「ちょっ、大丈夫!? 具合悪いの!?」
「うー……」
 酔っているだけにしては尋常じゃない。というか、セーター越しの彼の体温がとても熱く感じた。すぐそばにある彼の頬にそっと触れてみる。
「すごい熱い!」
 あまりの熱さに声をあげてしまった。私のうえでぐったりしている北村さんは、呼吸が小刻みで苦しそうだ。
「う……吐きそう」
「えっ! ちょ、ちょっと待って、起きれる!?」
「んー……」
 慌てた私は、北村さんをどうにか起こしてあげた。
 まさかの食中毒!? でも、もしそうだったら私も今頃は苦しんでいるはず。そもそも彼はいつもより食べていなかった。
「トイレ行く?」
 うつむいている彼に問いかける。
「ん……うぇ」
「頑張って、ちょっとだけ我慢して。立てる? それともここに洗面器持ってこようか?」
「……トイレ、行く」
 私につかまりながら、北村さんはどうにか立ち上がった。足もとがフラフラだ。
 北村さんはお酒もあまり飲んでいない。ということは、もともと具合が悪かった……?
 なのに無理して私につき合って、悪化したんだ。申しわけなさが私の胸に沸き起こる。

 彼をトイレに連れていくと、一人で大丈夫だと言われ、私はその場を離れた。
「もしかしてインフルエンザだったらどうしよう」
 年末だ。時期的にあり得なくはない。会社の人たちは誰も罹っていなかったから、どこかからもらってしまったのかも。
「とりあえず体温計と、冷却シート」
 リビングでそれらを取り出しているところへ、トイレの横の洗面所で口をすすいだ北村さんが戻ってきた。彼はソファにどさりと体を落とす。
「北村さん、大丈夫?」
「……吐いたら落ち着いた。けど、すげー……寒い」
 天井を仰いだ北村さんは、目をぎゅっとつぶった。身を縮ませている。相当具合が悪そうでかわいそうなのだけど、彼のそばにしゃがんで体温計を差し出した。
「ね、体温測ろう? あと、おでこに冷却シート貼ろうか」
「うん」
 そして測り終わった体温計をチェックすると、38度8分もあった。
 薬を飲ませたほうがいいだろうか。でも、もし本当にインフルエンザだったら解熱剤を飲ませるのは注意が必要だった気がする。
 とにかく部屋で寝かせたほうがいいだろう。確か彼は夕飯前まで寝ていたはず。
「北村さん、お部屋にお布団敷いてある?」
「……敷きっぱなし」
「じゃあ、お部屋で横になろう。歩ける?」
「……ん」
 私は北村さんに寄り添って、一階にある彼の部屋に向かった。

「お邪魔、しまーす……」
 この部屋に入るのは初めてだ。エアコンがつけっぱなしでよかった。部屋中が暖かい。
 一歩入ると、北村さんの香りに包まれた。毎日彼がすごしている部屋にいる。そう思うと、なんとなく緊張した。
 電気をつけた私は、部屋の中を見て驚く。畳の上に布団が敷いてあるだけで、あとはちゃぶ台しかない。他の荷物は押し入れにあるのだろうか。こざっぱりしすぎていて生活感がない。
 そういえばこのシェアハウスにきたとき、彼はスーツケースひとつと、バックパックをひとつで越してきたと言ってたっけ。
 布団のそばにきたところで彼に声をかける。
「横になれる?」
「大丈夫。まだ目は回ってるけど」
「ちょっと横になって、待っててね」
 私はリビングから加湿器を持ってきて、北村さんの部屋の隅に置いた。彼のお布団を綺麗にかけ直してあげる。まだ呼吸が荒く、頬が紅潮していて苦しそうだ。
 私はいったんリビングに戻って、カレンダーの前に行く。
「年末は病院やってないし……そもそも夜間だし。あ、総合病院の救急ならやってるのかな?」
 急いでネットで調べ、近くの大きな総合病院へ電話をした。
「高熱があるんです。もしかしたらインフルエンザではないかと思って。それで救急で伺いたいのですが……」
「夜間救急の受け付けはしておりますが、切迫した状態以外の方はただいま三時間待ちでして、それでもよろしければ――」
「さっ、三時間!?」
 嘘でしょ!?
「同じようにインフルエンザの疑いの方が多くいらしているんですよ。患者様はお子さんですか?」
 やっぱり流行ってるんだ。
「いえ、大人です。男性の」
「ひどい腹痛や痙攣、嘔吐が止まらないなどの症状がなければ、しばらく様子を見てください。患者さんのそばでは移らないようにマスクをして、患者さんには水分を――」
 丁寧な説明をメモに走り書きしていく。
「はい……はい、わかりました。ありがとうございました。しばらく様子を見てから決めます。はい」
 電話を切ってから、もう一度彼の部屋に行く。
 北村さんはうとうと眠り始めていた。今夜はリビングにいて、彼の様子を見ながらすごそう。

 夕飯の後片付けをした私は、ソファでスマホをいじったり雑誌を読んでいた。時計は夜の十二時を指している。
「北村さん、大丈夫かな」
 一度吐いているから水分を取らせたいのだけど……。そう思ったとき、彼の部屋の引き戸が開いた。
「北村さん」
「ちょっと、トイレ」
「大丈夫?」
「……だいぶラクになった」
「よかった」
 私はキッチンへ行き、スポーツドリンクを用意した。トイレから戻る彼と一緒に部屋へ入る。吐き気はもうないという彼にグラスを差し出した。
「寝る前に、ちょっとでいいからスポーツドリンク飲んで。あともう一回熱を測ってみてくれる?」
 うなずいた北村さんは布団の上に座る。さっきより呼吸は整ったようだ。熱は38度まで下がっている。
「せっかく作ってくれたのに……全部出しちゃったな、ごめん」
「そんなこと全然いいから、気にしないで」
「元気になったら全部食うから、また作ってくれる?」
「うん、わかった。いくらでも作るよ」
 笑顔で答えると北村さんも弱々しく笑みを返し、布団に横になった。
「俺……情けねえなー……」
「病気だもん。情けなくなんかないよ」
「加藤さんがいてくれてよかった。ありがとう」
「ううん。もしかしたら何か胸騒ぎがして、ここに戻ってきたのかも」
 グラスをのせたお盆を持つ。部屋を出る用意をした私の服を、北村さんが小さく引っ張った。
「どうしたの? 具合悪い?」
「ねえ、二次会一緒に行こうよ」
「ま、まだ言ってる……!」
 それどころじゃないだろうに、なぜ彼のほうがこんなにもこだわっているのかわからない。
「俺がそばにいるから惨めにはさせないよ、絶対に」
 熱でうるんだ瞳で言われても困る。私は全力で首を横に振った。
「行かないってば」
「ていうかさ、ちょっとケリつけたいってのもあるんだ。これは俺の事情ね」
「……北村さんの事情って?」
「いつだっけ、二次会。結婚式か」
 彼は私の問いに答えず、話を続けた。
「三月十四日だよ」
「ふーん。加藤さんが元カレと別れた日じゃん。ホワイトデーだったんでしょ?」
「うん」
「一年経つからいいってのか。全く……」
 言われてみればそうだ。わざわざその日を選ぶなんてと思う私に、北村さんがにっと笑った。
「あっちがそういうつもりならいいじゃん。行こうよ、加藤さん」
「ど、どうしてそこまでするの? 北村さんには全然関係ないことのに」
「関係あるんだなー、これが」
「どんな関係なの? 知り合いじゃないんだし――」
「俺、加藤さんが好きだから」
「……え?」
 視線が合ったまま、妙な空気が流れる。あまりにもサラッと言うから反応できないでいると、北村さんは寝返りを打ち、私に背を向けた。
「もう少し寝るわ」
 聞き間違えたの? って、そんなわけがない。
「う、うん。寝たほうがいいよ。何かあったら言ってね? スマホで呼び出してもいいし」
「……ありがと」
 北村さんの返事とともにそそくさと立ち上がった私は、リモコンで明かりを暗めに調整する。
 私のことを好き、って言ったんだよね? どういう意味で好き……って? 
 混乱する思いを抱えて部屋を出ようとしたときだった。
「俺らってほんと……似てるよなー」
 ぼそっとつぶやいた彼の声が届く。
「……何が?」
「なんでもない。おやすみ」
 それきり、北村さんは黙ってしまった。
「おやすみ、なさい」

 そっとドアを閉めて、廊下に立ち尽くす。
 熱のせいで、思ってもないこと言ったんだよね?
 だからきっと、明日目が覚めたら彼は多分、忘れている。そう思うことにしたのに、胸のドキドキは止まらなかった。