永志さんが私を抱き上げ、テーブルの合間を縫って職人さんに近付き、そっと床に下ろした。
「何だよ、俺がいない間にラブラブになったのか?」
私と永志さんを交互に見た職人さんが、にやっと笑って言った。
笑ってる場合じゃないでしょうがー! と言いたかったけど声にならない。代わりに永志さんが大声で職人さんに言った。
「お前……お前、どうしてたんだよ、今まで!」
「悪い。忙しくて連絡できなかった」
「どんだけ心配したと思ってんだよ! ほんともう、お前はさ〜!」
「ごめん、永志。悪かったよ」
素直に頭を下げた職人さんに、店長は大きな溜息を吐いた。
「無事だったからいいけどさ。こういうのはもう勘弁してくれよ」
「ああ」
「いつまでいるんだ? また向こうに戻るんだろ?」
「いや、その必要はなくなった。もうずっとこっちにいるよ」
「大丈夫なのか?」
「ああ」
バツが悪そうに返事をした職人さんが私の方を向いた。視線が合った途端、私の目に涙が溜まる。
「職人さん、お帰りなさい」
「ただいま。泣くことないだろが」
「だって、もう永遠に会えないかと思ってたんです。行方不明になっちゃったのかと」
「勝手に人を殺すなっつーの」
「すみません」
涙を拭いていると、職人さんはしゃがんで、床に置いた大きなバッグのファスナーを開けた。
「ほら。どうせ、こういうの見ればすぐに泣き止むんだろ」
「……何ですか?」
「後でデカい段ボール箱が三箱は届くからな。覚悟しとけよ?」
「あ、すごい……!」
「ここぞとばかりに持たされたよ。めんどくせーったらねーわ」
バッグの中から取り出したビニールの袋の中には、細々とした雑貨がたくさん入っていた。
「可愛い!」
しっかり梱包された琺瑯の電灯の笠や陶器のポット、おもちゃみたいに小さな手編みの籠、年季の入った手のひらサイズのテディベアが三体。紙袋からはアンティークリボンやレース、古い錆びた鍵とフックがぞろぞろ出てきた。
「母親からは、このぼろっちいの渡された」
職人さんはもう一つのビニール袋から、畳んである布を引っ張り出して私に持たせた。ふわんと外国の匂いが鼻をくすぐる。
「キッチンクロス! こんなにたくさん……!」
「それ値段が馬鹿みたいにたけーの。ボロくて染みもあるのにな」
「それがいいんですよ〜! イニシャルの刺繍は赤が多いんですけど、黒なんて初めてみました。シンプルで素敵」
もちろん赤の刺繍が入っているものもあった。他にチェック柄や、ストライプ、端に一本だけ線が入っているもの、様々なアンティークのキッチンクロスが重なり合っていた。
「そんで、これは俺からの土産」
「え」
しゃがんでいる職人さんから、今度はプリン容器のようなものを三つ手渡された。キラキラ光っている。
「これ、ビーズですか?」
「量り売りしてたんだよ。1カップいくら、って感じで。よくわかんないから適当に三色分買ってきた」
プラスチックの透明な蓋付きカップの中にびっしりと、いろんな種類のビーズが入っていた。ピンク系、ブルー系、そしてオレンジ系の三色。
「すごく綺麗です。ありがとうございます、嬉しい」
職人さんはもう一度バッグに手を入れて、保冷袋に入ったものを店長に差し出した。
「お前にはこれ」
「……チーズか?」
「そう。臭うから厳重に包まれてんの。今度ワインと一緒に食べようぜ」
「ありがとな。取り敢えず座って、ゆっくり話そう」
店長が職人さんの分のコーヒーを用意し、テーブルに着いた。
「いつ帰って来たんだ?」
「今日の夕方」
私が奥に座り、その隣に店長、店長の前に職人さんが座った。
「親父の病気は大したことなかったんだ。俺が着いてから三日目で退院して、その後何事もなくぴんぴんしてたよ」
「何だったんだ?」
「大げさ構って病。ただの腹下しだったんだけど、その前に夫婦喧嘩してたらしい。そんで死ぬ死ぬ大騒ぎして母親の気を引きたかっただけって言う。説明すんのも馬鹿馬鹿しいっての」
騒いだお父さんに驚いたお母さんが、職人さんとお姉さんに連絡をしたらしい。
「でもまあ今まであっちに行ってやれなかったから、親孝行で少し居てやろうかと思ったら、旅行だ何だって連れ回されてさ。病み上がりだからやめろっつったんだけど、いつ死ぬかわからないから、とか何とか、また大げさな事言って引き留められてたんだ。姉貴はさっさと帰っちゃったし」
確か職人さんのご両親は、年齢が高めだったんだっけ。
「蚤の市にも付き合わされたんだよ。すげーの。くるみが好きそうなのがたくさんあったな。いろんな土地で家具を見て回って、俺も勉強になったからいいんだけど」
コーヒーを飲んで一息ついた職人さんに、店長が問いかける。
「連絡取れなくなったのは何でだよ?」
「あっちでスマホ使おうとしたら、通信料が高いって知ってさ。すぐに解約して、向こうで入り直そうかと思ったんだけど、手続きがよくわかんなくて面倒になって放置」
「お前なー……」
「なんか解約しなくても、いろんなサービスあったらしいんだけど、それ後から知った」
職人さんらしいといえば、らしいんだけど、一回くらい連絡くれても良かったのに、もう。
「永志とくるみが何とかやってるのは、パソコンから椅子カフェ堂のブログ読んでわかってたから、いいかなーってな。親は俺が適当に家具作ってて、大して忙しくも無いと思ってたんだよ。俺がカフェも手伝って家具も雑貨もそこで売れてるって知ったら、迷惑かけてるだろうから今すぐ帰れって」
勝手な事ばっか言って、と職人さんは舌打ちをした。
そんな感じで二か月近く居たんだ。職人さんが言っていた蚤の市に行ってみたいな。雑誌やテレビでしか見たことの無い憧れの場所。
「そろそろ帰るかってなった時に貴恵が来たんだよ」
「え!」
「貴恵さんが!?」
私と店長で身を乗り出す。私たちの所へ来て泣いてしまったあの後、職人さんの所へ行ったんだろうか。
「つーか、俺がイギリス行く前に復縁持ちかけられて断ったんだ。あいつ椅子カフェ堂に来なくなったじゃん? それ俺のせいだから」
淡々と話す職人さんに驚き、店長と二人で顔を見合わせた。
「こっちから出発する直前に、一応貴恵に連絡したんだよ。どこの街に行く、くらいは言ったけどまさか来るとはな。よく探し出せたもんだよ、びっくりしたわ」
貴恵さんがどうにかするって言ってたのは、このことだったんだ。
「貴恵の奴、意外と根性あるんだな」
店長が感心すると、職人さんが鼻で笑った。
「復縁どうのって時、俺にその気はないけど、くるみぐらいに根性あったら、その内考えてやってもいいって言ったからじゃね? それで根性出したんじゃないの」
私くらいだったら考える? そう言えば前に根性ある女は好きだって言ってて、それ流してたけど、まさか。
「もしかして職人さん、私のこと……」
「あ?」
「嬉しいですけど私、店長一筋なんです。ごめんなさ、あてっ!」
頭をぺん、とはたかれた。
「何勘違いしてんだよお前は。貴恵は恋愛対象になっても、お前は一生ならねーよ」
「……ですよね。前から言ってましたもんね。冗談です、ごめんなさい」
「あーもう叩くなよ。可哀想だろ」
隣に座る店長が私の髪を直してくれた。
「叩くなよ、じゃなくて触るなよ、だろ? お前いつもさり気なく、くるみのこと庇ってたもんな〜。妬いてんの?」
うるさいと言った永志さんの顔、ちょっと赤くなってる?
そういえば、こうして職人さんに弄られた時って、必ず店長が庇ってくれたっけ。それって、やっぱり私のことを好きだったから? 思い出した私まで一緒に赤くなる。
「お前は俺の、仕事仲間だな」
コーヒーを飲みほした職人さんが私を見た。
「仕事仲間?」
「そうだ。恋愛だのなんだのは無くても構わないけど、仕事は一生もんだ。そっちのが大事」
これは……褒められてると受け取っていいんだよね?
「俺はお前を一生の仕事仲間として認めてやる。永志を支える俺のパートナーだ」
目の前で、びしっと指を差された。
「あくまでも永志が中心な。そこ勘違いすんなよ」
「わかってます」
「わかってんなら、よろしい」
久しぶりだな、このやりとり。出会った時からスタンスが全然変わらない職人さんって、ある意味すごいよ。
「貴恵と一緒に帰って来たのか?」
「まさか。あいつが俺のとこに来たのが先週で、帰国してすぐに勤務地に出発してる筈」
「結局、貴恵とどうなったんだよ」
「別に。一日一緒にいて、それだけ。追いかけてくれたのは有難いけど、急に俺の気持ちが変わるわけじゃないしな。あいつも海外勤務いつまでするんだか、わかんないし。こっちに帰ってきて、まだその気があったら俺の所に来てみればって言っといたけど」
「あっさりしてんな、相変わらず」
確かにあっさりしてるけれど、貴恵さんはきっとそれで納得したんだ。納得したから、ここに来ることもなかったんだ。
「これで話は終わり。勝手したけど俺はここに戻りたいんで、今後ともよろしくお願いします」
職人さんは両手をテーブルに着き、頭を下げて額もごつんとテーブルにくっつけた。
隣の店長を見上げると、彼は口をへの字に曲げ、何かを堪えているような表情をしていた。何だか私まで胸が痛くなってしまう。
「……頭上げろよ、良晴」
「ほんと、ごめん」
ゆっくり顔を上げた職人さんは恐る恐る店長を見た。何だか、叱られた小さな子どもみたい。
「明日七時に集合な。それで許してやるよ」
「いや、それはちょっと勘弁してくれよ。帰って来たばっかなんだからさー」
「散々心配掛けたんだから、それくらい言うこと聞け」
ようやく笑みの出た店長に、職人さんが不満そうに言った。
「そんなに人手不足なのかよ?」
「そういう訳じゃないけど、お前がいなきゃ駄目なんだ。三人揃って椅子カフェ堂だからな」
「そうですよ」
私と店長で声を揃えると、職人さんが不思議そうな顔をした。
「……どういう意味?」
店長の言う通り、椅子カフェ堂はやっぱり三人がいい。
職人さんが作る椅子と店長が経営するカフェ。有澤食堂を受け継いで出来た、椅子カフェ堂。
「店長、明日の為にも、私今日はこれで帰ります」
「え! あ、ああ……そうだね。うん……」
残念そうな顔で微笑んだ彼に近付いて囁く。
「また今度、お願いします」
「うん」
すぐ傍で微笑みあって気持ちを確かめた。……大好き。
「何だよ、こそこそと。俺に構わずラブラブしてりゃーいいじゃん。俺帰るから」
小さめのリュックを右肩に掛け直した職人さんが、また舌打ちをした。ちって音が響き渡ったよ。
「私も一緒に帰りますから、ちょっと待っててください」
急いで事務所に行き、着替えてホールに戻る。
「くるみちゃん、明日のこと良晴に教えてやって」
「わかりました」
「良晴、くるみちゃんのこと駅まで送ってくれる?」
「わかってるって。じゃーな」
ドアを開けて椅子カフェ堂を出た。少しだけ、後ろ髪引かれる感じ。本当は永志さんとずっと一緒にいたかったけど、それはまた今度。
職人さんの家は駅からバスで十分ほどの場所にあるらしい。昼間の蒸し暑さが少し残る夜道を並んで歩きながら、何となく黙っていた。久しぶりだから、二人でいるのは緊張する。
「永志と上手くいって良かったじゃん」
石畳の道に入った時、職人さんが口をひらいた。
「あ、ありがとうございます」
「本気で好きだって線だったか」
「え!」
もしかして、もしかしなくても、私が質問をしたあの話だよね。
男の人が途中で止められる理由は、相性が悪かったか、傷つくことを言われたか、相手を本気で好きだからだって、職人さんが答えてくれた。実際そんなことがあったとは言ってなかったけど、悟られちゃった?
隣で私を見下ろした職人さんは、にやっと笑って話を続けた。
「で? 明日が何なんだよ」
話題が変わってホッとする。
「明日は撮影日なんです」
「撮影日? 雑誌かなんか?」
「はい! 喜んで下さい、職人さん!」
満面の笑みで返事をした私を見て、彼はすぐに察してくれた。
「え……マジで?」
いつも来てくれていた田原さんのこと、彼女が阿部さんと繋がっていたこと、創刊号に椅子カフェ堂の特集を組んでくれる予定になっていること。それらを大まかに話していくと、職人さんが立ち止まってガッツポーズをした。
「やったな! 俺、これから美容院行くわ。夜中までやってるとこで髪切ってくる!」
「張り切ってますね〜!」
「お前はいいのかよ」
「この前の定休日に行ったばっかりですもん」
「あそ」
駅のお花屋さんが見えてきた。
「俺がいない間、客足はどうだった?」
「しばらくは全然。でも店長と二人でたくさん対策を練ったんです。それから二人でカフェ・マーガレテにも行きました」
「へえ。よく永志が行く気になったもんだな」
「私が無理やりお願いしたんです」
「永志、何て言って了解したんだ?」
「逃げてても仕方がないよな、って」
「そうか」
「はい」
「よく頑張ったな、くるみ」
優しく笑った職人さんに、彼がいなかったこの数か月のことが思い出されて、胸が熱くなった。
「職人さん」
「なーんて俺が言うと思ったら大間違いだ。甘いんだよ」
いつものしかめっ面に一瞬で変貌した彼は、私を見下ろして指を伸ばしてきた。
「へ?」
「まだまだやること一杯あるんだからな! 今からめそめそしてんじゃねー、よ」
久しぶりで避けきれたかったデコピンは、何故か温かく感じた。
「い……たくない」
「少しは頑張ったんだろうから、オマケしてやった。ありがたく思え」
いつの間にか駅の構内にいた。会社帰りのサラリーマンたちが、改札を出てそれぞれの家路を急いでいる。
「あの、美容院は?」
「大通りにあるから、そこ行く」
駅へ寄るのは回り道になるのに、ちゃんと一緒にここまで来てくれたんだ。彼に向かってお辞儀をする。
「送って下さってありがとうございました。あ、あとお土産も」
「明日遅れんなよ?」
「職人さんこそ、絶対来て下さいね!」
「じゃーな」
「お疲れ様でした!」
早足で改札を抜けて振り向くと、職人さんはこちらに背を向けて、さっさと歩き出していた。
うん、それでこそ職人さんだよ。私を甘やかさない、その態度。でも大事な仕事仲間だって、永志さんを支えるパートナーだって言ってくれた。
帰って来てくれて本当に良かった。永志さん、怒ったり呆れてたりしたけど、本当はすごく、すごく嬉しかったんだろうな……。
駅のホームで空を見上げると、星が三つ並んで輝いていた。お土産に貰ったビーズみたいに。