好き、という気持ちが収まりきれなかった。
 清浄な空気の中、すぐ隣に座る直之様と視線を合わせる。直之様は驚いた顔で私を見つめていた。

 心臓は早鐘を打ったかのように踊り、首から上が全て熱い。彼の視線から顔を逸らして俯くと、足元の草が上を向いて、からかうように私の顔を覗いていた。
「蓉子さん」
「……はい」
「まさか、ここであなたのそのような言葉を聞けるとは思わなかったもので、動揺しています」
「……」
「いや動揺というか、その……ありがとう。とても嬉しいです」
 乗馬用の手袋を脱いだ直之様は、私の手をそっと握って言った。
「嬉しいです、蓉子さん」
 彼の言葉に小さく頷く。手を握られたまま、しばらくそうして朝の美しい風景の中を過ごした。

 直之様と馬に同乗し、やって来た路を辿る。
 後ろから私を包み込むように、手綱を持つ彼に胸がときめく。静かなこの小路が永遠に続けばよいのに……
 行きとは違い、直之様は馬上で沈黙していた。私も緊張気味に鞍に掴まって、土を踏みしだく蹄の音だけを聴いていた。
 馬場に戻ってから、直之様はもう少し馬に乗られるのかと思ったけれど、意外な事にこれでおしまいだった。ホテルで受け取っていた籐の籠と水筒を持ち、直之様が言った。
「少し先に小川がありますから、その傍で昼にしましょうか」
「ええ」
「お疲れではありませんか?」
「大丈夫です」
 乗馬倶楽部からホテルへ向かう途中の脇道に入り、林の中を進んで行く。
 本当に誰もいない。
 小鳥のさえずりと葉擦れ以外には、私たちの草を踏む音くらいしか聴こえなかった。時折別荘を見かけたけれど人の気配は無い。
「とても静かですね」
「俺たちの他にいるのは動物くらいでしょうか」
「栗鼠の以外には何がいるのかしら」
 さらさらと、水の流れが聴こえてくる。
「狸や狐に猪……ああ、熊が出るかもしれませんね」
「熊?」
「冗談ですよ。いることはいるらしいが、この近辺に出たことはないらしいですから」
 微笑んだ直之様は、現れた小川の前にしゃがんで手を洗った。私も隣にしゃがみ、透明な水に手を浸した。
「冷たい……!」
「気持ちが良いですね」
「本当に」
 水辺の岩にハンケチを敷いて下さった直之様は、そこに私を座らせた。
 水筒に入った温かい珈琲を飲み、籠から取り出したサンドウィッチを口に入れる。
 隣の直之様の横顔を見つめた。いつもならすぐ気付いてくださるのに、小川に視線をやったままで黙々と召し上がっていらっしゃる。乗馬の帰りもそうだったけれど、何だか急に無口になってしまわれたみたい……
 午後はホテルに車を出してもらい、磯五郎も連れて有名な滝を見に行ったり、三人でテニスをして楽しんだ。
 楽しかったのだけれど……本当に私はこの方に恋の告白をしたのかしら、と疑うくらいに直之様は冷静で、何か見えない隔たりを私に持ってしまわれたように思えた。視線があまり合わず、体が近付くこともほとんどなく、言葉数は少ないままでいらっしゃる。


 今夜も先にベッドへ入り、直之様は後から寝室へいらした。部屋の小さな灯りを落とした彼に、しばらくしてから声を掛ける。
「直之様……起きていらっしゃる?」
「蓉子さんこそ、まだ起きていらしたのか」
「ええ、眠れないんです」
 私は何を伝えようとしているのだろう。
 今朝、告白したことについて? その後感じた、二人の間に起きた隔たりについて? そうではない。そうではなくて……
 風に窓ガラスが揺れた。小さく息を吸い込み、大胆な嘘を吐く。
「木々のざわめきが強くて、少し怖いのです」
「ああ、家の周りにあるものとは高さも木々の多さも違いますからね。心細いのでしたら一度起きて、一緒に居間に行きましょうか。何か飲み物でも、」
「いえ、違うんです」
 直之様の言葉を遮るなんて初めてのこと。
「ここが、寒いのです。直之様のお隣で寝ても……宜しいでしょうか」
 どきどきと心臓が鳴っている。
 恋心を教えていただいて以来、その続きを教えてはくださらないから。
「……あなたが宜しいというのなら、どうぞ」
 左側のベッドにいらっしゃる直之様の方へお顔を向けると、彼もまた私の方を見ていた。今夜彼は私と同じ、ホテルに用意された浴衣を着ている。ベッドカバーを持ち上げた直之様に、いらっしゃい、と呟かれた。
 息を呑み、静かに起き上がって、そっと床に足を下ろす。足裏から板張りの冷たさが伝わる。床の軋む音を連れて直之様のベッドに入った。こめかみが痛くなるくらいに動悸が激しい。
 横になり、差し出された腕の上に顔を載せ、仰向けに寝ている直之様の方を向いて体を丸めた。
「まだお寒いですか?」
 シーツとベッドカバーを私に掛けて下さる。
「温かい、です」
「では、ゆっくりお休みなさい」
 腕の中で彼の顔を見上げ、じっと見つめた。恋する気持ちが膨らみ、私の瞳に湿り気を与えたのがわかる。
「どうされた?」
「いえ……おやすみなさい」
 優しいお声に変わりはないけれど、やはり何かが違った。
 ただ肩を抱くだけで、口付けどころか髪にも頬にも触れてはくださらない。甘い秘め事の予感など微塵も感じさせず、私を早く寝かしつけたいようにも思えた。
 私の告白に戸惑っていらっしゃるのだろうか。恋の告白を聞きたいと確かにおっしゃっていたのに……おかしな言い方をしてしまったのかもしれない。
 寂しさが体を取り巻き、彼に強く抱き締めてもらいたい衝動に襲われた。
 情熱的な口付けや囁き、私を翻弄する指使いを思い出すと、再びあの感覚が訪れる。
 彼は静かに寝息を立て始めていた。
 くるりと直之様に背を向けて寝返りを打つと、目の前に彼の右手があった。その指先が欲しくなった私は、自分の手を浴衣の奥に忍ばせた。

 こうだったかしら。
 直之様が私にされたことを思い浮かべながら、そこを探ってみる。予想以上のぬめりに驚いて、狭間から手を引っ込めてしまったけれど、彼の寝息と腕の温もりを感じて切ない気持ちになり、再び指を奥に滑り込ませた。
 ふと、一番敏感な小さくて硬いものに触れた途端、体がびくんと揺れてしまった。
 焦る気持ちで顔だけそっと振り向かせると、直之様は目を閉じたまま。先ほどと何の変わりもないご様子に安堵して指を動かし始める。あまりの気持ちよさに息が漏れそうになるのを我慢しつつ、指でそこを撫で続けた。
 直之様、直之様、と頭の中で彼の名を呼ぶ。はしたないとわかっていても止められない。……あと、もう少しで……直之様がしてくれたような感じに、あと、もう少し……
「あっ!」
 動かしていた方の腕を後ろから掴まれた。心臓が口から飛び出しそうになるくらいに驚き振り向こうとしたけれど、後ろから抱きすくめられて動けない。
「全く、いけない人だな」
 左の耳に直之様の低いお声が囁かれ、首筋から背中にかけてぞくりと肌が粟立った。
「……起きて、いらしたの?」
「無邪気にそういうことをされると、必死に我慢している俺が馬鹿みたいじゃないですか」
 呆れたようなお声と共に大きく溜息を吐かれた。
「我慢?」
「そうです。この旅行は、あなたに元気になっていただく為であって、俺の欲を満たす為ではないと最初から自分に言い聞かせていました。ですから、このように同じ寝室にていも、あなたを求めてはいけないと」
 彼の言葉をひとつひとつ、胸に留めていった。
 嫌われた訳でも、隔たりを持たれた訳でもなかったことに嬉しさが込み上げる。
「しかし、まさかこちらに来て早々あなたに、あのような告白をされるとは夢にも思っていませんでしたから、本気で動揺しました。その後は、あなたのお顔をなるべく見ないように、二人きりにならないように、触れないようにと自制心を保つ為に気を付けていたのに、一緒に寝たいなどとおっしゃられては……拷問を受けているような気分でしたよ」
「あ、そんなこと、駄目です」
 直之様は私の濡れた指を口に含んで舌と共に吸い取った。淫らなお水を舐められた羞恥に全身が火照る。拒否しようとしても、手首を掴む力が強くて逆らえない。
「それでも我慢しました。傷ついたあなたに嫌な思いをさせたくはありませんでしたから」
 指を一本ずつ舐めた直之様が、静かな声で私に問いかけた。
「いつからこういうことを一人でなさっていた?」
「いつ、というのは?」
「家のお部屋でなさっていたか、ということです」
「一度もしたことはありません。でも今日はとても寂しくなって、以前直之様が私にされたことを思い出して、それで」
「そういうことは俺が隣にいるんだから直接言いなさい」
「とうに眠ってしまわれたのかと思ったのです。それに私が恋の告白をしたことで、お困りになっていらっしゃるのかと……」
「我慢をすることに困っていただけです。俺が埋めて差し上げますと言ったでしょう」
「直之様」
 珍しく苛々とした口調の中にも、私を思いやる気持ちが伝わってくる。
「私、この旅行中にあなたへお伝えしようと思っておりました。お盆の時から何度か……そう、昨夜も実家のことを思い出すことがありました。あなたがお迎えに来て下さった時、確かに私は傷つき、疲れ果てていました。ですが、その後ゆっくりと傷は癒されたのです」
 だから、私もあなたに伝えたい。
「サワを呼んでもらい、山手のお家の人々と触れる内に、私は元気になりました。そしてそれは全てあなたのお蔭なのです。いつも私を気遣い、私の好いようにと考えて下さる、あなたの」
 直之様のことを何も知らなかった頃は、彼を受け容れることなど考えられなかった。
 けれど、直之様の優しさと情熱に包まれた私の心と体は少しずつ溶かされ、どれだけ彼に思われているかを素直に感じ取れるまでになっていた。
「今も私の為に我慢などと……どうしてそんなにも、お優しいのですか? 私などの為に、どうしていつも」
「あなただからですよ」
 後ろから私を抱き締める手に力が込められる。
「あなたの為ならば何を犠牲にしても構わない。それほどあなたを……愛しているからです」
 切ない声と共に吐き出された愛の言葉に、気を失いそうなほどの衝撃を受ける。何という甘美な言葉だろう。彼が私を愛している……
 酔い痴れる間もなく、息が止まる程にきつく抱き締められた。
「傷ついたあなたのことが、ずっと気になっていた」
「ず、っと……?」
 彼の言い方に引っ掛かりを覚えた。訊き返そうとしたその時、抱き締められていた体が解放され、すぐさま冷たい空気に肌が晒された。
「あ」
 いつの間にか浴衣帯を緩められており、襟元に手を入れた直之様につるりと浴衣を剥がされていた。肩と背中、胸が丸出しになっている。
「今こうしてあなたが俺の傍にいることが……夢のようだ」
 言葉の意味を探ろうとするのに、背中に押し付けられる直之様の唇の感触に負けて何も考えられない。背中、肩、首筋にかけて、彼の唇と舌が音を立てて往復する。
「本当に、心から元気になられたのですね?」
「……ええ」
「では、最後まで教えても宜しいか」
 切羽詰ったようなお声に頷く。
「は、い……教えて、ください」
 お返事と同時に首筋に強く吸い付かれ、小さな悲鳴を上げる。大きな温かい手が私の胸をすっぽり包み、優しく揉みながら指で先端をくるりとなぞったり、挟み込んだりした。体が捩れる程の刺激に思わず声が出てしまう。
「あ……! 駄目、んん……ん!」
「いいんですよ、ここは家ではないんですから大きな声を出しても」
「でも、お隣のお部屋に、きっと聴こえて、しまいます」
「隣も向かいも誰もいないということでしたから……心置きなく出しなさい」
 甘い命令口調と指使いに益々感じてしまい、無意識に太腿を摺り合わせていた。もじもじとしていると、直之様が私の浴衣の裾を大きく捲って、太腿の間に指を差し入れた。
「あ、直之様……!」
 長い指が私の内に入り、水音を立て始めた。入口付近をかき回されて、とろとろと蜜が溢れ出してくるのがわかる。
「すごい濡らしようですね。そんなに我慢できなかったのですか? いけないお姫様だ」
「ごめ、んなさい……あ、ああ」
 自分で触れるよりもずっと気持ちが良い。
 浴衣は腰の辺りまで捲り上げられ、上半身も下半身も露わにされた私は、彼の指を味わいながら恍惚の階段を上り始めていた。
「直之様、直之様……」
 熱に浮かされたように彼の名を口に出して呼び続ける。朦朧とした思考の中、腰の辺りに何か硬いものがあたるのを感じた。
「気持ち良いですか?」
「私、私……もう」
 直之様の顔を振り向こうとした時、彼の指が離れてしまった。またもや訪れたじれったさに、物足りないどころの話ではなく、今にも泣き出してしまいそうだった。
 何故? と尋ねようとした私に直之様が囁く。
「どうせなら一緒がいい。蓉子さん、手を貸して下さい」
 横向きのままでいる私の耳へ、彼が浴衣を脱いでいるらしい衣擦れの音が後ろから届いた。
「手を……?」
 言われた通りに左手を後ろへ回すと、何か熱いものに導かれた。触れた途端に直之様は熱の籠もった息を落とし、苦しそうにおっしゃった。
「以前触っていただいたでしょう。その時はズボン越しでしたが」
「あ……」
 先ほど私の腰にあたっていたものの正体だった。
「次は俺の番です、と言いました」
 直之様は、その硬いものを私に握らせ、上からご自分の手を添えた。
「以前教えた通りに、動かしてみて、ください」
「……はい」
 ゆっくりと上下に動かすと、直之様の息が前にも増して荒くなった。添えている手が私の手の動きを速めさせ、もっと強く握る様にと指示を出す。
「ああ、蓉子さん……上手ですよ、具合がいい」
 艶のあるお声に私まで興奮してしまい、体の奥が疼いて切なくなる。
「そのまま、続けて」
 添えた手を離した直之様は、再び私の濡れた場所に指を差し入れた。