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アイアイガサ





 派手じゃなくて地味すぎない、選ぶのに一時間もかかった水玉模様の傘。少し大きめにしたのは、二人で入れるようにって夢見てた、絶対知られたくない下心。
 学校の廊下ですれ違うたびにドキドキしてた、隣のクラスの男の子。サッカー部で明るくて背が高くて、たまに声を掛けてくれた彼に告白して……私は彼女になった。

「ねえ陽菜子(ひなこ)、今日、遠田(とおだ)くんと一緒に帰るの?」
 教室の外を見ると、六月に入ったばかりの空は雲が重そうに垂れて、今にも雨が降り出しそう 。帰り支度をしている私の席に来たサチの言葉に首を振る。
「ううん。帰らない」
「何で?」
「部活だって言ってたから」
「待ってればいいじゃん。雨降りそうだし、今日はすぐ終わるんじゃない?」
「でもきっと、嫌がるよ」
「何で? あんた彼女なんでしょ?」
 彼女だよ、多分。言い切れない自分に哀しくなって、目に涙が溜まっていった。
「ちょ、ちょっと陽菜子大丈夫?」
「だって私、自信ない。ほんとに彼女かどうか、もうよくわかんない」
 付き合ってって言ったら、いいよって返事をくれたけど、それだけ。好きとも言ってくれないし、他の仲いい女の子は呼び捨てなのに、私のことは呼び捨てどころか名字だって呼んでくれない。
 毎日部活に忙しそうで、クラスも違うからあんまり会えない。一緒にどこにも出かけてない。メールもしすぎちゃいけないかなって、数える程しか送ってない。
 片思いしてる時は目が合うだけでその日は一日幸せだったのに、今はそれも何だかつらい。前よりもっと何も言えなくなって、笑顔も出てこない。何となく付き合ったのかなって、私のことたいして好きじゃないのかな、なんて朝見たテレビの占いみたいに最悪のことばっかり考えてる。

 どうしても一人で帰りたくて、どこかへ寄ろうと言うサチの誘いをごめんねって断った。学校を出た途端、空から雨粒が落ちてきた。
「……遅いよ」
 ため息を吐いて傘を広げる。坂を降りながら一つ目の角を曲がると、ずっと前の方に、まだ学校にいるはずの遠田くんが歩いていた。
「なんで?」
 部活なかったんだ。遠田くん、傘持ってない。今走れば、すぐに追いつけるよね? 傘の柄を握り直し、制服のヒダスカートの裾をチェックして、ニットのベストを引っ張って整える。髪、変じゃないかな? 雨が降ってるから湿気で広がってるかもしれない。トイレでコテしてくるんだった……!
 あれこれ考えながら急いで視線を上げると、離れた場所にいる遠田くんは、誰かに声を掛けていた。相手はピンクの傘を差している女の子。ぼんやり見つめている間に、彼はその傘に入り込み、女の子と一緒に歩き出していた。

 遠田くんはいつも傘を持っていない。片思いしてた頃、部活のない雨の日の帰りに、いろんな人へ声を掛けてそのまま誰かの傘に入れてもらう遠田くんをよく見かけた。男子も女子も関係なく。もしかして、いつか私の傘に声を掛けてくれる日が来るかもしれないなんて、そんなこと夢見てた。傘を選ぶのも楽しくて、雨の日が待ち遠しかった。

 でももう雨なんて、嫌い。
 彼女のクセに駆け寄って何も言えない宙ぶらりんな自分も嫌い。最初から告白なんてしないで、見つめてるだけで良かったんだ。きっと何も知らないでいた方が幸せだったんだ。
 歩く速度が遅くなって、前を行く二人と距離ができていく。雨のせいだけじゃなくて、前が霞んでよく見えない。俯いて目を擦ろうとした時、私の傘が後ろから大きく揺れた。

「なんで待っててくんないの」
 振り向くと、息を切らして私を覗き込む遠田くんがいた。
「わ! え、あれ? え?」
「何、どーしたの?」
「違うの、あれ? 私、あの人かと思って。あの」
「傘入れて」
「う、うん」
 心臓が止まりそうだった。勘違いにも、隣にいる遠田くんにも、夢見てたこの場面にも。
「さっき俺、メールしたんだけど」
「え」
「雨の日は部活ないんだ、ほとんど。前に言ったかもしんないけど」
 背の高い彼が傘の柄を手にした途端、遠くなる水玉模様。
「待っててくれてんのかと思ってた。勝手に」
「……迷惑かと、思って」
「なんで?」
「遠田くん、私と一緒じゃ恥ずかしいかなって」
「全然。そんなことないよ」
 私の肘と彼の柔らかいニットのベストが少しだけ触れた。色は私のと同じ白。恥ずかしくなって肩を縮ませる。声がすぐ傍に聞こえて何だかくすぐったい。
「俺、傘忘れるんだ、すぐ」
「うん。知ってる」
「でももう、他の女の子の傘には入らないって決めてたから。ひ、」
「?」
「ひ、陽菜、子がいるから。……って、照れるね」
 初めて呼んでくれた声の響きと、彼が言った照れるね、の言葉が私の頬を熱くさせた。肩に掛けた鞄の持ち手を強く握って、さっきよりもずっと高鳴る鼓動を抑えようと頑張ってみる。でもあんまり効果は無いみたい。
 後ろから来る車の音に反応した彼が、私を歩道側に移動させた。そんな少しのことでも、いちいち心臓が痛くなってしまう。
「だから、待っててくれないと困るんだけど」
「あの、雨の日じゃなくても、たまに待ってていい?」
「いいに決まってるじゃん」
 出来始めたばかりの水溜りを避けながら、彼の声が少しだけ小さくなった。
「俺、嫌われたのかと思った」
「……私に?」
「そう。さっきメールの返事来なかった時、やばいかなって思った。毎日忙しいしさ、あんま話もできなかったし、もしかして嫌われたかなって」
 次々と私へ差し出される彼の気持ちを聞いて、もっともっと知りたくなった。
「嫌われたかもって、心配したの?」
「したよ」
「何で?」
「何でって……」
 私のこと、本当はどう思ってる? 知りたい。聞いてみたい。
「お願い。教えて」
「好きだから」
 彼がそっぽを向いて言った。
「告られて嬉しかったのに、何か上手く言えなくてさ。恥ずかしくて名前も呼べなかったし」
「……」
「でも俺の気持ち、ちゃんと言わないまま嫌われたらやだったから」
 怒ってるの? って勘違いしてしまうくらいの真剣なその声が、私の胸の奥をぎゅーっと狭くさせた。
「嫌いになってないよ。大好きだよ」
 また私、告白しちゃった。驚いた遠田くんは勢い良くこっちを向いて私と目が合うと、慌ててまた顔を逸らした。
「お、おう! オッケー、うん! わかった」
 真っ赤になった彼は何度も頷いて、傘をぶんぶん振り回した。その度に細かい雨が二人を湿らせる。
「つ、冷たいよ」
「あー悪い、ごめん! なんか暑くて」
 自分の鞄に手を突っ込んだ彼は、丸めたタオルを引っ張り出して、少しだけ濡れた私の頭にぽんぽんとあてた。
「今日部活なくて、これあんま使ってないから。汚くないから」
 遠田くんは私の髪を優しく拭いてくれた。今初めて彼の瞳を正面からきちんと見つめられた気がする。
「私ね、遠田くんの気持ちわかんなくて、全然わかんなくて、少し不安だったの」
「……ごめん」
「でももう平気。大丈夫」
「じゃあ、これから雨の日は、約束な」
「うん!」
 お互いにっこり笑って、少し照れて、嬉しくなって、狭すぎなくて広すぎない、二人にちょうどいい傘の中でそっと手をつないだ。

 雨なんてやっぱり、やっぱり大好き。









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