A birdcage 〜トリカゴノナカデ〜×夜の庭コラボSS柊史視点

BACK TOP


白薔薇の館 後編




 薄暗い廊下の曲がり角で、ふと我に返り立ち止まった。
 何故、僕の耳へ届いたんだろう。部屋の中にいて、ベッドで眠っていたというのに。
 また微かに話し声が聴こえた。別に聴こえたからって、僕がそこへ行く理由もないはずだ。けれど、何かに導かれるようにして、僕の足は再び動き出した。
 廊下を曲がったその奥。部屋のドアから灯りが漏れている。僕は息を潜めてドアへと一歩ずつ歩み寄り、隙間から中を覗いた。


 随分と時間が経った気がする。僕はいつまでも、何を熱心に見つめているんだろう。
 ただの好奇心とか、そういうんじゃない。そんな悪趣味は持ち合わせていない。でも目が離せなかった。その間中、冷や汗が背中を伝い流れ続ける。僕が見つめる先には、さっきの二人、グレンとアマベルがいた。
 大きな天蓋付のベッドの傍に立つ二人は唇を深く重ね、その後躊躇いもなくグレンがアマベルの首へと吸い付いた。恍惚に蕩けそうな瞳は遠くへ視線を置いたまま、すすり泣くような甘い声を小さく発している。ただ、唇を押し付けているだけではない。これは……。
 僕の手が震え出した。彼らを初めて庭で見た時よりも深い、確実な恐怖。グレンが唇を離すと、彼の口元から赤い滴りが零れ落ちた。花びらのように真っ赤な雫。
 アマベルは満足しきった表情を浮かべ、グレンの頬を撫で、今度は逆に彼の首筋へと顔を寄せた。怪しくも美しい二人の、見てはならない交わりは、何かの匂いに満ちていた。そう、グレンが注いでくれたワインだ。同じ香りが僕の鼻先へ纏わりつく。

 今すぐこの館から出よう。陶子と一緒に。そう思った瞬間。
 アマベルの唇を首筋へ受けながら、グレンは僕の方を向いて視線を捉えた。その瞬間、体だけではない、声すら自由を奪われた。
 僕を見詰める灰色の瞳が光っている。グレンは僕へ人差し指を向けた。僕の足はその指示に従うかのごとく勝手に後ずさりを始め、ドアとは反対側の廊下の壁へ体を押し付けられた。痛みはない。でも、どうしてもそこから動くことができない。
 靴音が近付いて来た。ぎいと、ドアがひらき、グレンが僕へと歩みを進める。雲間から現れた月光に照らされ、グレンの金髪が輝いた。ひらいたドアは部屋にアマベルを残し、ひとりでに閉まった。
「私が、あなたをこの部屋まで呼び寄せました」
 彼の手などどこにも触れていないのに、僕の喉は見えない力で押し潰されそうだった。
「あなたは最初から何かを感じていたはずだ。危険を承知で、この館へらしたのですよね?」
 耳の中へ流れ込んで来る声に支配される。冷や汗は止まることなく額から流れ落ち、呼吸は短く、僕の肩を小刻みに揺らしていた。
 君は今、ベッドの中で何の夢を見ているんだろうか。
「今から私の言う通りにして下さい、柊史」
 陶子。
「……僕は」
 呻き声に似た声を力の限りに絞り出すと、グレンはその顔に驚きの表情を乗せた。途端、壁へ押し付けられた体が自由になり、崩れるように床へ膝を着いた僕は、咳き込みながら彼の足元を見つめた。
「僕は、どうなっても、いい。でも、陶子にだけは、やめてくれ……!」
「あなた方をどうにかするつもりは、初めからありません」
 即答した声は、僕たちを招いた時と同じ、柔らかなものへと戻っていた。
「今あなたがご覧になった通り、私たちは闇の中で互いを糧にして、時には小さな生き物を犠牲にして、生きてきました。誰の迷惑にもならないように、隠れ続けて」
「……」
「この館も、本来は普通の人間だったら見つけることができないはずだった」
「だったら、なぜ僕たちを館の中に?」
「時折、アマベルが寂しそうにしているからです。少しのおしゃべりをさせて、あなた方を帰すつもりでした。彼女がこれほどまでに、お二人を気に入るとは予想外でしたが」
「なぜ、わざわざ僕をここへ呼んだ? 何も知らなければ、明日の朝そのまま帰ればいいだけだ」
「力を甦らせるには血が必要なのです。あなた方人間の血を取り込めれば簡単ですが、私もアマベルも、それだけは避けたいと思っている。同じ苦しみを持つ者を、これ以上増やしたくはない。血を分け終わった頃にあなたが来るようにしたかったのですが、上手くいかなかったらしい」
「どんな力を……?」
 質問には答えず、グレンは続けた。
「私は彼女と二人で静かに暮らせればいい。誰とも関わらずに。だからあなたには『忘れて欲しい』それだけなのです」
「……わかった。大丈夫だよ。誰にも言うつもりはないし、陶子にも言わせない」
 灰色の瞳が一瞬で碧色へと戻った。怪しげな光も消え失せ、同時にグレンは苦笑した。
「忘れて下さいと言っても、なぜかあなたには通じないようだ」
 僕は呼吸を整えてゆっくり立ち上がる。
「通じない?」
「あなたは私を恐れていない。守りたい人がいる故か」
「?」
「いえ、何でもありません。私はあなたを信じます。私にも、あなたと同じように、ずっと守っていきたい人がいます。だからもう二度と、ここへは近寄らないで欲しいのです」
「ああ。誓うよ」
 ドアがそっと開き、隙間から申し訳なさそうな上目づかいで、アマベルがグレンへ問いかけた。
「ねえ、グレン。もうすぐ朝が来るわ。まだお話は終わらないの?」
「いえ、もう終わりましたよ。柊史はそろそろ帰るのだそうです」
 グレンの言葉にアマベルが廊下へ飛び出した。首を傾げ、眉を下げ、哀しげな瞳で僕を見る。こんなに可愛らしい少女を人ではない存在だなんて、誰が思うだろう。
「柊史、帰ってしまうの?」
「仕事が早いんだ。申し訳ないんだけれど、もう行くよ。とても楽しかった。ありがとう」
「また今度、陶子を連れて遊びに来てくれるんでしょう?」
「いつか、ね」
「きっとよ」



 グレンが手を入れているのであろうイングリッシュガーデンの中を、自分の足元だけを見つめ、ひたすら歩いた。
 大きな門を抜けて、ようやくひと息つく。背中にある温かさと重みに安堵しながら、陶子を起こさないように顔だけそっと振り向いた。門のずっと向こう側で、洋館が夜明け前の仄明るい光に浮かんでいた。幻想的な光景だ。夜にはあれだけうるさく喚いていたのに、辺りは静けさに包まれている。
「まったく鳥らしくないな」
 苦笑した僕の前をウサギが一匹跳ねて、林の奥へ消えた。

 停めてあった車の助手席に陶子を乗せ、運転席へ回り、僕も座った。なかなか目を覚まさない彼女が気になり、手を伸ばして頬へ触れた。冷えたそこは徐々に薔薇色に染まり、長い睫を携えた瞼が静かにひらいた。
「……柊史」
「おはよう。よく眠れた?」
「うん」
 どんな言い訳をしようかと考えていると、彼女の中では昨夜疲れた僕の運転が疎かになりそうだから適当な場所に停めて眠った、ということになっていた。洋館の中で陶子はグレンから暗示のようなものを掛けられていたのかもしれない。確かめる術は、もうないけれど。
「ねえ、不思議な夢を見たの。私」
「どんな?」
「この林の奥に綺麗な洋館があって、金髪の美しい青年と、長い髪の可愛らしい少女が住んでいて」
 陶子が指差した場所は濃い霧がかかり、鬱蒼とした樹木の足元が見えるばかりだった。
「とても素敵なお庭があるの。たくさん白い薔薇が咲いているのよ。本当に、数えきれないくらい。夜なのに庭中がいろんな種類のお花で輝いてた」
 うっとりと思い浮かべる陶子へ顔を近づけ、優しく口付けた。鼻先を擦り合わせた陶子が呟いた。
「この夢、脚本のヒントになりそう?」
「いや、やめておくよ」
 どうして? と瞳で問いかけた彼女に答える。
「美しい夢は、そのままにしておいた方がいいから」

 朝日が二人を照らし始めた中、僕はエンジンをかけ、車をゆっくりと発進させた。









 〜end〜





BACK TOP


Copyright(c) 2012 nanoha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-