先生やって何がわるい!

BACK NEXT TOP


(55) 虹




 終業式のあと二日間は事務と教室移動と職員室の机移動に追われ、今日から春休みが始まった。
 新学期の準備のため朝から園に来た。俺の教室はくま3組。当たり前だけどひよこの時とは雰囲気が全然違う。隣は当然梨子先生のクラスじゃない。

「裕介先生、お昼ご飯どうする? 皆で出前でも取ろうかって言ってるんだけど」
 職員室へ戻った俺に太田が声を掛けてきた。日直の佐々木と将也先生もいる。
「あー、今日はもう帰るからいいや。また明日来るわ」
「そうなんだ、お疲れ様」
「お疲れ様ー」
 なんか、駄目だ俺。まだたくさんやることがあるってのに全然気分が乗らない。

 玄関で靴を出して履き替える。緩んだ紐をしゃがんで結わき直した。靴音が近づいてくる。誰か来たな。
「裕介先生? 帰るの?」
 その声に、胸がズキっと痛んだ。梨子先生かよ……。顔を上げると、俺を見下ろす私服の梨子先生と目が合った。
「あ、お疲れ様です。梨子先生はこれから?」
「うん、そう。まだ全然準備終わってないから」
「そうですか。俺はまた明日来ます。お先に失礼します」
「うん。……お疲れ様」
 傘を畳んだ梨子先生が顔を逸らした。最近ろくに話をしてない。仕方がないんだけど、学年が違うとこうも一緒にいる機会がなくなるもんなのかね。告る云々も、何となく自分の中で流れてしまった。

 外は小雨が降っていた。今は濡れたい気分だから、ちょうどいいか。自転車にまたがり、ゆっくり漕ぎ出す。なんとなく真っ直ぐ部屋には帰りたくなくて遠回りをした。大きな川沿いの土手へ出る。そこで雨はほとんど止み、雲の切れ間から光が差し込んだ。
「あ、見てみて!」
「すごーい。綺麗!」
 すれ違う女子高生が俺の後ろを指差した。何だ? 自転車を漕ぐ足を止め、顔だけ振り向いた。
「おー! すげ」
 大きな虹が空にかかっている。端から端までしっかり見えた。よく見るとその外側にも薄い虹が半円を描いていた。こんなに大きいのを目の前で見るのは何年振りだろう。

 気付いた時にはケータイを取り出し、電話を掛けていた。
『裕介先生?』
「梨子先生、今どこにいますか?」
『え、教室だよ』
「外見て下さい! 大きい虹が出てるんです」
『ほんと!?』
 がたがたと椅子から立ち上がったような音が聴こえた。
『ここからじゃ建物が邪魔して見えないみたい』
「そうですか……。残念だな。じゃ、写メ送ります」
『ね、どうして電話してくれたの?」
「え? いや、虹が出てたから」
『虹が出てたからって他の人じゃなくて、どうして私に?』
「えっと、それは……」
 どうしたんだよ、梨子先生。今日はいやに突っ込むな。
『裕介先生、今どこ?』
「川沿いです。陸橋のそばの」
 俺がひとりで情けなく泣いた川ね。青春気取って大の字に寝たところね。正確には、ここからだいぶ先のところだけど。
『そこにいて。すぐ行くから!』
「え? あの、梨子先生?」
 切れてしまった。ここに来る? 梨子先生が?

 梨子先生がどの道から来るのかわからなくて、ここから動くに動けず、立ち止まったまま結局10分も経ってしまった。雨はすっかり止んで、さっきよりも晴れ間が広がってきた。川の水面が光を受けて反射している。
「裕介せんせーー!!」
「あ」
 振り向くと、土手の上を自転車に乗り、必死で漕いでいる梨子先生がこっちへ向かって来るのが見えた。笑顔で右手を高く上げて振っている。俺は止めておいた自転車を置き去りにして、彼女の元へ走った。これが走らずにいられるかっての!
 走って近づいた俺の横で彼女が自転車を止めた。
「主任の自転車借りてきちゃった。いつも置きっぱなしだから」
 はーっと息を吐いた梨子先生は自転車を降りて、空を仰いだ。
「すごい、まだ出てるんだね虹。少し薄くなってるけど」
「一回消えたんですけど、また出て来たんです。さっきまで二重になってて……」
 そうなんだ、と頷いた梨子先生の髪が揺れた。それを見て、何だか自然に口から零れてしまった。
「俺、梨子先生が好きです」
 いきなり言っちゃったよ。今まであんなに躊躇っていたのが不思議なくらい、今言わずにはいられなかった。
「もう一度言います。俺、梨子先生が大好きです」
 ジャージ姿の彼女は口を開けたまま、俺を見つめていた。
「さっきどうして電話したのかって聞かれましたけど、梨子先生が好きだからです。虹を見せたいって、一番に頭に浮かんだのが他の誰でもない、梨子先生だったから」
 園から着替えずに来たのか。そういえば彼女は何でそんなに慌ててたんだろう。虹が見たかっただけなのか?
「先輩としても尊敬しています。でも、ひとりの女の子として」
 川から温かな春風が吹いてきた。
「大好きなんです」
 彼女の迷惑も考えずに、ぶちまけてしまった。でも、これで砕けてもいい。後悔はない。明日からまた、普通に接することが出来るように努力しよう。梨子先生にも気にしないでいてもらうようにフォローしよう。
 次に何を言おうか考えていると、梨子先生が優しく微笑んだ。
「私はこれ、見せたかったの。今、どうしても」
 梨子先生は髪を耳へかけた。そこには俺がプレゼントした小さなピアスが光っている。
「終業式でも着けてたんだけど、あの日はバタバタしてたから言えなかったの。私……年中の担任に決まった時、すごく嬉しかったのに、裕介先生と一緒に上がれないことが寂しかった」
 彼女の瞳に涙が浮かんだ。どういう意味なんだろう。
「さっき会った時も、一緒の学年じゃないから、もう話もしてくれないのかなって悲しくて、つらかった。だから好きって言ってくれて……嬉しい」
「梨子先生」
「私も裕介先生、大好き……!」
 自転車から手を離した梨子先生は、俺の胸に飛び込んできた。がしゃんと音を立てて、主任の自転車が倒れる。
「後輩としても、一人の男の人としても」
「ほ、本当ですか?」
「うん、嘘は言わない。裕介先生の一生懸命なところも、怒ったり泣いたりするところも、優しいところも、全部好き」
 好きって言ったよな? 嘘は言わないってことは、ほんとなんだよな? 嬉しい気持ちが一気に湧き上がって、俺の胸に顔を押し付けた梨子先生を強く抱き締めた。
「あの、いつからですか?」
「いつの間にか、かな。気付かなかった?」
「全然、わかりませんでした」
 こんなことあるのかよ、っていうくらい嬉しくて幸せでたまらないけど、ちょっと待て。まだ喜んじゃ駄目だ。肝心のことを梨子先生には、いや梨子先生だからこそ、きちんと向き合って言わなくちゃいけない。

「梨子先生、聞いて下さい」
 彼女の柔らかい両肩を掴んで、俺から引きはがした。驚いた梨子先生は目を丸くして俺を見上げた。
「俺、言わなくちゃいけないことがあるんです。梨子先生にだけは絶対に」
 一度唇を噛みしめてから深呼吸をした。
「どうしたの?」
 言わなきゃ卑怯者だ。どう思われても、やっぱり隠すのは良くない。両想いになったばかりなのに、振られるのを覚悟するってのも、つらいけど仕方がない。ずっと胸に引っかかっていたことなんだ。
「実は」
 ごくりと唾を飲む。
「実は俺、園長の息子なんです。隠しててすみません、本当に」
 梨子先生は何も言わない。俺を見つめたまま、特に驚いた様子もなかった。
 おかしいな。皆を騙してたなんてひどい! とか、嘘吐いてたの? さいてー! とか言われるのを覚悟してたのに。何でだ?
 ……って、そうか! もしかしてこれ、信じてもらえなかったっていう逆パターン? もしそうなら完全に変な人じゃん俺……!
「えーと、いやあの本当なんですよ、俺が園長の息子だってこと。今ここには証明するものが無いんですけど、あの、名字が一緒じゃないですか、水上って。あとは、えーと」
 何を必死になってるんだ俺は。それにしても息子だとわかってもらうのが難しいだなんて思ってもみなかった。想定外だ。親父と俺の顔が似てればまだ何とかなりそうなんだけど、誰が見ても似てないし。免許見せても今は住所も違うし……。一緒に写ってる写真なんか実家に行かないとないしな。どうすればいいんだ!
「あの、引いてます? 梨子先生」
「ううん」
 梨子先生は急に表情を変え、にっこりと笑って言った。
「知ってたよ」

 空に掛かった虹は端だけ残して、ほとんどが消えていた。





BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2012 nanoha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-