先生やって何がわるい!

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(4)涙の入園式(その1)




 門の横にある桜の花びらは、もう残り少ない。園庭の片隅にある花壇に咲くチューリップも、だいぶ大きく開いていた。入園式の時期なんてそんなもんだ。頭の中で描いていたイメージとは結構違ったりする。門を入ったすぐの場所では、年長の先生たちが保護者へクラス分けのプリントを配る準備をしていた。

「よし、と」
 教室の奥へ、子どもたちが普段使う机を一つだけ広げ、その上に全員の名札を綺麗に並べた。ひよこ組だけに、黄色いひよこの形をしているバッヂだ。名前は当然ひらがなで、全て俺が手書きしたものである。
 何度も何度も大きく深呼吸をした。まだ誰もいない教室を歩き回って、隅々までチェックしていく。

 部屋の隅にある水道には低い位置に大きな鏡がついている。少しかがんで覗き込み、ネクタイに手をやった。この三つボタンのスーツ、普通だよな? 髪型もチャラってないな? 色も落ち着いた色に染め直したし、いいだろう。
 ふと目線をやると、自分の左胸には「ゆうすけ」と書かれた、子どもたちと同じ黄色いひよこのバッヂがついていた。

 それを見た途端、心臓がぎゅーっと苦しくなった。お、落ち着けえええ。大丈夫だ、大丈夫。挨拶の言葉も家で何度も練習したんだ。子どもたちの名前も全員覚えたんだし。
「あ、やべ」
 ハンカチ忘れた。いやいや、使うことなんてないか。や、でもな、更衣室に取りいくか? 入園式まで一時間以上はあるし、どうするか……。まあ大丈夫か。
 とりあえず屈伸でもしよう、屈伸だ、屈伸。いっちにーい、さんしーい……細身のスーツだとやりにくいな。いっちにーい、
「おはよーございまっす!!」
「うわっ」
 も、もう来たのか!? 慌てて振り向くと、制服を着たちっさな男の子が、教室に二箇所ある片方の入り口に立っている。その後ろからスーツ姿の両親がついてきた。
「あ、お、おはようございます!」
 俺が挨拶をすると、一瞬ポカンと口を開けた男の子は母親の方へ振り向いた。
「ねーママ、あれ誰?」
「こら! す、すみません先生。指差さないの!」
 ぺしっと男の子の手を叩いたお母さんは、お父さんと顔を見合わせた。
「せんせー? おねえさんがせんせーじゃないのお?」
 う、うわああ。そうだよな、お姉さんがいいよなって、最初っからキッツイな、おい。いやショックを受けてる場合じゃない。俺は頭を下げて離れた位置にいる両親へとお辞儀した。
「ご入園おめでとうございます。た、担任の裕介と言います」
「ありがとうございます」
「どうぞお入りください」
 三人は俺に促されて教室の中へと入って来た。近付いて来る男の子へ声を掛ける。
「えーと……お名前言えるかな?」
「かいと!」
「かいとくんだね。バッジ胸につけようか」
「やだ! ママがいい」
 即答かよ。いかんいかん、笑顔だ、笑顔。あとは子どもの目線と同じになるようにしゃがんで……。
 かいと、と書いてあるバッヂを探し出し手に取ると、かいとくんはさっきよりも大きな声で言った。
「ママがいいの!」
「そっか、じゃあママにつけてもらおうね」
「とうっ!」
 何の脈絡もなく、いきなりパンチ技を決めようとする小さな手を咄嗟によける。すると、かいとくんは目を丸くして言った。
「お、つよい。すごい」
「まーね」
 可愛いな。生意気そうだけど、男はこれくらいがいい。

 いつの間にか他の子どもたちも保護者と一緒に教室へ入ってきた。
「おはようございます」
「……おはよ、ござます」
 俺が挨拶をすると、恥ずかしそうに返事をしてくれる子。
 お母さんやお父さんの後ろにさっと隠れてしまう子。突然ピアノの椅子に登って飛び降りようとする子。今使ってはいけないおもちゃを、閉まってある場所から引っ張り出す子。きちんと挨拶するけれど、自分のことを延々と語り始める子。指をくわえたまま、いやいやしてお父さんに抱っこされる子。仲良くなったのか数人で走り回る子どもたち。
 皆可愛い、可愛いぞ。だけど正直、すっげえ疲れた。はっきり言って、今この教室の中に秩序という言葉は皆無だ。もちろん親がきちんと注意はしてくれるけどさ。
 その時また一人、泣き出した。疲れてしまった最大の原因になっているひとつがこれだ。初日ってこんなに泣くもんか? バッヂも結局俺が着けてあげられたのは、三分の二くらいの人数だし。あとは子どもたち本人から、完全に拒否られてしまった……。

 チラリと壁にかかっている丸い大きな時計を見る。まだ入園式の時間じゃない。補助の清香先生は、小さめの講堂で準備に忙しい。呼びに来てくれるまでは、俺一人でこの場を何とかしなければならない。

 教室の中は子どもたちと両親で、かなり混み合ってきた。並べてあったバッヂは、残りあと一つだ。すると、その持ち主らしい子が両親と共に俺のそばへやってきた。笑顔で三人を迎える。
「おはようござ」
「う、うわあああああん!!」
 ひいい。俺まだ何にもしてねーぞ。女の子は地団太を踏んで、お母さんの足に泣きながらしがみついた。
「おはようございます。すみません先生」
「いえ大丈夫です。じゃあ、バッヂはママに」
 言いかけた言葉に、一瞬黙ってぎっと俺を睨んだ女の子は途端に顔をこわばらせ、絶叫した。
「やあああああ! かえる、ママかえるうううう!! みーちゃん、おうちかえるうううう!!」
 だからなんもしてねーだろが! みーちゃんと言った女の子は母親の後ろでひっくり返り、床に手足をバタバタとさせて全身で訴えた。……強烈だ。
「暴れないの! す、すみません先生。この子、男の人が苦手で……あ」
 思わず言ってしまった、というように、お母さんはバツが悪そうに自分の口元へ手を当てた。
「や、いいんです。怖いですよね、ははは……」
「ようちえん、やあああ! きらいきらい! かえるううう!」
 今度はお父さんが抱っこして宥めようとしたけど全然ダメ。まるで効果なし。

 この絶叫に反応した、まだ泣いていない子、いや、泣くのを我慢していたと思われる子たちが、つられて一斉に泣き始めた。伝染ってあるんだな、こういう場合でも……はは、ははは……。
 親父いいい! もとい園長! 今すぐここに来てこの有様を見ろ! だから言っただろうが、こんな小さな子の初めての担任は女の方がいいに決まってんだよ!
 ネクタイの首元が急に苦しく感じた。冷や汗ダラダラだよ。俺にどうしろってんだ。クラスにいる半分以上の子どもたちが親の傍で泣いている。その姿を前にして、さすがの俺も落ち込んだ。無理やり作っていた笑顔も、だんだんと引き攣ってくる。


 俺のが泣きてーよ……。たった一時間しか経ってないのに、式はまだこれからなのに、もう一日分の体力を使い果たした気がしていた。





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