がちゃんバタンと、キッチンから大きな音がするたびに、こちらの体がびくりと揺れる。
 仕事から直帰した北村さんは、パスタを作ると張り切っていたのだけれど……。彼がキッチンに入った途端、大騒ぎが始まっていた。
「うわっ、あちちっ!」
「ちょっ」
 聞いていられなくなった私はソファから立ち上がり、キッチンを覗いた。

「えっと、大丈夫ですか?」
「あ、すみません。大丈夫です」
 北村さんは返事をしながら、たった今落としたらしいお鍋のふたを拾っている。
「手伝いましょうか」
「いえ、それじゃあ意味ないですから。もう少しだけお待ちください」
 シェアハウス用のカフェエプロンを締め直した彼は、私に言った。そんなふうにキリッと言われたら引っ込まざるを得ない。
「わかりました。何かあったら言ってくださいね」
「大丈夫です」
 とても大丈夫そうには見えないけれど、初めて使うキッチンだ。普段から料理をしていたとしても勝手がわからないことはある。彼もそうなんだろう。……多分。

 ソファに戻ってクッションを抱きしめると、玄関ドアが開いた。
「ただいまー、です」
 リビングに入ってきた十和田さんが私の顔を見た。
 アパレルの販売とあって、とてもオシャレな服装をしている。彼女の可愛らしい雰囲気にぴったりだ。
「お帰りなさい。お疲れさまでした」
「ありがとうございます。何だかいい匂いしますね!」
 ぱぁっと明るい表情になった彼女が、キッチンのほうへ顔を向ける。
「北村さんが頑張ってるんですよ」
 と言い終わる前にまた、がしゃーんという音がキッチンから響いた。
「大丈夫ですかね?」
「さっきからずっとあんな調子だから、手伝おうか声かけたんですけど……北村さんは大丈夫だって」
「それなら邪魔しないほうがいいですかね〜。私、荷物置いてきます」
「あ、はい」
 もう一度クッションを抱きしめた私は、リモコンを使ってテレビの電源を入れた。十和田さんの言う通り、邪魔はしないほうがいいよね。北村さんが料理をするのが不得意だと決まったわけじゃないし。

「大変お待たせしました。食べましょう」
 飲み物の準備を終えた私たちの前に、北村さんがお皿を置いた。きのことベーコンのパスタから、湯気が立ち昇っている。とてもいい香り。
「わぁ、すごいですね!」
 やっぱり私の心配は余計なことだったのね。疑ったりして申し訳なかったな。
「おいしそう〜。ねえ、早速画像取りましょうよ」
 十和田さんがスマホを取り出す。シェアハウスのブログに掲載するためだ。
 私も北村さんも写真を撮り、ようやく夕飯が始まる。時計は九時半を過ぎていた。
「いただきます」
「どうぞ」
 パスタを口に入れ、噛みしめた途端、舌に違和感が起きた。
「んっ!?」
 こ、これはっ!
「んん?」
「しょっ……ぺ!」
 三人同時に、お水の入ったグラスを手にする。ごくごくと飲み、しょっぱさが遠のいたところで、北村さんが眼鏡を取った。
「うっわ、すみません。しょっぱすぎますね、これ」
 私たちに頭を下げて謝る北村さんを見つめる。彼も驚いていたということは……
「あの北村さん、味見は」
「してないです」
 その返答にツッコもうと思ったのに、眼鏡を掛け直しながら表情も変えずに言うさまがおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「ぶ」
「ふっ」
 十和田さんも口元を覆いながら笑っている。笑い続ける私たちと一緒に、北村さんもばつが悪そうに笑った。
 北村さんて、マイペースというか、つかみにくいというか。かといって、どこか憎めない雰囲気も持っている。こういうタイプの男性とは出会ったことがないかもしれない。
「もしかして北村さん、料理が苦手とか?」
「もしかしなくても初心者です」
 自信満々な顔して「大丈夫」って言ってたくせに、初心者だったの!? 綺麗な盛り付けを見て、すっかり騙されてしまった。申し訳ないと思った私って、一体。
「私もあまり作れないんですよ〜」
 驚く私の横で十和田さんが言った。
「そうなんですか」
 答える北村さんに、十和田さんが「仲間ですね」と微笑む。彼も彼女に微笑み返した。
 ……あれ? 何だかモヤモヤする。
「捨てましょうか。代わりに何かコンビニで買ってきますよ、俺」
「待ってください。何とかリメイクできるかもしれないから、捨てないで」
 私は立ち上がろうとした彼を止めた。

 手伝うと言う北村さんを制し、彼には十和田さんと一緒にリビングへ残ってもらった。
 集中して作業をしたいから、というのはいいわけで、彼のそばにいたらモヤモヤが拡大しそうだったからだ。
 そんな気持ちを追い払いながらキッチンにあったエプロンをしめ、北村さん作のパスタを前に考え込む。
 レタスとトマトに和えて、サラダパスタにしてみようか? 確かお酢を加えると味がまろやかになったはず。といっても、あとから帰ってくるはずの石橋さんの分を合わせた量だから、サラダだけじゃ多すぎる。あとは……クリーム系のスープに入れてみたら、とろみがついておいしいかもしれない。
 小さく切ったじゃがいもとにんじんを電子レンジで柔らかくし、少しだけコンソメの素を入れたお湯の中に入れる。その中に先ほどのパスタを短く切って具と一緒に入れ、しばらく煮込んで仕上げに牛乳とチーズを入れた。これで少しは塩辛さが中和されるはず。
「何とかなった、かな?」
 二階堂ハウスさんからのお祝いの食材に助けられて、ホッと息をついた。かさは増えちゃったけど、残ったらまた明日食べればいいよね。

「すごーい! 全然オーケーですよ、これ!」
「うん、うまい。すごいな、助かりました」
 北村さんと十和田さんは、ぱくぱくと私のリメイク料理を食べてくれた。
「加藤さん、女子力高いですねえ」
 冷蔵庫に行った十和田さんが、私たちに缶ビールを一本ずつ配る。
「そんなことないんですけど、少し前まで習ってたもので」
「お料理教室ですか!?」
「……うん、まぁ」
 結婚前に習ってたお料理が、こんなことで役に立つなんてね。
 苦笑しながらビールを飲むと、北村さんの視線を感じた。あ、もしかして今の……勘ぐられたかもしれない。視線をよけてスープを飲む。わざとらしかったかな。
「あの、思ったんですけど敬語やめませんか? これから毎日一緒にいることになるのに、疲れません?」
 話題を変えようとした矢先、十和田さんが提案した。
「ああ、そうですね。やめましょう。加藤さんもそれでいいですか?」
「ええ、もちろん」
 北村さんが私のほうを向く。何でもないという顔をして、私は彼に返事をした。

 食事の途中で帰ってきたもう一人のメンバー、石橋さんのためにキッチンへ行く。
「私も手伝うよ」
 石橋さんの分を温め直していると、十和田さんがやってきた。
「あっためるだけだから大丈夫だよ」
「ありがと。ねえ、さっきの北村さん面白かったよね。料理全然ダメなのになんともないの」
「うん、自覚なしっていうのがね」
「そうそう」
 早速敬語はやめて、くだけた調子で声をかけてくれる。私も同じような口調で合わせた。彼女の言う通り、このほうが気楽でいい。
「そういえば加藤さんって、カレシいないの?」
 ふんわりとまとめた髪を揺らし、十和田さんが言う。
「えっ! い、いないよ」
 急に何を……!? 焦りながらもリビングのほうへ耳を澄ませる。テレビの音が響いてるから、私たちの会話は聞こえていない、よね?
「カレシがいたらシェアハウスなんてこないか〜。私もいないんだけどね」
「そうなの? 可愛いからいるのかと思ってた」
 どうしよう、突っ込んだことはまだ聞かれたくないな。そう思いながら、石橋さん用のスープ皿を棚から取り出す。
「ここにくる前にね、ちょっと」
「?」
 十和田さんの何かを含んだ言い方が気になり、私はそちらを向いた。目が合った彼女は、私から顔を逸らして呟いた。
「会社の上司と不倫してて」
「え」
「会社にバレそうになって、本社から飛ばされたの私。本当は販売なんてやってられないよー」
「そう、なんだ」
「でもね、おどおどした彼を見て一気に冷めちゃった。時間の無駄だったんだってやっとわかって、それですっぱり別れたんだけどね」
 どう答えていいかわからずに、今度は私が目を泳がせてしまった。出会ったばかりの私に、こんな話をしちゃって大丈夫なんだろうか。
「だから今は幸せな結婚をするために婚活中なんだ。……北村さん狙っちゃおうかな。社長さんだし、あの雰囲気好きかも」
 十和田さんの言葉に、お皿を落としてしまいそうになる。
「あ、もしかして加藤さん、北村さん狙いだった?」
 動揺する私に十和田さんがクスリと笑った。
「そっ、そんなことないけど、でもシェアハウスは恋愛禁止でしょ?」
「そんなのどうにでもなるよ〜。って、まだ北村さんがどうとかは、わからないけどね。私ビール持ってくね」
 皆のビールのおかわりを持った十和田さんは、キッチンを出ていった。

 私の周りにはいないタイプの彼女の発言に、戸惑ってしまう。
 北村さん狙い? 昨日から始まったばかりのシェアハウスで、もうそんなこと考えちゃうの?
 と思ったけれど、私だって彼と出会って数時間であんなことしちゃったんだから、人のことは言えないか。
 言えないんだけど……さっき感じたモヤモヤが胸に復活しているのも、また事実だった。