先生やって何がわるい! 番外編 梨子視点

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私の後輩(前編)




 四月の園庭の隅に、黄色の蝶が飛んできた。花壇に咲くお花の間をひらひら飛んでいく。園庭で遊ぶ、うさぎ1組の子どもたち数人がそれを見つけて追いかけ始めた。

 年中から入った子どもたちと、年少から上がって来た子どもたちが入り混じる年中のクラスって、独特の雰囲気があって面白い。年少から上がった子が急にしっかりして、新入生に園内の決まり事を教えたり、心細そうな年少さんへ優しくしたりしている。私も初めての年中担任だから、とても新鮮に思えるし、反面わからないことも多くて、新人の時と同じように緊張しながら過ごしていた。
 でも、楽しいな。年少から子どもたちと一緒に上がれるなんて夢だったから。これからの一年を後悔しないようにやっていきたい。

 蝶を追いかける子どもたちを眺めていると、私の傍へ女の子がやってきた。元ひよこ2組のさちこちゃんだ。
「ねえ、りこせんせー」
「なあに?」
「うさぎ組に、ゆーすけせんせーいないんだね」
 悲しそうな顔をして目を伏せたさーちゃんと、同じ目線になれるようにしゃがむ。
「うん。でもね、くま組の先生だから、お庭で会えるよ」
「ゆーすけせんせーは、うさぎ組になってほしかった」
「そうだね。梨子先生も、そう……思うよ」
 私も同じだよさーちゃん。一緒に上がりたかった、なんて本当に私個人の我儘かもしれないけど。でも子どもたちのためにも、同じ学年にいて欲しかった。
「さーちゃん、さみしい」
 素直に気持ちを吐き出すさーちゃんが、とてもいじらしくて、彼女の頭に手を置き撫でた。
「さーちゃんの気持ち、あとで裕介先生に話しておくね」
「ほんとう?」
「本当。ゆびきりげんまんしよ」
 ふと隣のクラスを覗き込む癖が抜けなくて、そこには裕介先生がいないんだと気付いた時、とても寂しくなってしまう。今は新学期で忙しいから外で会う暇もないし、それどころか園内でもなかなか声を掛けられない。あーあ、なんて溜息ばかり吐いている自分がいた。
 学年主任なのに、駄目だな私。

「あ! ゆーすけせんせーだ!!」
 さーちゃんの言葉に胸がどきーんとして振り向くと、エプロンを外して下駄箱の上に置き、黒いジャージの上着を羽織りながら、裕介先生がクラスの子どもたちと園庭に出てきた。
「ゆーすけせんせー!!」
「おーう、さーちゃん! 久しぶりだなー!」
 さーちゃんが裕介先生に飛び付くと、元ひよこ2組の子どもたちが私から離れて、わーっと彼の周りへ走って行った。裕介先生は笑って子どもたちに声を掛けながら、こちらへ歩いて移動してくる。
 私は自分のクラスの子どもたちの方を見て、裕介先生に背を向けた。彼らの会話が後ろから聞えてくる。
「皆おりこうさんにしてた?」
「してたよー」
「梨子先生の言うこと、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるもん」
「そっか。それ聞いて安心した。梨子先生優しいだろ?」
「うん! 優しくて可愛い」
「か、可愛いよなー。そうだよなー。さーちゃんも可愛いよ。うん、皆可愛い」
 私の話題が出たせいか、心臓がさっきよりもっとドキドキ言ってる。冷静な顔を装って振り向き、笑顔で彼に挨拶をした。
「裕介先生、お疲れ様です」
「お疲れ様です。今日天気いいですよね!」
 寄って来た子どもたちを一人ずつ抱き上げながら彼が言った。二年目になって余裕が出てきたせいなのか、何だか彼がとても眩しく見える。
「梨子先生ありがとうございます。子どもたちが元気にやってて、俺も嬉しいです」
「う、ううん。私は当たり前のことしてるだけだよ。私が一年目で担任した子たちも裕介先生のクラスにいるんだから、お互い様だよ」
 彼に高く抱っこされたともくんは、園庭に足を下ろした瞬間、満足したのか遊具へ駆けて行った。その後姿を見送りながら裕介先生が言った。
「俺、一学期の内は、なるべくうさぎ組が外出てる時に、うちのクラスも出しますね。俺も子どもたちに会って声掛けられるし、梨子先生も年長になった子たちと遊べますよね」
「裕介先生……」
「それに、梨子先生と、こうやって話しもできるし」
 裕介先生が周りをきょろきょろと見渡したあと、私の傍に近付いて声を落とし、囁いた。
「あの、一緒に帰れます? 今日」
「え……」
「その、メシでもどうかなって。最近あんま会えないし。明日から連休だから、今日うさぎ組の飲み会とかあるなら全然いいんですけど」
「ううん、ないよ。一緒にご飯行きたい」
「そうですか。それなら、良かった」
 お互い笑って、すぐ傍の距離に少しだけ照れる。なんか、いい雰囲気。ひよこ組にいた時みたい。子どもたちが二人の周りにいて、春の風が吹く一年前と同じ温かい光景。もう少し、このままでいたいな。

「ゆーすけ先生! うちらと縄跳びするんでしょ!」
「あーごめんごめん。今行く」
 年長児の女の子二人がこちらへ駆け寄り、頬をふくらませて私を見た。見たって言うより睨んでる感じ? 年長児になると迫力があってちょっと怖いなぁ。
「もうひよこじゃないんだから、裕介先生取らないでよね、梨子先生」
「そうだよ。大きくなったら、うちらのどっちかが、裕介先生と結婚するんだから」
 ねー! と言った二人は手を繋いで、広い場所へ走って行った。
「裕介先生、モテモテなんだね」
「ははは、いやー、最近の子は全く、ませてるっていうかなんていうか、困っちゃいますよね。はははははー」
 裕介先生は頭をかきながら笑っていた。……全然困ってるように見えないんですけど。
「裕介先生早く! こっちこっち! 梨子先生はもうおしまい!」
 園庭の真ん中へ到着した二人が彼を手招きする。年長の男の子たちも周りに集まって、次は自分たちと遊ぼうと裕介先生を呼んでいた。一歩踏み出した彼が私を振り返る。
「えっと、じゃあ梨子先生、帰りに」
「うん」
 ふーんだ。別に私は今日ご飯食べに行く約束したからいいもんね。一応私が彼女なんだからね。……って、何考えてるの私。年長児に焼きもち妬いても仕方がないのにバカみたい。
「よっし、鬼ごっこでもしよっか!」
 私の呼びかけに、わーい、と周りにいたうさぎ1組の子どもたちが、一斉にじゃんけんを始めた。空が青い。さっきの蝶が花の匂いに乗ってこちらへ飛んできた。帰り、彼と何を話そう。ご飯はどこへ食べに行くんだろう。

 じゃんけんに負けて鬼になった私は両手で顔を覆い、10を数えた。
 逃げていく子どもたちの向こうにいる裕介先生を、指の間から誰にもわからないように、そっと見つめて。





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