A birdcage 〜トリカゴノナカデ〜×夜の庭 コラボSS 柊史編

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白薔薇の館 前編




 パリ郊外の暗い道のりを、陶子を隣へ乗せて車を走らせる。六月。日本とは違い、緑が多くとも湿気の少ないこの辺りは、蒸し暑さどころか、夜になると寒さを感じるほどだ。

「疲れてない?」
「大丈夫。柊史こそ、すごく気を遣ったんじゃない? あまりお酒飲めないし……」
「いや、平気だよ。僕が飲めないのをわかってるから、無理に勧められることも無かったしね。元々日本人はあまり飲めないと思われてるようだから」
 ライトの先には舗装されている道とそうではない道が交互に続き、車中に大きな振動が伝わる。
「すごい人ばかりで緊張したけど、貴重な体験だったし、とても楽しかったわ」
「そうだね」
 陶子の嬉しそうな声を聞くと、緊張がようやく解けてきた。

 日本を離れ、彼女とこの地へ移ってから二年が経とうとしている。
 僕はといえば、仕事も順調に進み、ありがたいことに三年先まで公演が決まっていた。陶子は意外にも、ここでの生活を心から楽しんでくれている。今夜も演劇関係の急なパーティーだったけれど、彼女は戸惑う訳でもなく、僕の隣でそつなく何でもこなしていた。そんな陶子を誇りに思いながらハンドルを握り直す。
 真っ直ぐな道は見通しも良く、ずいぶん先まで何も障害物はない。両側には背の低い樹木に、ぽつぽつと並ぶ家の灯りが見えるくらいだ。
 右側の助手席へ座る彼女の手を、自分の右手を伸ばしてそっと握った。陶子は僕をいつまでも夢中にさせている。可愛らしくて、しなやかな強さを持った、大切な人。
「どうしたの? 柊史」
「いや。君と結婚して良かったな、ってさ。今さらだけど」
「うん。……私も、同じよ」
 照れて俯く陶子の気配に満足した、その時。
「あ!」
 目の前をふわりと白いものが横切った。慌ててハンドルを切り、ブレーキをかける。陶子が小さく悲鳴を上げた。
「いや!」
「……何だ!?」
「急に、何かが……。何もなかったのに」
 ぶつかった衝撃はない。陶子へ助手席に残るよう言い、ドアを開けて車を降りた。

 車のライトが当たる端に、うずくまる何かがいる。目を凝らしてよく見ると、その場へ丸くしゃがみ込む人……少女だった。白いワンピースに身を包み、背中へ流れる長いウェーブのかかった髪は暗めの赤褐色。鳶色、とはこういう色を言うのかもしれない。ライトに照らされた横顔は人形のように肌が白く、一点を見つめて微動だにしなかった。一体どこへ視線を向けているのだろう。
 陶子がドアを開けた音で我に返った。
「大丈夫!? 怪我は?」
 大きな声を出して駆け寄った陶子を少女は見上げた。
「怪我はありません。大丈夫です」
「急に飛び出したら危ないわ」
「ごめんなさい。ウサギを、追いかけてたの」
 少女の言葉に違和感を覚えた。どこか、英語の混じったようなイントネーション。もちろん、僕たちの方が美しいとは言えないフランス語だけれど。
「ウサギを? こんな時間に?」
「もういなくなってしまったわ。久しぶりだったのに……」
 遠くの暗闇に視線を投げたまま立ち上がる少女に、陶子は心配げな声を掛けた。
「あなた、お家は? 夜遅くに外を一人で出歩くなんて危ないわ」
「あの林の、向こう」
 外灯がひとつ、仄かな明かりを放っているその先に、暗い緑がある。少女はそこへ向かって一歩足を踏み出した。歳は十五、六歳というところか。こちらに来て戸惑うことのひとつに、日本人よりも随分と大人びて見える容姿があった。彼女も見た感じはもう少し年上に見えるけれど、話し方や仕草は、まだ幼く思えた。
「柊史」
「そうだね。ちょっと待ってて」
 送ってあげようと目くばせをする陶子に応え、車へ戻り、エンジンを止めた。

 とても静かな夜だった。土と、少しの草を踏みしめる自分たちの足音しかしない。少女の後をついて暫く行くと、両側に大きな樹をはべらせた鉄の門が現れた。
「ここなの」
 開けっ放しにされていたそこへ、少女が僕たちを招き入れる。木々の先には庭が広がっていた。ただの庭ではない。小道にはレンガが敷き詰められ、きっちりと刈り込まれて美しく配置された低木が並び、色とりどりに咲き乱れる花々は清楚で嫌らしくない。計算しつくされた、その素晴らしい景色に思わず足を止めた。視界の隅には薄ぼんやりと白く光る一角。行きましょうと、突然少女が陶子の手を取り、小走りにその場所へ向かった。白いワンピースの裾がふわりと翻り、気づいた僕も慌てて早足でついていく。

 一面、と言っていいくらいの白い花は、蔓の先に重さを持ちながら零れ落ちんばかりに隙間なく咲き、間から緑色の葉が見え隠れしていた。
「素敵……! こんなに白薔薇がたくさん。素晴らしいわ」
 僕と陶子が二人で住み始めたあの場所にも、管理人さんが育てた同じ花が咲いていた。
 陶子は、薔薇が好きだ。彼女の横顔も花に劣らず輝き始め、美しい光景を焼き付けようとするその瞳は、僕を不安にさせた。
「ね、柊史。綺麗」
 手のひらに花弁を乗せ、その感触を指で楽しんでいる。
「陶子、棘に気を付けて」
 なぜか素直に喜べなかった。僕は花に詳しいわけじゃないけれど、夜にこんなにも生き生きと花が咲いていることが不自然に思えてならない。匂いも、きつすぎるくらいだ。
「美しいでしょう? 私、夜に咲き続ける花が好きなの。とても」
 陶子の隣で満面の笑みを僕へ向けた少女の後ろ、ずっと遠くの空では満月が光を放ち、本来ならば逆光で陰に隠れる彼女の顔は、花に照らされてはっきりと見えた。あどけなさが残り、悪意など感じられるはずの無いその笑顔に、僕は冷や汗を掻いていた。時折鈍く灰色に光る黒い瞳。――吸い込まれそうだ。

「送って下さってありがとう。お礼に私の家へ上がっていって。滅多にお客様が来ないから寂しいの」
「いいの?」
 嬉しそうに陶子は少女を振り向いた。
「もちろんよ。美味しい紅茶もお出しするわ。私、得意なのよ。いいえ、得意になったの」
 陶子の手を取り、はしゃぐ明るい声は、確かに無邪気な少女らしい。けれど。
「ね、お願い。もう少しお話したいの」
「いや、せっかくだけど。陶子、もう帰ろう」
 危険だと僕の本能が訴えた。夜だというのに高い樹の上で小鳥が囀っている。梟ではないんだ。
「でも、明日はお休みでしょう? 柊史」
 甘えたように僕を見上げる陶子の綺麗な髪を、宥めるように優しく撫でた。彼女は何も感じていない。
「遅くに失礼だよ。車も停めたままだし、すぐに帰ろう」
 暗闇に、飲み込まれる前に。
 僕に肩を抱かれた陶子は、納得できないとばかりに眉を寄せて、拗ねた唇から不満の溜息を零した。
「柊史、急にどうしたの?」
「アマベル!」

 大きな洋館を背に息を切らして突然現れたのは、金髪に美しい顔立ちをした、目の碧い一人の青年。
 声を聴くまで、その気配はなかった。






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