「来週は新居を見に行くのに、まだ連絡がない……」
 スマホを何度も確認しても彼からのメッセージがこない。それどころか既読すらつかない。
「仕事が忙しいんだよね、きっと。私との結婚のために頑張って働いてくれてるんだから、こんなことくらいで文句言ったらダメ」
 気を取り直して、手帳をひらく。
 ブライダルエステは来週からだ。少しでも綺麗になって挙式の日を迎えたい。あの真っ白いドレスを着て――
 ふと顔を上げて鏡を見る。幸せそうにニヤける自分の姿があった。
「顔にしまりがなくなって困るなぁ」
 鏡の中の自分を見つめていると、次の瞬間、結婚式の当日になっていた。
 時がすぎるのは早いものだ。 憧れの真っ白いドレスを着て部屋にいる私は、鏡の前で彼が迎えにくるのを待っている。
「……遅い」
 小さくため息を吐いた。
「まさか今日も仕事で忙しい、なんて言わないわよね?」
 待ちくたびれた私は、部屋から廊下に出てみる。

 少し離れた場所に、彼がいた。新郎姿の彼の隣に、白いドレスを着た女性がいる。
 ふたりはこちらに背を向け、寄り添い合い、楽しそうに会話しながら歩みを進めていた。
「ねえ、何してるの? それ、誰? ちょっと待ってよ」
 必死に彼を追いかけるが、追いつかない。廊下が長いわけではないのにどうしてだろう。
「何してるの? ねえ、ねえってば……!」
 やっと私に気づいた彼が、顔だけこちらを振り向いた。
「ああ、星乃か。悪いけど俺、この子と結婚するんだ。こっちで式挙げるから」
「なっ、何言ってんの!? 私と結婚するんでしょ? 皆が待ってるから早く――」
「じゃあな。元気で、星乃」
「は? 冗談はやめてよ、待って! 待ってってば!!」
 彼に手を伸ばした私はドレスの裾をふんづけてしまい、その場ですっ転んだ。

「……わあっ!」
 がばっと起き上がる。
 目の前の白い漆喰壁に朝日が当たっていた。私がいるのは廊下の床ではなく、布団の上だ。
「あ、夢……?」
 心臓がドクドク鳴っている。
「そっか。夢だよね……夢」
 あの彼にとっくにフラれている私は、婚約破棄もしたんだった。
 大きく深呼吸をする。部屋を見回した。ここは傷心の私が引っ越してきた、シェアハウス。結婚式場ではない。
「ばっっっかみたい。あーあ、もう!」
 布団の上に寝転がる。まだ蒸し暑い九月下旬の朝なのに、背中を流れているのは冷や汗だ。
 目をつぶってもまだ、まぶたの裏にリアルに再現される。あの男のことは思い出してもムカつくだけだけど、彼のとなりにいた女性が気になっていた。誰かに似ていたような気がする。誰だったかな、あの後ろ姿は……
「って、だからこれは夢なの!」
 再び起き上がり、頭を左右に振る。
 もう、どうだっていいはずだったのに。心のどこかで吹っ切れていない自分がいるのだろうか。そう思うと気が滅入ってくる。なんか妙に、疲れた。

 その日の夕方。
 リビングにあるパソコンの前で作業をしていると、玄関のドアが開いた音が聞こえた。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい。石橋さん」
 シェアハウスの住人男性、石橋さんだ。日曜休日の彼は、秋物の洋服を買いにいくといって午前中から出かけていた。
 そばにきた石橋さんがパソコンを覗き込む。
「お、ブログか。お疲れさま。いつも悪いね」
「いえいえ」
 シェアハウスの様子を書き綴るブログは、私が担当することが多い。
 働いてないの私だけだし、どうせ一日中ヒマだしということで、自分からブログ更新を買って出たのだ。
「加藤さんのブログってさ、面白いよね」
「え、そ、そう?」
「うん。読み応えあるし、読みやすいよ」
「本当に? じゃあもっと更新がんばろうかな」
「おう、頑張れよ。って、俺もたまには書くからね」
「うん、お願い」
 褒められて嬉しくなる。
 せっかくブログを書くのだからと思って、シェアハウスの様子の画像をたくさん撮って、住人みんなの意見を聞きながら詳しく書いているうちに、閲覧者が増えてコメントも入るようになった。現金だけど、そうなると俄然やる気が出てくる。
「そうそう、今夜のメニューなんだけど」
 石橋さんがスマホの画面を私に見せる。料理のレシピが載っているサイトだ。
「和食はどう? と思って」
「うん、いいと思うよ」
「あの二人、やたら材料買ってきて使いきれなくて余るから、それ使って料理したほうがいいかと思って」
「そうだね」
 石橋さんと顔を見合わせてクスッと笑った。あの二人、というのは北村さんと十和田さんのことだ。

 シェアハウスに引っ越してから一か月が経つ。
 料理を作るのは二人組みでローテーションすることにした。
 キッチンの使い勝手を多くの人に知ってもらうためにも、ここでの料理作りは重要だ。ブログの記事のなかでもその様子を楽しみにしてくれる人は多い。そして料理を作って一緒に食べることが、住人たちの交流の場でもある。今後、シェアハウスを検討している人たちにもその様子を見てもらうようにと、不動産会社の二階堂ハウスからも言われている。
 初めは料理の苦手な北村さんと十和田さんを分けて、比較的料理のできる石橋さんと私が二人と組むようにしようか、という意見が出た。
 だが、それでは料理ができる人に任せきりになってしまう。それなら苦手な者同士で努力をするべきだと、北村さんが十和田さんと組むことを提案した。北村さん狙いだと言っていた十和田さんはもちろん大賛成。またもや、心の中がもやもやしてしまう私。
 そうは思っても表情には一切出さず、石橋さんとともに異論なしだと笑顔で答えた。
 ということで、料理は私と石橋さんチーム、北村さんと十和田さんチームに分かれることになったのだ。

 冷蔵庫の余り物や石橋さんが買ってきた食材を組み合わせ、料理を作り終えたところで玄関ドアが開いた。
「ただいまー」
 北村さんだ。石橋さんとキッチンから出て、彼を迎える。八時少し前。北村さんは、何事もなければ大体これくらいの時間に仕事から帰ってくる。
「おかえりなさい。ちょうど夕飯できたところだよ」
「おかえりー」
「ありがとう。あれ、十和田さんはまだ?」
「今日は夕飯いらないんだって」
「そうなんだ。なかなか四人そろわないな〜」
 つぶやきながら、北村さんは自室へ着替えに行った。
 私以外は皆仕事が忙しかったが、最近特に大変そうなのは十和田さんだ。北村さんと料理を作るのもなかなか時間が合わず苦労していた。
 そんな感じだから、北村さん狙いの話は進んだようには見えず、なぜか私はホッとしていた。なぜホッとするのか、気づきたいような気づきたくないような……変な気持ちを持て余している。

 和室の座卓に並ぶのは、レンコンとごぼうとにんじんのきんぴら、ほうれん草を巻いて甘辛く煮た豚肉、白身魚のフリッター大根おろし和え、きのこの炊き込みご飯だ。
 秋の始まりらしいメニューになったと思う。
 ほこほこと湯気を立てている料理を前に、三人一緒にいただきますをした。
「うまくできたな、これ」
 きんぴらを口に頬張りながら石橋さんが私に言う。私はお魚のフリッターを食べた。うん、かなりいけるんじゃない? これは。
「うん。こっちもおいしくできたよね」
「ああ、うまくできた。失敗するかと思ったけど、大根おろしで和えたのがよかったな」
「そうそう、意外なことに気づけたって感じ」
 もぐもぐしながらうなずくと、石橋さんが呆れた顔をした。
「気づけたって、これ、加藤さんが間違えてこうなったんじゃん」
「あ、そうだったよね。ごめん〜」
 笑いかけると、石橋さんも噴き出して笑った。
 見ず知らずの他人同士が一緒に暮らす。初めは不安もあったけれど、最近はだいぶ打ち解けてきたように思う。そしてこういう刺激が、私の落ち込む気持ちを和らげてくれているのは事実だ。やっぱりここにきて、正解だったのかな。

「いつの間にかすごい仲良しになってるよね、二人」
 黙っていた北村さんがぼそりと言った。
「料理の息もぴったりだし」
 メガネをはずして炊き込みご飯をかっこんでいる。何か、機嫌が悪そう?
「ふうん。北村さん、俺らの仲間に入りたいんだ?」
「うん」
 ニヤリと笑った石橋さんの言葉に、北村さんがもぐもぐと口を動かしながらうなずく。
 彼の素直な反応を見て、思わず可愛いと思ってしまった。
「十和田さんと二人で頑張るって自分で提案したくせに?」
「そうなんだけど、思ったよりキツかったんだよ」
 北村さんは麦茶を飲み干した。
 初心者同士で料理をするのは相当大変だろう。十和田さんは今とても忙しいから、よけいにそう思うのかも。
「もう少し料理ができるようになってから、加藤さんと組めばいいんじゃない? もちろん俺と組んでもいいけどさ」
「だね。修行するわ」
 北村さんは黙々とおかずを食べ始めた。
 私と一緒に料理を作りたいからっていうわけじゃないのよね。って、何をがっかりすることがあるのよ、私は。
「ところで加藤さん。明日、空いてる?」
 北村さんの言葉にドキリとする。がっかりしているのを見抜かれてないよね?
 きんぴらを飲み込んだ私は、落ち着きを取り戻してから答えた。
「そりゃ、私は毎日空いてますけども……」
「だよね、知ってる」
 自分で聞いておきながら、おかしそうに笑ってる。失礼な、と私が言い加えると、北村さんは続けた。
「じゃあ、ちょっとつき合ってくれない?」
「どこに?」
「どこっていうか、近所だね」
「いいけど……明日って北村さんはお休みなの?」
「休み。だからいいでしょ」
 北村さんの顔から笑みは消え、不機嫌な表情に戻っていた。今、笑ったばかりなのになんなの一体。
 石橋さんは黙って私たちのやり取りを聞いている。
「うん、いいよ」
「じゃあ明日、十時半にリビングね。俺、ちょっと仕事残ってるから部屋に行くわ。ごちそうさま」
 自分の食器を持って、北村さんは立ち上がった。彼は食器をシンクに置くと、自室へ入った。食器は食事を作った人が洗う決まりだ。
 畳の上に両足を投げ出した石橋さんは、後ろに手をついた。男性陣は食べ終わるのが早い。私の倍量は食べてたと思うんだけど。
 私もお茶椀に残る炊き込みご飯を食べ終えた。おいしくできた。今度は何を作ろうか。麦茶を飲みながら考えていると、石橋さんが言った。
「なーんか北村さんてさぁ、アレだよね」
 天井を仰ぎながら意味ありげな言葉を吐き出す。
「アレって、なに?」
「わかりやすいなと思って」
「……わかりやすい?」
 そう、とうなずいた石橋さんは、勢いよく立ち上がった。
「俺もごちそうさま。加藤さんはまだ食べてる?」
「う、ううん、私もごちそうさまでした」
「じゃあ片付けようか」
「はい」

 何がどうわかりやすいというのだろうか。
 私にとって北村さんは、わかりづらいことこのうえないというのに。