ぎんいろ 安弘編

14 おくりもの




「課長」
 明日はあれだな。ケーキとか買っておいた方がいいのか?
「この契約書なんですが」
 いやいやいや、何で俺が気遣わなきゃならんのだ。寧ろ、あいつが持って来いよ。俺の誕生日なんだから。
 いや、でも場を和ませる為に敢えて俺が昼飯作るってのはどうだ? まひるウケはいいかもしれない。
「課長。すみません」
 大体さあ、付き合ってるって言いに来るだけで、今更なにかしこまって挨拶に来るんだよ。緊張するだろうが。
「あの……課長!」
「お! すまん! 何だ?」
 いかんいかん。仕事中だった。部下が俺の机の前に立ち、書類を差し出している。
「あの契約書に目を通していただきたいんですが……。どうかしたんですか?」
「え! あ、ああ何でもない何でもない。ちょっとあれだよ、来週の会議のことで考え事」
「そうだったんですか。すみません、考え事してる時に」
「いや、いーのいーの。悪いのは俺なんだから」
 まひるが蒼太と付き合ってたとはねえ……。俺の知らないところで何してくれてんだ、大事な娘を! と言いたいところだけど、どこぞの知らない奴なんかよりはいいか、なんて思ってる。


 ピンポンとインターホンが鳴った。
 マンションのエントランスに立つ蒼太がインターホンのモニターに映っている。何となく緊張してるように見えるな。しろしろ、どんどん緊張しろ。大事な娘と付き合わせてるんだからな。一大事だと思ってもらわんと困るんだよ、こっちとしては。
「おい、蒼太来たぞ」
「私、今手が離せない。お父さん出て」
「仕方ないなー」
 結局今日は、まひるが昼飯を作ることになった。そういえば六年生の時、俺の誕生日にハンバーグを作ってくれたっけ。生焼けで焼き直したんだけど、そんなこと関係なく嬉しかったな。
「こんちわー」
 玄関を開けると、蒼太は爽やかな笑顔で入って来た。
「おう。蒼太がここに来るのも久しぶりだな〜」
 半年前の高校の卒業式の日、学校の廊下で蒼太の肩を叩いたんだっけ。あの時も思ったけど……。
「? どうしたんすか?」
「いや、ほんとデカくなったな〜ってな。あんなチビ助だったのがさ。まあ上がれよ」
「はい。お邪魔します。これ、あとで食べて下さい。ケーキなんですけど」
「おーありがとな。皆で食おう」
 やっぱり俺が買わなくて良かった。気が利いてるな、よろしい。

 まひるがテーブルに食事を並べた。パスタとサラダにスープか。パスタは俺の好きな蟹クリームだ。さり気なく、ご機嫌取ろうとしてるのか?
 俺の前にまひる、その隣に蒼太が座った。スープから湯気が上がり、いい匂いが食卓から立ち昇っている。でも、まひるも蒼太も何も言わない。テレビもついてないから妙に静かだ。
 ここは俺の方から切り出した方がいいのかね。付き合ってんの? とか、いつからだ? とか。いや、余計な事言うと、あとでまひるに叱られそうだな、やめておこう。
「まひるのお父さん」
 来た。顔を上げると、俺を真っ直ぐ見つめている蒼太と目が合った。
「何だ?」
 まひるは心配そうに蒼太の顔を見ている。その視線を気にも留めず、蒼太は落ち着き払った声で俺に言った。
「俺、大学卒業したら、まひると結婚したいと思ってます」
「は!?」
「はいっ!?」
 まひるが椅子から勢いよく立ち上がった。俺以上に驚いてるのは何でだ?
「まひるお前、何だよその反応は。二人で相談したんじゃないのか?」
「そんな話、し、知らな……ていうか、急にどうしちゃったの? 蒼太」
 まひるは顔を真っ赤にしている。まずそんなことはないだろうが、一応聞いておかなければいけないな、娘の親として。
「まさかお前ら、出来ちゃったんじゃないだろうな」
「そ、そんなわけないでしょ! お父さん馬鹿じゃない!?」
「まひる、お前は黙ってろ。蒼太に聞いてるんだ」
 ごめんな、まひる。でもこれは父親としてはっきりさせたい。蒼太がどういうつもりでこんなこと言ってるのかを。
「違います。俺、真剣にまひると結婚したいと思ってるんです」
 はきはきとした口調で蒼太が答えた。
 大きく溜息を吐いたまひるが静かに椅子に座った。俺も肩の力を抜いて息を吐いた。少し落ち着こう。
「あのなあ、蒼太。今時それは早すぎるんじゃないか? 就職だって大変なんだし、第一蒼太のお父さんとお母さんだって許さないだろ」
 コップに注がれた麦茶に口を付ける。まひるも同じように麦茶を飲んだ。
「それはまだ話してないから何とも言えないんですけど。でも、きっと何とかしてみせます。それから、お願いがあるんです」
「何だ?」
「俺が出世したら家建てるんで、そこに一緒に住んで下さい」
「ぶっ……!」
「わ! もー、きったない、お父さん」
 まひるが慌てて台拭きでテーブルを拭いた。
「す、すまんすまん。蒼太がとんでもないこと言うもんだから、麦茶吹いちゃったよ」
「とんでもなくないです。俺、ずっと考えてたんですから」
「それは無理だ」
「何でですか!?」
「何でって、お前んちのお父さんとお母さんはどうするんだよ。お前、一人息子だろ」
「三世帯住宅にします」
「えーーっ!!」
 まひると一緒に声を合わせて叫んでしまった。どうしたんだよ、今日の蒼太は、ほんとに。
「そしたら、まひるも寂しくないだろうし、まひるのお父さんも安心かなって。俺、高校の時からずっと考えてたんです」
「こんなこと、ずっと考えてたのか?」
「こういう具体的なことじゃないんですけど……。まひると、まひるのお父さんに俺ができることは何だろうって、いつも思っていました」
「蒼太」
「そしたら、この考えに至ったんです。これが一番いいだろうって」
 目線を落とした蒼太の声が小さくなった。
「そうか、ありがとな。その気持ちだけで嬉しいよ」
「駄目ですか?」
「いや駄目じゃないけどさ。って、俺はまだ結婚を許したつもりはないからな。まずはそこだろ」
 俺の言葉を聞いた蒼太は、ここで初めて黙り込んでしまった。嫌な空気が流れ始めた時、まひるが低い声で俺に言った。
「何よ、自分だって早かったくせに」
 う、痛い所を突かれたな。
「あれはー、そのーだな……」
「なんで早かったの? それこそ出来ちゃった結婚じゃないんでしょ? 何で?」
「……何でだろうな。あの時は、お前のお母さんと一刻も早く一緒になりたかったんだ。結果的には、それで良かったんだけどさ」
 もっと朋美に何かしてあげられたんじゃないか、もっと幸せに過ごしてやることが出来たんじゃないかって、後悔の思いばかりの中にいた頃、早くに結婚して少しでも長く一緒にいられたことだけが、自分にとって唯一の救いになっていた。
 一生の中で大切にしたい人と過ごせる時間なんて限られている。人によってその長さは違うけれど、それでも朋美を選んで良かったと、俺は心から思っているんだ。
 一瞬、目の前にいるまひるが朋美に見えた。その隣には、あの頃の俺がいる。朋美と大学で再会して、一緒にいたくて、付き合うと同時にプロポーズまでしてしまった俺が。
「……わかった。いいだろう」
「え!」
「ほんとに?」
「でも、ひとつだけ条件がある」
 喜びから不安げな表情に変わった二人が俺の顔を見た。
「絶対に、二人とも長生きしろ。それだけだ」
「お父さん……」
 涙声になったまひるの呼びかけに、俺も釣られそうになってしまった。今からそんなんでどうする。
「泣くのはまだ早い。蒼太、そこまで言ったからには約束だぞ? まひるを泣かしたら、ぶっ飛ばすくらいじゃ済まないからな」
「はい! ありがとうございます。絶対に泣かせるようなことはしません。大切にします」
 立ち上がった蒼太が深々と頭を下げた。
 お前がいい奴だってこと、俺はずっと知ってたんだよな。小さい頃から、まひるを気にかけてくれてたことも。まさか俺のことまでとは思わなかったけど。
「もういいから座れよ。さ、メシにしよう、メシに。腹減ったな〜。それにしても……そうか、 蒼太は将来俺の息子になるんだな」
「よろしくお願いします!」
 うんうん、体育会系は気持ちがいいねえ。いただきますをしようとして、まひるの様子がおかしいことに気付いた。何だか浮かない顔でサラダを見ている。
「どしたまひる? 食おうぜ」
「よく考えたら、何だかこんなの変だよ」
 フォークを握ったまひるが、俺と蒼太を交互に睨んだ。
「だって私、結婚するなんて今初めて聞いたんだよ? 蒼太にプロポーズもされてないのに、二人でどんどん話進めちゃって、変じゃん」
「ご、ごめん。今度言うから」
 むくれたまひるに蒼太が謝る。今さら何を言うのだい君は。
「どうせいい返事するんだから、手間も省けて良かったんじゃないの」
「もーお父さん!」
「ほら冷めちゃうから食おうぜ。蒼太も食べな。これ美味いんだぞ」
「はい。いただきます」
 スープだけ温めるね、と言ってまひるがスープカップを集めた。蒼太はまひるが作ったパスタを美味そうに頬張っている。それ、俺の好物なんだからな。よく覚えておけよ。

 朋美、聞いてたか? あいつら、いっちょまえに俺の心配してやんの。蒼太の提案を聞いた時、その横でまひるが驚いたあと嬉しそうに頷いた時、思わず涙が出そうになったってことは、ここだけの秘密な。
 思いがけない、嬉しい誕生日プレゼントだったよ。





次話はまひる編です。

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