「わかってますよー……だ」
もし置いてもらえるなら、雑貨売り上げの30%は椅子カフェ堂に委託料として支払いたい、というのが職人さんの両親からの伝言らしかった。売れないと思い込んでいた職人さんは、本気にしていなかったみたいだけど。
段ボール箱の中に一緒に入っていたメモには、日本円での販売額が記されていた。相場よりも低い金額。売れなかったら私が買い取りたいくらいだよ。
「で、いつ辞めんの?」
ノートパソコンを閉じた私に、職人さんがにやにやしながら言った。
「絶対辞めません。ていうか、辞めさせたいんですか?」
「そんなことないけど、見てると面白いから」
面白いって。まあ、嫌われてるんじゃなければ、いいか。
「あの、どんどん人が辞めていったって、職人さん言ってましたけど、どうしてなんでしょうか?」
「んー、ざっくり言うと人間関係だな」
この前と違って機嫌がいいのか、あっさり答えてくれた。
「ああ、やっぱり……職人さんと合わなくて?」
「お前、どこまでも失礼な奴だな。俺じゃなくて永志の方だよ」
「え」
「あいつ、ああ見えて人の好き嫌いがすごく激しい。警戒心強いって言うか。俺は割とそういうの、どうでもいい性質なんだけど」
胸がどきん、とした。
「そんなふうに見えない、です」
「絶対顔に出さないからな、昔から」
「昔って、いつからですか?」
「大学から一緒。会社はもちろん別だけど、付き合いはずっとあったよ」
もしかしたら私、図々しいことばかり言って、本当は店長に嫌がられてるかもしれない。そう思った途端、なぜか急激に悲しくなった。
「永志が会社辞めるの、俺は反対したんだ。あいつに客商売は向かないって。そのまま会社にいればエリートコースまっしぐらだったしな」
そうなんだ。エリートでも素敵だろうけど、でも。
「今の方が似合うような気がします」
店長がお店のことを思って一生懸命考えてる姿、すごくいいと思うから。
「まあ、本人がやりたいってんなら、しょうがないしな。だからそれ以上は口を挟まないことにしてんの、俺」
「意外と大人なんですね、職人さんて」
「意外とってなんだよ、意外とって」
職人さんは冷蔵庫に歩いて行き、冷凍室から棒アイスを取り出した。
「ほら、くるみ。これ永志から。休憩中に食えって」
今、くるみって……。
「何ぼーっとしてんだよ。いらないなら俺がもらって食うぞ。休憩時間あと少しなんだからな」
「あ、だめ。食べます!」
何だかくすぐったかった。店長に呼ばれる時とは全然違う感じだけど、少しだけ、ここの仲間と認めてもらえたような気がして嬉しかった。
嬉しかったけど……さっき起こった胸のもやもやが続いていて、私にはまだそれが何なのか、よくわからなかった。