年上幼なじみの若奥様になりました

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1 涙のチョコレイト



 膝の上にのっているのはミントグリーンの箱。淡いピンクのリボンがかかっている。
 ああ、私は馬鹿だ。
 わざわざまた懲りずに、彼にフラれようとしているのだから。
 わかっているのに、どうしようもないこの気持ちを、いつまで持て余せばいいんだろう。

 ポケットに入れていたカイロを取り出し、冷えた手を温める。真冬の夜遅くに、薄暗い玄関で待つのはさすがに厳しい。
「蒼恋(あおこ)、もう諦めたら? そろそろ十一時だよ?」
 薄暗い玄関の三和土に足を下ろし、上がり框に座っている私のもとへ、母が来た。
「まだ十一時だもん」
「携帯に連絡してみればいいじゃない」
「……いいの。別に約束してるわけじゃないし」
 私が勝手に待って、勝手に押し付けようとしているだけ。
「コタツに入って待ってればいいのに。お尻が冷えちゃうでしょ」
「リビングにいたら、晃(あき)ちゃん帰ってきても聞こえないからいいの。ほっといてよ」
 背中を丸めた私の頭上から、お母さんのため息が降ってくる。
「じゃあ、お母さん先に寝るから。おやすみ」
「……おやすみ」
 お父さん、今日は出張だったんだっけ。と、思ったときだった。
 車の停車する音が耳に届く。
「あ、晃ちゃん、帰ってきたっ!」
「迷惑かからないようにね。すぐ戻りなさいよ」
「わかってる!」
 玄関ドアを開けて外へ飛び出す。

 夜の空気が頬を刺すように冷たい。街灯が橙色の光を家の前に落としている。お隣の家、「野田」の表札前で立ち止まると、車から彼が降りてきた。
「晃ちゃん、お帰り」
「蒼恋!? どうした、こんな夜遅くに」
 驚いた彼は駐車スペースから出て、私の傍に近寄った。黒いスーツ姿に胸がきゅんとする。晃ちゃん、髪切ったのかな。すっきりした黒髪が彼によく似合ってて、すごくカッコいい。
「あの、渡したいものがあって待ってたの」
「ずっと外にいたのか?」
「ううん、家の玄関にいたの」
「玄関だって寒いだろ。ほら、冷えてるじゃんか」
 晃ちゃんの指が私の頬に触れる。途端に、かぁっと顔が熱くなった。晃ちゃんの香水が仄かに私の鼻先をくすぐる。
「だ、大丈夫。晃ちゃん、あの……これ、あげる」
 頑張って手作りしたチョコレートの入る箱を、彼に差し出す。あ、私の息……真っ白だ。今の私には緊張と恥ずかしさとで、寒さなんて感じられないけれど。
 差し出した箱を受け取った彼は、一瞬戸惑った表情を見せた。
「……バレンタインか、ありがとうな」
「うん」
「あのさ、蒼恋」
「やっぱり今回も、拒否る?」
 続きをまだ聞きたくはなくて、彼の言葉を遮ってしまった。
 だって久しぶりに会ったのに、これでおしまいなんて……ないよ。
「……もう遅いから家に帰りな。寒いだろ?」
「答えてくれたら帰る」
「拒否るも何も」
 晃ちゃんは私から目を逸らした。
「女子高生に手は出せません。ていうか俺の歳、わかってるよな?」
「にじゅうはち」
「正解」
「私が女子高生じゃなければいいの? もうすぐ卒業するのに」
「蒼恋は俺のこと何も知らないだろ?」
「え?」
「俺に夢見すぎ」
 苦笑した晃ちゃんは、私の顔を見つめて真剣な声を出した。
「蒼恋のそれはさ、多分違う『好き』なんだよ。大学入って、蒼恋と同じ歳くらいの男と一緒にいれば、これが本当の恋じゃないってわかる」
「それ去年も、ううん、中学卒業のときも晃ちゃんに言われたけど、私変わらなかったよ。高校入っても、男子と一緒にいても、やっぱり晃ちゃんのことが」
「……」
「好き、なの」
 晃ちゃん、困ってる。
「今日、彼女といて遅かったの?」
「彼女はいないけどさ」
 困らせているのに、止まらない。
「……前いたじゃん」
「とっくに別れてるよ。今は忙しくて全然そんなヒマない」
「そうなの?」
「蒼恋」
 私を見つめた晃ちゃんの真剣な声に、胸が震えた。
「俺、三月に名古屋行くんだ」
「え……」
「会社に新店舗ができて、そこの売り上げに貢献する為に抜擢された」
「出張じゃなくて、だよね」
 彼は不動産会社に勤めていて、営業の成績がとてもいいと、私のお父さんから聞いていた。私たちは家族ぐるみのお付き合いで、特に父親同士の仲がいい。
「ああ、出張じゃない。少なくとも三、四年は東京に帰ってこないと思う」
 がんっと頭を殴られたみたいに衝撃が走る。
 三、四年? 私が大学に行っている間、ずっと……?
「嘘……」
「嘘じゃないよ。もう住む部屋も決まってる、って蒼恋!?」
 嫌だ。
 そう思ったら、勝手に体が動いて、晃ちゃんの胸に飛び込んでいた。その拍子に、彼の手にしていた鞄とコートが地面に落ちる。
「私、待ってちゃダメ?」
 さっきまで仄かにしか顔っていなかったものが、間近で私を包み込んだ。晃ちゃん細身に見えるけど、やっぱり男の人なんだ。硬くてしっかりした胸に触れて、こんなときなのにそんなことを思ってしまう。
「私……晃ちゃんが好きなの。ずっとずっと、好きなんだもん。これからも変わらないよ。変われないよ……!」
 彼の胸に顔を押し付けて、小さな声で告白した。
 晃ちゃんが遠くに行ってしまう。
 大学に行っても、就職しても、ここを離れなかった晃ちゃんが。
「私、もう十八歳だよ? そんなに子どもっぽい? そんなに可愛くない? 晃ちゃんの好みじゃない?」
「そんなことないよ。蒼恋は十分可愛いと思う」
「だったら――」
 言いかけた私を彼がそっと抱き締める。それは驚く間もないほどほんの一瞬の出来事で、彼の両手はその後すぐに私の肩を掴んでいた。その強い力に戸惑って顔を上げると、体をそっと離される。
「蒼恋」
「晃ちゃ、」
「早く大人になれ。そしたら」
「そしたら……?」
「……なんてな。ごめん」
 晃ちゃんは私の両肩を掴んだまま、俯いた。
 今のは、どういう意味……?
「俺に蒼恋を縛ることはできないよ。友達たくさん作って、将来の夢の為にたくさん勉強して、いろんな人と出会って、大学生活楽しんでおいで」
「晃ちゃん」
「ほら、家に入るとこ見ててやるから。行きな」
 彼は体をかがめて落ちたコートと鞄を拾った。前の道を自転車が通り過ぎた。ぎーこぎーこと、ペダルの音が夜の空気に溶けていく。
「おやすみ、蒼恋」
「……おやすみ、なさい」
「ありがとな」
 どっちに対するお礼?
 チョコレート? それとも、私の告白……?

 二階の自分の部屋に戻り、ベッドの上に突っ伏した。
 晃ちゃんの言葉を思い出して、ぽろりと涙が零れる。頑張って大人っぽいメイクにしてみても、お金を貯めて買ったワンピも、全部無駄になっちゃった……。こうなるのはわかってた。でも、もしかしたらなんて、ほんの少しだけ夢をみてしまった自分がいけないんだよ。
 フラれただけじゃない。しつこく食い下がったりして嫌われたよね。お仕事頑張ってねなんて、気の利く言葉も浮かばなかった。自分の思いばかりぶつけて、可愛くなかった。
 涙を拭いて起き上がる。
 机の上に置いてある、ピンクの猫のキャラクターのぬいぐるみと、一枚の写真を手にした。
 そこには私と晃ちゃんと、それぞれの家族が仲良さそうに笑って写っている。去年のお正月に撮ったもので、私のお気に入りの写真。彼の顔を見つめていると、また涙が浮かんでくる。
 私が生まれた時、お隣の一人息子、野田晃弘(のだあきひろ)――晃ちゃんは、私の姉と同じ歳の幼なじみだった。
 お母さんがいない一人っ子の晃ちゃんは、私の家にしょっちゅう遊びにきて、ご飯も一緒に食べることが多かった。彼が大学へ入ってからその機会はずいぶん減ってしまったけれど、お正月とお盆休みには、晃ちゃんと彼のお父さんは私のうちに必ず挨拶に来て一日を過ごした。
 姉と晃ちゃんは、お互い一度も恋愛感情が湧いたことがなかったらしく、本当にただの幼なじみだ。姉はとっくに結婚して子どももいる。そして私はといえば……晃ちゃんにとって完全に子ども扱いで、よくて妹くらいの存在でしかない。のは、わかってたけど。
 ぐすんと鼻をすすって仰向けになる。ワンピに皺ができそうだけど、もうどうでもいい。

 私が晃ちゃんを大好きだと自覚したのは、今から十一年も前のこと。
 小学生になって初めての夏休み。七月の暑い日だった。



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