クリスマスで忙しかった週の木曜日。穏やかな冬晴れが広がっている。
椅子カフェ堂の前に店長が立ち、その両隣に私と職人さんが並んで撮影が始まった。外観を撮った後はホール内全体の撮影。そしていよいよ料理へと進む。
「出来上がったものからどんどん撮りますので、有澤さん、料理名教えてくださいね」
編集の阿部さんが大きな声で店長に確認する。
「わかりました」
「スイーツの準備もお願いします。家具と雑貨コーナーはこのままでよろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
私が答えた横で職人さんも一緒に大きく頷いた。
ていうかさっきから職人さん、がっちがちなんですけど……。私もだけど、それ以上に緊張してるみたい。
店長はまず、一月から新作で出す予定のグラタンを準備した。彼が作るホワイトソースは絶品で何度でも食べたくなってしまう。太めのマカロニ、肉厚のサーモン、ほうれん草、にんじん、数種類のきのこがホワイトソースに絡まり、焦げ目の付いたチーズがたっぷり載っている。その他に、クラムチャウダーや鶏団子スープなどの冬らしいメニューがテーブルに並んだ。
大きなフラッシュを取り付けたカメラを持ち、店長が作った料理をいろんな角度からシャッターを切っていくカメラマンさんと、レフ版を持って動き回る助手の人。その横で阿部さんがカメラマンさんに的確な指示を出していく。
私は別のテーブルにチーズケーキ、プチケーキ全種類、生クリームで飾ったプリン、そして新作のフルーツティラミスを用意した。
職人さんは阿部さんに家具の説明をし、それぞれの値段も教えていた。彼は自分の経歴まで訊かれていて、照れているのか顔を赤くしながら答えてる。いつも偉そうにしてるくせに、何だか笑っちゃう。
撮影用にディスプレイした雑貨を撮ってもらい、スイーツは店長が淹れたカプチーノやエスプレッソなどと一緒に撮影された。
十一時から始まって、終わったのは午後の三時。
「有澤さん、皆さん、お疲れ様でした。ありがとうござました」
阿部さんはこれから別件で取材に行くらしい。忙しくて大変な仕事だよね。私たちはこれだけでもへとへとなのに。
「こちらこそありがとうございました」
「詳細は年明けにメールでお知らせしますね。入稿前にメールでレイアウトと文章校正の画像添付しますので、確認をお願いします」
「わかりました」
阿部さん一行が帰り、片付けを終えてホールに集まった。
「何だか疲れたな〜」
椅子に座って天井を見上げた店長に、私が淹れたアメリカンを出す。
「お疲れ様でした。結構長かったですね」
「くるみちゃんもお疲れね」
「はい。でも楽しかったです。ケーキの撮影は緊張しましたけど」
「ああやってプロに撮られると不安になるよな。俺の家具が隅々まで映ってんのかと思うと気が気じゃなかったわ」
職人さんも私からアメリカンを受け取り、大きく溜息を吐いてから、ひとくち飲んだ。
「俺だって、いつもより上手く盛り付けできなかった気がする」
これで良かったのだろうか、なんてコーヒーを飲みながらそれぞれ考えていた。一体どんな記事に仕上がるんだろう。
二十九日から年末年始の休みに入り、年明けの五日に出勤すると、早速編集部の阿部さんからメールが届いた。お店を閉めたあとに、また事務所に三人で集まってメールの確認をする。心臓がバクバクしているのは私だけじゃないらしい。
「おい早く添付ひらけよ永志。緊張するだろ」
「焦るなって。えーと、これだよな」
店長が画面いっぱいに表示させると、写真とそれぞれに説明のついた文章が書いてある画像が現れた。一ページが四分割され、それぞれにお店が載っている。ページの一番上に「気軽においしいカフェごはん」とタイトルがある。椅子カフェ堂の記事は四分割された右下に載っていた。
「あ? ちっさくね?」
職人さんが突っ込んだ通り、ひとつのスペースに写真は四枚のみ。大きめの料理の写真が一枚と、スイーツとカプチーノ、雑貨と家具、そしてお店の前に並ぶ私たち三人、この小さな写真が三枚。
「あんだけ写真撮っててこれだけかよ〜! てっきり見開きドーンか、せめて一ページはくると思ったのになー」
あーあ、と職人さんは椅子にどっかり座った。
「確かに小さいかもしれないけどさ。でもすごいよ、これ」
職人さんとは反対に店長はとても嬉しそうだった。その笑顔に私まで気持ちが高揚する。
「私もすごいと思います。掲載されること自体、なかなかないと思うから」
「だよな? 良晴、これ全国の人が見るんだぞ? すげーよ」
「まー、そうだけどさ」
不満げに呟いた職人さんに店長が笑いかけた。
「良晴、お前家具職人とか書かれてじゃん」
「永志だって店長兼料理人なんだろ」
まあなと頷いた店長は私の方を向いて言った。
「くるみちゃんはパティシエになってるしね」
デザート担当はパティシエのくるみさん、なんて書いてある。
「パティシエって、これじゃあ詐欺ですよ。本物じゃないのに」
「いいんだよ。椅子カフェ堂じゃ、お前は一応そういう役職なんだから」
職人さんが言ってくれたけど、やっぱりこれはちょっと、気になる。
「ここだけ変えてもらって下さい。デザート担当でお願いしますって」
「くるみちゃんがそう言うなら返信に書いておくね」
「お願いします」
「度胸ねーなー」
度胸の問題じゃないんです職人さん。これを読んだお客さんに勘違いされたら困るし、ね。
椅子カフェ堂が掲載された「na-noha」発売の翌日。
やはり影響があったのか、お客さんの入りがいつもよりいい。見ましたよ、と声を掛けてくれる人もいたし、クリスマス以来の予約が数件、週末に入った。
お店を閉めて仕込みの前にと、店長が事務所から恒例のビールを持って来た。ホールで乾杯をする。
「阿部さんに献本送ってもらったけど、昨日本屋で十冊買っちったよ、俺」
「私も十冊買いましたよ〜。同じですね」
えへへへーと店長と顔を見合わせて笑うと、職人さんが言った。
「は? お前ら何なの? 俺なんか二十冊ですが? 何微笑みあってんの?」
「え!!」
「マジ!?」
私と店長が驚いて声を上げると、職人さんが鼻で笑った。
「まだまだ甘いんだよお前らは。その調子じゃ永遠に俺には追いつけないな」
「今回は……負けました、職人さん」
「俺も」
皆で笑ってビールを飲んだ。なんかこういうのすごく久しぶりで嬉しい。
突然、からりんとドアが開いた。三人一斉にそちらを向く。
「こんばんは〜! 良晴、見たよー雑誌。ほら買ってきちゃった!」
職人さんの元カノだ! 襟にファーの付いたロングコートを着た彼女は、お店の中に入って来た。店長、扉の鍵閉めてなかったんだ。職人さんが彼女を睨む。
「もう営業終わりだぞ」
「ちょっと寄っただけ。あ、永志くん! すごいね〜料理長! 相変わらずかっこよく映っちゃって」
「雑誌買ってくれたんだ。ありがとな」
「友達に宣伝しとくね。これで有名店になっちゃうんじゃない?」
「そうなればいいけどね。何か飲んでく?」
「いいの? じゃあエスプレッソ! この前永志くんが淹れてくれたの、すごく美味しかったから」
彼女はコートを脱いで、私たちのテーブル横に座った。
貴恵さんて……この前も思ったんだけど、私のことは完全にスルーで、ちらりと見てもくれないんだよね。そりゃ、私は三人の中には入れないというのはわかってるけど……なんかこういうのって寂しい。
「ねえ永志くん、私思ったんだけど」
エスプレッソをひとくち飲んだ彼女は、何かを思い出したように立ち上がった。つかつかとヒールを鳴らして窓際に歩み寄った彼女は、私が飾った雑貨のディスプレイに綺麗な手を伸ばした。
「これ、こっちに置く方が良くない? 外から見て思ったのよ。あとこれはいらない」
あ、やめて。
私が考えて考えて、何度も何度もやり直して置き場を決めた雑貨の世界が、一瞬で崩れてしまった。
「ほらね? こっちの方がずっといいよ〜。私これ好きなの。それでこれはこっち」
胸がぎゅーっと痛くなって、見えない何かが傷ついたのがわかった。それはひっかき傷のように、細く鋭くいつまでも残る嫌な痛み。
店長と職人さんが彼女を見ている。二人に貴恵さんの指摘が正しいと思われたかもしれない、と感じた途端、顔がかっと熱くなった。恥ずかしくなって咄嗟に俯く。
「貴恵」
「なーに?」
「それは駄目。全部元に戻して」
店長の声が店内に響いた。驚いて顔を上げると、彼は不機嫌な表情で彼女を見ている。
「……なんで?」
「そういうの全部、くるみちゃんに任せてるんだ。俺も彼女のやり方を信頼してるんだから、勝手に弄らないでくれよ」
「くるみちゃんて、そこの店員さん?」
彼女は今日初めて私を見た。視線の鋭さに縮こまってしまう。もしかして私、嫌われてる?
「そうだよ。この前言わなかったっけ?」
「あ、そうだったの。ごめんなさいね」
髪をかきあげた彼女が、私に軽く頭を下げた。
「いえ、外から見てその方がいいなら……検討してみます」
「ほらー、いいって言ってくれたよ? 永志くん」
大きな声で笑った彼女に、彼はにこりともせずに答えた。
「いいから。俺が戻せって言ってるんだから、早くして」
え〜、と不満げに答えた貴恵さんは、渋々雑貨を元の位置に置いた。職人さんは終始黙っている。
「ねえねえ、永志くん。このあとも仕事なの?」
「仕込みがあるからね」
「そっかー。今度こそゆっくり飲めると思ったのに」
店長が庇ってくれなかったら私、彼女の言われるがままにしていたかもしれない。
だってこんなに綺麗でオーラ半端なくて、私とは全く正反対の完璧な人に提案されたら、何も言えなくなっちゃうよ。
何だか、一気に自信が無くなってしまった。
「ねえ永志くん、厨房覗いていい?」
店長のあとを彼女がついていく。
「駄目。神聖な場所なんだからな」
「相変わらず固いよね。入らないから見ててもいいでしょ」
貴恵さんが店長の肩を叩いた。たったそれだけのことなのに、胸がずきっと痛んで苦しくなってしまった。私、駄目だ。仕事中なのに、これから仕込みがあるのに、二人のことが気になって仕方がない。
「なんだ、あいつ。今日はやけに永志に纏わりついてんな」
職人さんがテーブルに肘をついて、ぼそっと呟いた。
永志くん、って呼ぶ貴恵さんの声が、いちいち耳について離れない。
職人さんの元カノって言ってたけど、まさか。
今はもしかして、店長のことが好き? なんて変に勘繰ってしまう。
その嫌な予感が当たったかのように、彼女はその後、椅子カフェ堂に度々現れるようになった。