泥濘×片恋コラボSS2 春田視点

夏の終わりに




 ひんやりとした空間は、どこもかしこも真っ白。大きな丸い天井が、落っこちてきそうなくらい広くて怖い。

 暑い場所と人ごみの嫌いな三島くんが、珍しく出かけようとプラネタリウムへ誘ってくれた。夏休みが終わった最初の土曜日だからか、人はそれほどいない。早めに席へ着いた私たちは、それぞれ同じパンフレットを眺めていた。

 しばらくすると、右側へ座っている彼の、私へのしかかる重みを感じた。すぐ傍に大好きな三島くんの匂い。顔が赤くなっていくのがわかる。私も彼の方を向いてくっつこうとした時だった。

 一組のカップルが視界の隅に入った。
 背の高い目立つ男の子と、その後ろからついて来る綺麗な女の子。周りの女の人は皆、彼の方を見て何か言っていた。だってすごくかっこいいから。私にだってそれはわかる。でもこの二人、確かどこかで会った事があるような……。

 三島くんは私の頭に自分の額を押し付けて、いつの間にか寝息を立てていた。起こしたらかわいそうだから、体勢を変えずに動かないで我慢する。
 少しずつ近付いて、私たちのまん前に座ったさっきの二人は仲良さそうに寄り添っていた。パンフレットを見ながら、まだ何も変わらない天井を指差している。彼の方は彼女を見詰めてにこにこしながら熱心に話しかけていた。すごく、楽しそう。
「……」
 私と一緒じゃ三島くん、絶対あんな風にはなってくれない。元々そういう性格なのかもしれないけど、もしかして私が子どもっぽいから? 前に座る大人びた女の子の横顔を見つめていると、急に胸が痛くなって、ずっと前に感じたことのある嫌な気持ちを思い出した。

 同じクラスだった時に見た、立石さんと話してた三島くん。彼女には話し方も穏やかで、私には滅多に見せたことのない笑顔。三島くんが優しいのは知ってるけど、私にもあんな風にして欲しいって、たまに思う。
 二人きりでいると、こっちが恥ずかしくなってしまうくらい傍にいてくれるのに、人前だとそうでもない。だから花火大会の時はとっても嬉しかったのに。でもあれっきり、またいつもの調子。今日も誘ってくれたのに、何で隣で寝ちゃうの?
 大きく息を吸った後、胸の奥にこびりついたものをゆっくりと吐き出した。
「なに」
「え、あ……起こしちゃった?」
「何だよ溜息吐いて。帰る?」
「や。帰んない」
 小さく首を振った時、いくつかある入り口のドアが全部閉まって、会場の明かりが一斉に落とされた。

 聞き取りやすいアナウンスの声と共に太陽が西へ落ち、日が暮れる。月が昇り天井のスクリーンに星が輝き始めた。
「……きれい」
「何怒ってんの」
 小さく囁く三島くんの声が耳元へ届いた。
「きれいって、言っただけだよ」
「怒ってんじゃん」
「あ」
 三島くんが、許してはくれない力で右手を強く握ってきた。
 痛い。痛くてもっと大きな声が出そうになるのを唇を噛んで我慢して、また始まった彼の意地悪にささやかな抵抗をした。それが気に入らなかったのか、今度はその手を離して私の顎を掴んだ。まだ暗闇に目が慣れなくて彼の顔がよく見えない。

 その時、私の頭を何かが掠め、胸の奥へ問いかけた。
 穏やかな口調で、ただ優しく甘やかして欲しいって思ってる? 三島くんに強く握られた手を、本当は今どうして欲しかった? 踊り場で知った三島くんの膝も、目隠しをされてもらった飴も、メモに書かれた恥ずかしくてたまらないのに頭から離れてくれない文字も、壁に押し付けられて身動きの取れなかった身体も、本当は。

 聞こえるか聞こえないかの、ギリギリに声を潜めた三島くんの言葉が届いた。
「はっきり言えば」
「……だって」
 気付いてしまった気持ちに戸惑いながら、必死で誤魔化しの言葉を探した。勝手に目が潤んでくるのがわかる。
「なに」
「つまらなそうなんだもん。すぐ寝ちゃうし」
「ふうん、俺が悪いんだ?」
「……」
「相手して欲しいってこと?」
「う、ん」
 他に言いようのなかった私の曖昧な返事に、三島くんは鼻で笑った。途端に肩がびくりと震えて、動揺した心が伝わってしまった。
「早く言えよ」
「え?」
 私のおでこへ彼は柔らかい唇を寄せた。
 暗い場所で解説と共に大きな音楽も流れているけれど、前にはさっきのカップルがいるし、離れた場所に他の人たちもいる。ここは二人きりじゃないって思うだけで、身体の奥がきゅっと切なくなって、ショーパンから出ている両膝をいつの間にか擦り合わせていた。
「そ、そういうことじゃなくて」
「今赤くなってる?」
 私の頬を両手で抑えた三島くんは、自分の方へ顔を向けさせた。頬だけじゃない。耳だって、すごく熱い。
「よく見えない」
「だって暗いし」
「もっとよく見せて」

 私のもたれかかっていた椅子が、少しだけ軋んだ音を立てた。抵抗しようとすればもっと大きな音がしてしまう。どうしていいかわからなくて、ただ三島くんのことだけで頭がいっぱいになっていくのを感じながら、彼のTシャツを小さく掴んだ。
 薄目を空けると三島くんの向こう側に、降って来そうなくらいにたくさんの星がちらりと見えた。急にいけないことをしているんだって目が覚めて、慌ててそっと彼の胸を両手で押して、唇を離した。
「……駄目」
「なんで」
「星、見えないから」
 やっとの思いで呟くと、三島くんの溜息が私の唇へかかった。心臓が大きな音を立てて苦しい。彼に触れられている場所が、つらくてたまらない。ううん、つらいんじゃなくて本当は嬉しい。苦しいんじゃなくて心地いい。意地悪されているのにこんなこと思うのは、変なのかもしれないけど……。


 プラネタリウムが終了した。緊張していたのか、変に身体が疲れてしまって足が上手く動かせない。まだ離してはくれない、三島くんの手に繋がれた私のてのひらは、うっすらと汗を掻いている。さっき耳元で囁いてくれた、可愛いって言葉が、星を見ている間もずっと私を痺れさせていた。

 ぼんやりとした頭で、前の座席から立ち上がった二人へ視線を上げる。仲の良いカップルは、さっき思い出した通り、8月の初めに花火大会で出会った二人だった。
 あの時、三島くんがいない間に困っていた私を連れて行ってくれた女の子。それを何の躊躇いもなく、優しく送り出してくれた男の子。お似合いの二人。
「ね、三島くん」
「……」
 横を向いて確認すると、私と同じに二人に気付いた彼は、舌打ちをして立ち上がろうとした。気付かない振りをしろって目配せをしてきたけど、そんなの知らない。先に意地悪してきたのは三島くんの方なんだから、これはお返し。

 彼の腕を引き止めて、無理やりもう一度私の横へ座らせた。振り向いて私を睨みつけるその怒った表情に、胸が小さく高鳴ったのを教えたら、三島くんは喜んで満足してくれる?
 ――早く捕まえて、私を動かさないようにして、たくさん安心させて。

 私を縛り付ける彼の瞳に期待して、再び出会った二人へ声をかけた。














続きは「片恋〜かたこい〜」涼視点へ。

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