好きな時間に寝て、好きな時間に起きる。
 誰に干渉されるわけでもなく、ゆったりとコーヒーを飲み、シェアハウスから出かける。その後は、散歩がてら神社にお参りをするのが日課だ。
 大きな銀杏の木が金色に輝き、その葉が落ち……季節はすっかり秋から冬へと変わっている。
 シェアハウスのメンバーとつかず離れずの心地よい距離を保ちながら、私の心はいつの間にかすっかり安定していた。たくさん休むことって、やっぱり大切だ。
 私、心から元気になれたよって、そろそろ北村さんに伝えられそうな気がする。うん、もう大丈夫だ。
 抜けるような青空を見上げた私は、冬の冷たい空気を胸いっぱいに吸いこんだ。

「これからもっと寒くなるよね。エアコンの温度はこのままでいいのかな」
「いいんじゃない? それで月々の統計とるんでしょ?」
 石橋さんと、リビングの吹き抜けにあるエアコンを見上げて話す。パソコンを立ち上げた私たちは、シェアハウスのブログを書いていた。
「加藤さんが北村さんのところで働き出してから、昼間は光熱費がかからなくなったしな」
「そ、そうだね」
 悪気はないと思うんだけど、顔が引きつってしまう。つい最近まで無職だったのは事実だから仕方がない。
「あ、言い方が悪かったかな、ごめん。嫌味じゃないからね?」
 そう言って、石橋さんが申し訳なさそうに私の顔を覗きこんだ。
「家で仕事をする人とか、小さな子どもがいる家とか、仕事は引退している家庭とかいろいろあるだろうから、そういう人たちの参考になる。加藤さんがこの家にいてくれたことで、わかったことがたくさんあるはずだから、気にしないで」
「うん、そうだよね。ありがとう」
 かえって気を遣わせてしまった……反省。
 石橋さんが言った通り、私は北村さんの会社で働き始めていた。今日でちょうど一週間になる。
 だいぶ元気になったし、ブラブラするのも飽きてきたし、何より……再就職先が見つからなかったため、北村さんの申し出を受けることにした。二人の関係はあまり深く考えずに仕事に没頭しようと決めて。
 仕事内容は事務所の留守番と簡単な事務作業だけだ。北村さんの他に三人の若い建築士さんがいて、皆で仕事をするときもあれば、それぞれ担当のお客さんのところに行く日もある。
「さて、と。俺、北村さんと酒の買い出しに行ってくるわ。チキンも買ってくる」
「うん、お願い。こっちは準備始めてるね」
 三日早いけれど、今夜はクリスマスパーティーをする予定だ。
 四人とも未婚、さらに恋人がいないとあっては当然クリスマスイブの約束もない。とはいえクリスマスイブは全員仕事なのでそれも寂しい。それなら全員が揃う休日に、早めにやってしまおうかということになった。ブログのネタにもなって一石二鳥だし。

 北村さんと石橋さんの男性たちを見送り、十和田さんと二人でキッチンに立つ。
 シチューの下ごしらえをする私の横で、十和田さんが粉や卵を用意し始めた。
 そういえば十和田さん、北村さんのことは何も言わなくなっちゃったな。一瞬疑われた私と北村さんの関係もあれきり話題にならないし、今さら気にすることでもないか。
「十和田さん、何作るの?」
「ケーキだよ〜。せっかくだからブッシュドノエル作ろうかと思って」
「ブッシュドノエルって、あの切り株のケーキ!?」
 意外な言葉に驚いた。
「私、料理はできないんだけどお菓子は作れるんだ。実は得意な方。あ、さっき石橋さんにケーキは買わないでねって言っておいたから、大丈夫だよ」
 えへへ、と彼女が笑う。
「お菓子が得意なんてすごいよ。分量とか難しくて、私は全然作れないもん」
「実験みたいって思えば楽しいよ。やればやるほど成功する率が増えていくから」
 声のトーンが落ちると同時に、彼女が苦笑した。
「……でも、料理のほうがポイント高いじゃん」
「え?」
「加藤さんみたいに料理ができる系のほうが、女子力的にポイント高いでしょ」
「そんなことないよ」
「あるってば、謙遜しないでよー」
 私は手を止めて、十和田さんに顔を向けた。
「ないよ。ポイント高かったら、フラれたりしない」
「え」
 十和田さんが目を見開いた。
 一気に言ってしまおう。今まで言えなかったことを。
「私、付き合ってた人に婚約破棄されたの。結婚直前までいってフラれて……このシェアハウスに申し込んだんだ」
「……そう、なんだ」
「うん、そうなの」
 不思議と心は落ち着いていた。本当にもう、私は大丈夫なんだと安心する。
「そっかー……うん、そうか」
「十和田さんは自分のことを話してくれてたのに、ごめん。今ごろ」
「ううん、そんなことない」
 十和田さんがぶんぶんと頭を横に振る。
「……十和田さん」
「だってそれは言いづらいよ。ほんと……大変なことだよ」
 十和田さんは目を潤ませていた。彼女は自分がイヤな思いをした分、私の痛みも理解してくれたのだろう。
「よし、ごちそういっぱい作って食べよう!」
 粉ふるいを掲げた十和田さんは、天井に向かって宣言する。釣られた私も笑顔で応えた。
「うん、食べよう! 大きいケーキ作ってくれる?」
「ブッシュドノエルとホールケーキも作っちゃう!」
「いいね〜!」
 自分の気持ちを伝えたことで、今までよりも十和田さんと近づけた気がする。
 もっと早く言えばよかったのかもしれない。でも多分、私にはこれくらいの時間が必要だったんだ。

「メリー、クリスマース!」
 シャンパンの入ったグラスで乾杯をする。買い物に出かけた北村さんと石橋さんが、お酒をたくさん買ってきた。少々お高いシャンパンだ。ワインもある。
「クリスマスは三日後だけどね」
 ひと口飲んだところで、北村さんがぼそっと言った。
「細かいことはいいから食おうぜ。うまそうだなぁ。ケーキもすごいし」
「すごいでしょー。食べよ、食べよ」
「あ、画像撮らせて」
 皆が食べ始める前にスマホをかまる。ブログに載せる貴重なネタだ。
 十和田さん作のケーキに立てたろうそくがキラキラ光り、グラスに反射している。チョコクリームをたっぷり使ったブッシュドノエルと、苺のホールケーキは、お店で売っているケーキのように可愛く美味しそうだ。
 商店街のお肉屋さんで買ったというチキンの丸焼き、私が作ったシーザーサラダ、ラザニア、ビーフシチューのポットパイが食卓に並んでいる。
 画像を撮っていると、北村さんがこちらを向いた。
「ブログのコメントが増えたこと、二階堂ハウスの社長が褒めてたよ。二階堂ハウス側が出してるシェアハウスのSNSにも反響がたくさんきてるのは、加藤さんが撮った画像とブログのおかげだって」
 優しく私に笑いかけている。
 ろうそくのせいだろうか、やけに彼の笑顔が眩しく見えるんだけど……
「加藤さんが地道に更新してくれてたからだな」
「そうそう」
 石橋さんと十和田さんが、うんうんとうなずく。
「そ、そんなことないよ。私は暇だっただけだし」
「いやいや、これからは加藤さんにばっかり頼れないんだから、俺たちももっとやらないとな」
「それほど忙しくないから、これからもやるよ〜」
 私が言うと、頑張りすぎないでよ、と十和田さんが私の肩を優しく叩いた。なんだか照れてしまう。

 食事を楽しみ、近況を報告しあう。仕事の話や、シェアハウスの反響などについて盛り上がった。
「皆は年末どうすんの? 俺は実家も都内だから、帰らないでここにいるつもりだけど」
 そろそろケーキを食べようかというところで、チキンを平らげた北村さんが皆に問いかける。
「俺は帰るよ」
 ワインを飲みながら答える石橋さんに、十和田さんが続いた。
「私も実家に帰るんだ。石橋さんはどこだっけ?」
「北海道」
「えっ、私もだよ。同郷だったの?」
「マジか、知らなかったな。いつ帰るの?」
 二人がお互いに目を丸くしている。
 そういえば、今まで地元のことについて話したことはなかったんだ。
「私は二十八日に羽田から新千歳空港行きだよ」
「俺も二十八日だけど……まさか同じ飛行機だったりして。それはないか」
「何時の便?」
「昼すぎ。ちょっと待って、確認するわ」
 スマホで確認した石橋さんが、画像を皆に見せる。自分の乗る飛行機を確認した十和田さんが声を上げた。
「同じ便で、座席も隣って嘘でしょ!? こんな偶然ある!?」
「えーっ!」
 彼女の声と同時に、他三人で声を上げてしまった。
 北村さんは二人が同郷だと知っていただろうけれど、今まで特に何も言わなかった。個人情報だから仕方がないか。
 十和田さんのスマホを覗き込む私たちの頭上から、石橋さんの声が落ちてくる。
「十和田さん、俺と付き合って」
 全員が固まった、ような気がした。……付き合う? って聞こえたような。
 恐る恐る顔を上げると、困惑した表情の十和田さんに、石橋さんが真面目な顔で言う。
「……は?」
「俺、こういう偶然に運命感じるタチなんだ」
「は、はぁ!?」
「ああ、でもシェアハウスは恋愛禁止だからダメか。一年後にここを出たら俺と結婚を前提にお付き合いしてください」
「何を、堂々と、み、皆の前で」
「俺のお気に入りの文房具あげるから、ね?」
「いっ、意味わかんない……!」
 十和田さんの顔が真っ赤だ。お酒のせいもあるだろうけど、嫌そうに見えないということは……まんざらでもないのだろうか。って、私何をホッとしてるのよ私は。
 ……何に、ホッとしたの?
「そういうことで、考えておいてねー」
 石橋さんがにっこりと笑った。お酒の上での冗談には思えない感じ。あまり酔っていないようだし。
「その手があったか」
 北村さんが手をぽんと叩いた。彼は結構酔っているように見える。シラフだったら石橋さんの発言をたしなめるだろうし。
「その手ってなんだよ、北村さん」
「いや別に。そろそろケーキ食べようよ、ケーキ。十和田さんいい?」
 いいよー、と十和田さんが元気よく返事をし、ケーキを切り分け始めた。
「加藤さんも帰るの?」
「うん、私は近いけど帰るよ」
「そうか。年末は寂しいな〜」
 お皿に載せたケーキを、それぞれの前に配りながら、十和田さんが北村さんに言った。
「北村さんも帰ればいいのに」
「いや、帰っても家族はハワイ旅行で誰もいないんだ」
「へ〜優雅だね」
 十和田さんが作ったケーキは、見た目どおり、本当に美味しいクリスマスケーキだった。


 実家のポストを覗くと、数枚のチラシと通販の雑誌、そして手紙が入っていた。それらを掴んで、玄関ドアへ向かう。年末の今日は木枯らしが吹きすさび、朝からものすごく寒い。
「ただいまー」
 家の中に入ると、ほんわりとした暖かさが体を包んでくれた。ホッと息をつくと同時にリビングから母が出てくる。
「お帰り、星乃。寒かったでしょう?」
「うん、寒かったー」
「お父さん、今コンビニ行っちゃってるのよ。すぐ帰ってくるから」
「そうなんだ。これ、ポストに手紙きてたよ」
「あら、年末に誰かしら?」
 母に渡す前にチラリと封筒を確認する。真っ白い綺麗な封筒に丁寧な文字。差出人は……
「あ、秀ちゃんだ! これって結婚式の招待状じゃない?」
 年下の従弟、秀ちゃん。結婚が決まったと言っていたから多分そうだろう。招待状は母に渡し、靴を脱ぎながらもう一枚の手紙を見る。
「こっちは、私宛だ。誰だろう」
「あら秀ちゃん、青山で挙式なのねぇ。オシャレして行かなくっちゃ、ふふ」
 母の言葉よりも、手元にある手紙の差出人に神経が集中していた。
「……鶴田(つるた)えつ子?」
 鶴田、といえば、辞めてしまった会社にいた後輩しか知らない。確か「えつ子」という名前だったので、彼女だろう。手紙を送り合うどころか、スマホでも連絡を取ったことなどない関係だ。それがどうしてわざわざ手紙……?
「……」
「どうしたの?」
「う、ううん。前の会社の後輩から手紙がきてた」
 何となく嫌な予感がした。
「あらそう」
「上でゆっくり読んでくるね。荷物も置いてきたいし」
「あったかいお茶淹れるわね。紅茶がいい?」
「緑茶でいい」
 私、笑ったはずなのに、顔が引きつってる。

 鶴田さんは私の四歳年下の後輩だ。
 社の受付をしていた彼女は男性社員にとても人気があった。
 当時私は総務にいて、受付からの連絡を取り、彼女とは事務的な言葉を交わすくらいだった。それだけだ。なのに、なぜか手紙を持つ手が震えてる。
 だって前に見た夢の、ウエディングドレスを着ていた女性の後姿が……鶴田さんにそっくりだったことに気づいたから。……あれは、夢だ。そんなことはわかってる。わかってるのに。
 私は二階の部屋に行き、荷物を床に置いた。久しぶりの自分の部屋の匂いを吸いこみ、心を落ち着かせる。
 封を開けると、一枚のハガキが出てきた。そこにも私宛の名前と、差出人の名前が書いてある。
「……え」
 どくん、と心臓がイヤな音を立てた。
 封筒の差出人は鶴田さんの名前だけだったのに、ハガキには二人分の名前がある。
 鶴田さんの隣に、よく知る男性の名前が並んでいた。……元カレだ。
 ハガキを裏返す。写真だ。フリルのついた帽子とおくるみに包まれた赤ちゃんが写っている。
「少し、早めに生まれた、私たちの……子ども、です……」
 がくん、と膝が折れた。かっと熱くなった頭とは対照的に、体が寒くてたまらない。
「ご無沙汰、していま、す。やはり加藤さんには、ご報告したほうがいいかと、思いまし、た」
 頭の中が混乱しているのに、読むのをやめられない。
「ご都合がよろしければ、私たちの、門出をぜひ、ご覧いただきたく……、来る、三月の、結婚式二次会にご参加を――」
 自分の声が遠くに聞こえる。
 赤ちゃんが、生まれた……?
 彼の好きな人って、鶴田さんだったの? いつから? まさか、彼女の妊娠を知って私と別れた……? 
「待って」
 鶴田さんは私たちと同じ会社だ。私と彼が結婚することを、知ってたはず――
 がんがんと頭が痛んだ。喉が渇く。手のひらにじんわりと汗がにじむのがわかった。別れたあの日と同じだ。でもここに、苺パフェはない。指輪だってない。あれ? 指輪どうしたんだっけ。ああ、売ったんだ。そうそう、売ったの。あんなものいらないって――
「は、はは……なにこれ」
 渇いた笑いしか出なかった。
「何これ……ふっ、くく」

 どうすればいいの。
 また、泣けない私に戻ってる。