先生やって何がわるい!

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(43)贈り物(2)




 24日、夕方6時。幼稚園から何駅も離れた繁華街で待ち合わせをした。
 発表会後も先生たちで飲んだんだけど、園長や主任も一緒だったし、気軽さは全くないから、今日みたいに少人数で先生たちと飲む方が楽しい。楽しいんだけどさ。少人数だと思ってたら、ほとんどの先生が参加してるじゃんか! クリスマスイブに寂しいな君らは! ……俺もだけど。

 予約してあった店に皆でぞろぞろと入っていく。通路を歩きながら隣にいた佐々木へ声をかけた。
「お前いいのかよ、こんなとこにいて。今日クリスマスイブじゃん」
 俺の質問に、佐々木は見たことの無いニヤケ顔で言った。
「いや〜俺らは明日から冬休みだけど彼女は出勤だからさ、昨日の朝からずーっと、ついさっきまで一緒だったんだよ。だから全然おっけ」
「あっそ」
 聞いた俺が馬鹿だった。

 大きめの個室の席へ着いていく先生たちへ続き、俺は最後に入口近くへ座った。追加を頼むのは新人の役目だしな。コートを脱いで、座席の後ろにあるフックへ掛けた。
 梨子先生は俺の隣だ。いや、まあ同じ学年ごとに先生たち座ってるからなんだけど、今日はいつにも増して嬉しい。職員室で隣にいるより近いしな。そうだ、今夜はたくさん話して、もっと梨子先生との距離を縮めよう。チラと、すぐ後ろにある壁に掛けたコートを確認する。右ポケットには大事なものが入ってる。
「梨子先生、何飲みますか?」
 うーんとね、と近くに寄った梨子先生とメニューを見た。いい雰囲気だ。最初はビールでしょ、と斜め前の席から声を掛けてきた美利香先生に答えようとした時、一也先生が個室へ入って来た。
「あ、一也先生だー!」
「どうもー」
 マフラーを外しながら、一也先生は皆へぺこりと頭を下げた。
「まだ始まってないよー。飲みもん決めて」
「はい」
 端がいいからと言った一也先生は俺に席を詰めさせ、隣へと腰を掛けた。
「一也先生、あの、いいんですか?」
「何が?」
「だって今日は……。いや、なんでもないです。すみません」
 佐々木と同じ理由でここにいるのかもしれないしな。俺が変に気を遣うことはないか。飲み物が運ばれ、全員へ行き渡った。乾杯をしたあと、一也先生が思い出したように俺へ言った。
「クリスマスイブなのに、何で俺がここにいるんだってこと?」
「ええ、まあ」
「いいんだよ。彼女も来てるんだから」
「へ!?」
 冷静な一也先生の横顔に質問しようとした時、俺たちの会話が聞こえたのか周りから悲鳴のような大声が上がった。
「え! 今何て言った? 一也先生」
「ここに彼女も一緒に来てるからって言ったんだけど」
「えええええええ!」
「ここに結婚相手がいるの!? 誰、誰なの? 知らない! 誰!?」
 一斉に皆が一也先生を振り向いて悲鳴を上げた。佐々木は馬鹿みたいに口を開けっぱなしだし、美利香先生は目をキョロキョロさせてるし、太田はキャーキャー叫びっぱなしだ。他の先生たちも、一也先生の顔と周りの先生たちの顔を見比べて、一体誰なのかと大騒ぎしている。
 でも俺の隣に座る梨子先生だけは落ち着いて、いつものようにニコニコ笑っていた。え、おい。嘘だろ。いや、まさかな。また俺の妄想だって。
「まー、正式には最近付き合い始めてすぐに結婚決めたんだけどな」
 最近? その時、梨子先生と一也先生が、俺の視線を通り越して目くばせをした。ほんとにほんの一瞬なんだけど、気付いてしまった。

 嘘だ。梨子先生は彼氏がいないって言ったんだ。合コンの帰りにも、俺の家に泊まった日の朝にも、そう言ったんだ。
 最近ていつだよ。最近付き合い始めて、もう結婚すんのかよ? 頭の中が軽くパニックを起こして、上手く考えがまとまらない。たいして飲んでもいないのに動悸が激しい。左に梨子先生を、右には一也先生を感じながら、いたたまれない空気に逃げ出したくなっていた。
「裕介先生」
 ぼーっとしてた俺に、一也先生がビール瓶を俺のグラスへ向けた。
「は、はい。ってすいません! 俺が注ぎます」
 俺がビール瓶を奪い取ろうとすると、一也先生は笑って、その後誰にも聴こえないように囁いた。
「相手は梨子先生じゃないから、安心しろよ」
「え」
 あ、安心て。やべえ俺の気持ち、バレた? 焦って一也先生の顔を見る。一也先生は息を吸い込み、今度は皆に聞えるようにはっきりと言った。
「美利香先生なんだ」
「……は?」
「だから、俺の結婚相手。美利香先生なんだよ」
 俺が返事をする前に、再び周りからぎゃああああと叫び声が上がり……。いや、個室で良かったよ、ほんとにねー。って、ほんとにいいいい!?

 柄にも無く美利香先生は真っ赤になって俯いた。そんな彼女へ、立ち上がった一也先生の真っ直ぐな声が届いた。
「美利香先生、ちょっとこっち来て」
「な、なんで?」
「いいから」
 傍に来た美利香先生の肩を優しく抱いた一也先生は、皆の方を向いて言った。
「ということで、やっと彼女から結婚を前提にお付き合いしてもらえることになりました。ずっといい返事を貰えなくて、俺がしつこく何度も何度も迫って諦めきれなくて、一年越しにようやくです」
「ちょ、ちょっと」
 こんなに慌てる美利香先生を見るのは初めてだ。
「あと三か月で俺は園を去って保育園へ行くことが決まっていますが、彼女は残ります。今後も彼女のこと、どうぞよろしくお願いします」
「よろしく、お願いします……」
 消えそうな声で、美利香先生は一也先生と一緒に頭を下げた。皆でおめでとう!! と拍手を送った。一也先生、ものすごいカッコいいな。あのいつも恐ろしい美利香先生が、恋する一人の可愛い女の人にしか見えないよ。


 三次会は遠慮しようか、と言う梨子先生と一緒に駅へ向かった。まあ三次会は、くま組とうさぎ組で、美利香先生と一也先生のお祝いみたいな感じになりそうだったからな。ちょうど良かったのかもしれない。
 冬の夜空は星がはっきりと見えて、怖いくらいにちかちか瞬いていた。最寄りの駅まで、よく知らない小さな商店街を歩いて行く。コートのポケットに手を突っ込み、そこにあるものを確認した。
「梨子先生、全部知ってたんですか? あの二人のこと」
「うん。秋に合コン行ったでしょ? 美利香先生も一緒に」
「はい」
「本当は美利香先生も一也先生のことがずっと好きだったんだけど、自分は年上だし、一也先生みたいな素敵な人には似合わないって。それに同じ幼稚園に勤めてるんだから、付き合うとかそんなの絶対に許されないって言ってたの。それで一也先生のこと忘れたいから合コンに行きたいって言ってて」
 梨子先生の唇から、白い息が吐き出されていく。柔らかそうな淡いグレーのコートが彼女によく似合っていた。
「でも結局、合コン行って余計に一也先生の良さがわかっちゃったみたい。私が裕介先生のうちに泊まった次の日にね、一也先生に言ったんだって。よろしくお願いしますって」
「そうだったんですか」
「うん。あの二人にはうまくいって欲しかったから、すごく嬉しい。あ、でも今日はね一也先生が来ることは知らなかったみたいだよ。美利香先生すごく驚いてたもんね」
 幸せそうに笑う梨子先生が立ち止まり、大きめのバッグからごそごそと何かを取り出した。

「裕介先生、メリークリスマス」
「え?」
「ピアノを教えてくれたお礼なの。開けてみて」
 差し出された紙袋の中には、綺麗に包装されたスポーツタオルと靴下が入っていた。どっちも仕事中すぐに汚れてしまうから、たくさん必要になるものだ。でも、園で使うにはもったいないような良質なものだった。
「あ、ありがとうございます。いいんですか?」
「もちろん。こちらこそ、いろいろとありがとう」
 どうしよう。今、渡せばいいのかな。でもなんだろう、このもどかしい気持ちは。
「梨子先生。俺」
「あ、いいのいいの。気を遣わせちゃってごめんね。気軽に受け取って? たいしたものじゃないんだから」
「すみません」
 いや、俺もプレゼントあるんだって。だけど……。
「ううん」
 両手に息を吹きかけて温めながら、梨子先生が俺に笑いかけた。

 さっきから、一也先生の姿が頭に焼き付いて離れなかった。
 俺はあんなふうに堂々と自分の気持ちを梨子先生へ伝えるられるだろうか。園長の息子だという事実を隠して、まだ実力も無くて、好きだなんて言う覚悟もないくせに、梨子先生には好かれたくてプレゼントなんか買ってきてさ。そういうの全部ひっくるめて、自分自身で納得いかなくなって、身動きが取れなくなってしまったんだ。……馬鹿だな、俺。

 渡せなかったピアスが歩くたびに、ポケットの中で虚しく揺れていた。





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