先生やって何がわるい!

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(22)長すぎる夏休み




「せんせーさよーなら、みなさんさよーなら!」
 暑い日差しが照りつける昼前。教室中に子どもたちの元気な声が響き渡った。7月中旬の今日で一学期も終わりだ。
「皆、楽しい夏休みを過ごしてねー!」
「はーい!!」

 教室の出入り口へしゃがみ、並んだ順番に一人ひとりと手をパチンと合わせていく。子どもたちは俺に向かって、楽しそうに夏休みの予定を一言ずつ話してくれた。
「せんせー、たけるね、ハワイ行くの」
「え!」
 ハ、ハワイだと? それだけ言って、たけるくんは俺の前をバイバーイと駆け抜けた。
「せいいちはグアム!」
「え!」
「さーちゃんはドイツ! このまえはオランダに行ったんだよ」
「……え、マジで?」
 子どもに向かって素で聞いてしまったじゃないか。一体お前らいつの時代の人? 俺の親父くらい遥か昔のバブル期の人?? 俺は知らないけど、それもうとっくに弾けてるよね? 皆さんそんなに余裕あるの?
「ゆういちはねー、おばあちゃんちのうみで泳ぐの! おっきいうきわ持ってくー」
 ってことは海外じゃないんだよな? やっと庶民がいて安心したよ。そうだ、それでよろしい。
「先生も海に行くんだよ。同じだ」
「おきなわだって」
「え」
「せんせーは?」
「……伊豆」
 何となく負けた気がして声が小さくなる。
「とおいの? ひこーき乗る?」
「割とすぐそこだから電車」
 一応一時間半くらいはかかるんだからな! めっちゃ魚うまいんだからな! 海も綺麗だし温泉もあるんだからな! 俺の返事もろくに聞かずに、ゆういちくんは去っていき、振り向くと次の女の子がにっこり笑って立っていた。なぜかスカートのポケットへ右手を突っ込んでいる。
「それ危ないよ? お手々ポケットから出そうね」
「……うん」
 俺に言われた通り、ポケットから手を出したゆいこちゃんは、大人しくて聞き分けも良くてとてもいい子だ。いい子、と言ってもしっかり者のようちゃんとはまた違い、前に出てくることもないからどっちかというと印象が薄い。一日過ぎてから、ゆいこちゃんが今日いたのかどうか、出席簿で確認してしまうこともあるくらいだった。友達とも何の問題も起こさず、口げんかしてるのも見たことがないし、もちろん自分から手を出すなんてことはない。教室で制作物を作ってる時も、いつのまにか終わらせて文句も言わず自慢もせずに片づけをしている、そんな存在だった。
「……」
 じっと俺を見つめるゆいこちゃんへ、首を傾げて見つめ返した。
「ん? ゆいこちゃん、どうしたの?」
「あのね」
「うん」
 一度大きく口を開けたゆいこちゃんが、何かを言おうとした。どうしたんだろう、珍しいな。
「せんせーまだあ!?」
 後ろの男児に急かされたゆいこちゃんは、下を向いてから小さな声で挨拶をした。
「……せんせー、さよーなら」
「さようなら。また9月に会おうね!」
「うん。ばいばい」
 歩き出したゆいこちゃんの小さな背中が、何となく気になった。



 夏休み中、実家に帰っていた俺は、一旦独り暮らしの部屋へ戻って来た。
 自分の日直は終わった。研修会も終了した。旅行も行った。親父の知り合いの保育園で短期のバイトもした。実家でDVDも見つくした。相棒のあの人が昔は先生の役とか、感動しまくったっけ。って、とにかくもう暇でしょうがないんだよ。
 子どもたちの方が休みが長いとはいえ、先生たちも丸々一か月は休みになる。これで金さえあればあっちこっち行くんだろうけどさ。先生やってない奴とも予定は合わないし。
 狭いワンルームの部屋で昼飯を食べた後、ゴロリと仰向けになって天井を見つめた。
「……」
 梨子先生、どうしてんだろ。そういや先生たちと旅行行くんだっけ。それとも彼氏と遊んでんのか。プールとか海とか行ってんのかね、あの水着で。いやあれは園用だ。ってことは……。
「だから俺、キモいっての! 何なんだよ、もー」
 勢いをつけて起き上がり、そのまま立ち上がった。
「あーあ、幼稚園でも行くか!」
 速攻シャワーを浴びて着替えた。アパートの鍵を閉め、背中に鞄を斜めに背負ってチャリンコへまたがる。今日もいい天気だ。蝉の鳴き声がうるさいほど降ってくる。

「こんちはー」
 職員室へ入って挨拶をすると、日直の一也先生が机から顔を上げた。
「おう、お疲れー。裕介先生も制作?」
「はい。秋冬の壁面がまだ足りないんですよね」
 一也先生は5年目で俺と佐々木の目標でもある。明るく爽やかで、子どもからも親からも人気が高い。一刻も早くこうなりたいんだ。まだまだ誰からも認められてないもんな、俺。
「あの、他に先生たち来てます?」
「睦美先生と茂美先生が来てるよ。それぞれ教室じゃない?」
 やっぱ梨子先生はいないか。

 自分の教室へ行き、色画用紙を広げる。秋冬の壁面と天井飾りだろ、あとは子どもたちに好評だったパネルシアターも、もう一種類作るか。
 鉛筆で下書きを始めると、隣の教室のドアを誰かが開けた音がした。しばらくして、ピアノ曲が流れ出した。隣ってことは梨子先生が弾いてるんだよな? そう思った途端、心臓が痛んだ。その理由を咄嗟に探すけど、上手い答えが見つからない。別に驚いただけだろ、何てことないんだこんなの。しばらく何も考えずに黙って制作に励んだ。

 随分と時間が経ったような気がして、手元の携帯と壁にかかる時計の針を見比べた。俺なんて壁面三種類も作っちゃったよ。なのにまだ隣のピアノからは繰り返し同じ曲が流れている。さっきから何度も何度も同じところで突っかかってるんだ。
 お母さんたちが保護者会のあとで言った言葉が、ふと頭を過ぎる。

 椅子から立ち上がり廊下へ出て、そっと隣を覗きに行くと、ピアノの前に座ってる梨子先生が……静かに泣いていた。





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